マナトさんの運転する赤いスポーツカーは、明け方の街路を滑るように進んでいく。
窓の外を流れる街の光は、どこかぼやけて見え、夜明け前の新鮮な空気が車内にも忍び込んでくる。
助手席に座る私は居心地の悪さを抱えていた。
数時間前に会ったばかりのイケメンにマンションへ送ってもらう……。
どこの乙女ゲームかと思える展開だが、車内に流れているのは取調室のような空気だった。
「それじゃあ、聞かせてもらおうか。会社をクビになったのって、いつ?」
マナト刑事の尋問が始まった。
「一ヶ月前です……兄のゴタゴタで……」
「もっと詳しく」
容赦ない。
私は溜息混じりに話し始めた。
短大卒業後、OL生活五年目に突入し、平穏な生活が崩れ落ちたのは、地方から上京して七年目の夏だった。
会社に人相の悪い男が押しかけてきて、兄の消息を教えろと私に凄んだのが全ての始まり。
その後「朝倉みかりは反社だ」という噂がたち、会社は首に。
斡旋されていたアパートも追い出され現在に至る。
兄に迷惑をかけられるのは初めてじゃなかった。
高校時代には家に遊びに来る女友達に兄が次々に手を出し、そのせいでグループから孤立したり、自称彼女たちに呼び出されて罵られたり。
兄に恋人を寝取られた強面君に路地裏で延々泣かれたり…。
両手では足りないほどの迷惑を被ってきた。
(どんなに頑張っても、誰かのせいで、全てなくしてしまうのかな……)
そんな事を思い続けた一ヶ月だった。
ある意味、悲劇のヒロイン沼に落ちてたかも。
ところどころに自嘲を交えつつも、とりあえずあらましを伝え終わる。
「不当解雇か。最悪だな」
マナトさんのこめかみはピクついており、静かに怒っている様が感じられた。
もちろん私に、ではなく私の会社に……でも、その張り詰めた空気感に私の方が焦ってしまう。
「明日弁護士を紹介するよ。状況をひっくり返そう。目には目を。歯には歯を。間違いは正すだけじゃなく、それ相応の罰を受けさせないと」
「いやいやいやいや、そんな! お気持ちだけいただきます! もう、そのことは……大丈夫ですから!」
私は慌てた。
「理不尽に対抗するのは正当な行為だよ」
「そうなんですけど……」
私はうなだれた。
「……タイミングが……その時に動かなかった私が悪いんです」
「俺と関わった時点で勝ち確なのに……それでも?」
「……」
「なんか事情があるの?」
「……ええ」
「話せる……?」
「……」
「そこは言いたくないんだね」
「ええ」
私は肩をすくめながら呟いた
「私は見ての通り、臆病者のビビりなんです……いろんな人を巻き込むと思うと……考えることすらしんどくて……でも、次からはちゃんとしますから!」
そう。
次からは。
強い自分であろうと思う。
マナトさんはため息をついた。
「わかったよ。そこまで言うなら仕方ない。まあ、死ぬほどムカつくけど」
「せっかく気遣ってくれたのに……ごめんなさい」
「俺は君みたいないい人が搾取されて使い捨てられる世界が大嫌いなんだ。間違ってる。君の経験したことを思うと怒りで胸が痛くなるほどだ」
私はその横顔をマジマジと見た。
「どうしてそこまで思ってくれるんですか?」
マナトさんはチラッと私をみて
「そんなの簡単だよ。君が信用できる人間だからだ」
きっぱりと言った。
「で、でもっ。私たちさっき会ったばかりなのに」
「確かに君とは数時間の触れ合いしかない。でも十分だ……他人のゲロを両手で受け止めても、恩に着せるどころか落ち度を申請するお人よし。それにつけ込む人が沢山いたんだろうけってこともね」
「……」
マナトさんはふっと笑った。
「俺は君が眩しいよ。濁流を下ってたら思いがけず清流に辿り着いた気分だ」
あ、また買い被られてる……。
だけど。
喜びがじわじわと体全体に広がっていく。
私は決して悪くない、と。無条件に信じてもらえるのは……ただひたすら嬉しくありがたかった。
逆の苦しみを知っているからこそ、それが奇跡のように感じてしまう。
そして自分のことみたいに怒ってくれることも、すごく嬉しい。
味方がここにいる、って。
ほんの少し前に会っただけの人なのに、私はそう思えている。
(本当に来てよかったな。明子のおかげで、久しぶりにぐっすり眠れそう)
私は親友と、そして、大きな安らぎを与えてくれたマナトさんに心の中で手を合わせた。