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第6話 ほかにはいない

「えっ……いつの間に!」

「ああ、さっきからずっとだよ」

「ええええ??? じゃあ今の会話は……」

「聞いてないね」

「……そうなんだ」


 私はちょっとだけホッとしていた。

 イガさんそっちのけで話に夢中になっていたから、振り返ると恥ずかしい。

 ポカンと天井に向けて口を開けているイガさんを見て、マナトさんは苦笑した。


「こんな無防備な顔、初めて見たなあ」


(優しい顔だなあ)


 イガさんに悪魔と言われてるのに……。

 父親のほうが息子の掌で遊ばれてる気がして、微笑ましいなと内心思う。

 マナトさんは立ち上がると、イガさんの傍へ回り込んだ。


「さ、父さん、起きて」

「おおお」


 呼ばれたイガさんが体勢を立て直した一瞬……。


「ゲホゲホっ」


 前のめりに激しく咳き込んだ。


(この感じ……もしかして!)


 その苦しげな表情に、危険信号がピピピと点滅する。

 イガさんは、突然、ぐ、っとえずいた。


「やっぱり! イガさん大丈夫?!」


 私は彼の口に両手を合わせて差し出した。

 ドボドボとリバースされるイガさんの体液やら諸々。

 イガさんの顔は真っ赤である。そこまで酔っていたとは……気がつかなかった。

 戻したものは私の手のひらにとどまっており、なんとかセーフ……でもまだ油断はできない。


「うおっと……わ……君……」


 慌て声のマナトさんの前で、手から漏れるそれを、氷の入ったボウルに移す。


「すみません、マナトさん、手伝ってください!」


 私はボウルを手に立ち上がる。


 父と兄の二日酔いを見ていたから、対処の仕方はわかっていた。


「あ、ああ」


 マナトさんは戸惑った様子だったが、しっかりとイガさんを支え、私の歩幅に合わせ歩き出してくれた。


◇◇◇


 おしぼりとボウルを彼の口にあてがい、一緒に動く。

 男性用トイレに私も入り込むと手を洗い「失礼します」と便器の横のイガさんに跪いた。

 背中を撫でながら、リバースに付き合う。気を使ってか、誰も入ってこない。

 盛大に吐くイガさんの背中を何度も撫でる。その動作を幾度か繰り返し、イガさんはぐったりと脱力した。


「全部出た気がする……もう大丈夫かな」


 そう言ってマナトさんを振り返る。


 と、真剣そのものな視線と目があった。


「あ、もう平気ですよ。吐くとかなり楽になるみたい。まあ、私はお酒に強いから体感ではわからないんですけどね」

「……」


 マナトさんは無言だ。

 二人がかりでイガさんを立ち上がらせ、マナトさんが支えた。

 まだ眠っているけれど、イガさんの表情は穏やかだった。


「……良かった……飲ませすぎちゃってごめんなさい」


 やり遂げた感満々で私はマナトさんに笑顔を向けた。

 ところが……。


「謝っちゃダメだよ。なんで謝るの……俺には理解できない。どうしてそんな動き方になるんだ」


 マナトさんは勢い込んで私に言った。


「え?」

「ここはさ、いくらでも恩を着せられるターンだよ? それなのに自分の星を減らしてどうすんの? 飲ませすぎって、わざわざ落ち度を申請する意味がわからない」

「星……?」

「助けてあげた、っていうのは、コミュニケーションにおいて、最高のアドバンテージだ。頭のいい奴なら、即交渉に移ってる。相手は俺たちだしね」

「そ、そうでしょうか」

「そうなんだって!!」


 マナトさんは真剣そのもので……でも、何を伝えたいのか私にはよくわからない。


「それなのにさ……ケロっとして……まるで何もしてないみたいな素振りして……君はあまりにも無欲すぎる。いくらだっていい思いができるのに、そんなだから、搾取されるんだ。兄貴にも、借金取りにも、会社にも。他人のせいで首になるなんて、バカだよ」


 会社の事を言われると、ずきんと胸が鋭く痛む。

 シュルシュルと気持ちが萎んでいく。


「……そうですね……すみません」


 しょんぼりと肩を落とす私。よくわからないけれど、彼の怒りを肌で感じ辛くなっていた。


(今日はハプニングが多すぎて、ダメなところばかり見せちゃったな……)


 とっさの時ほど本質が出る。これは朋子の口癖だ。だから結局そういう事なんだろう。

 私は時折人をイラつかせてしまう性格なのだ。

 人付き合いが苦手なわけではないのだけれど……。


「とりあえず出よう」


 何か言いたげなマナトさんと一緒に廊下へ。



 イガさんを抱えたまま、マナトさんはくるりと私に向き直る。


「ありがとう。そしてごめん。さっきさ、俺、君にひどい事した」

「ひどいこと?」

「ナチュラルに道具扱いだっただろ? 外付けパーツに当たりくじ……傲慢にも程がある」


 私は首を傾げた。


「ど、どうしたんですか? マナトさん、私は別に……」

「俺は間違ってた……君は……俺なんかに検品されるような人じゃない」

「あの、本当に、私、何かしましたか?」


 半分泣きそうになった私に言う。


「したよ……俺の心に思いっきり爪痕を残した」

「え……」

「無自覚攻撃をくらって、今、頭の中がくらくらしてる」


 マナトさんはパンツのポケットから片手で名刺入れを取り出すと、一枚取るように私に言った。

 書かれている文字をざっと読む。


「五十嵐商事アパレル部門営業主任……マナトさん、五十嵐商事の社員なんですね」

「困ったことあったらその番号に連絡して。父を助けてくれた恩は必ず返すから」

「そんな……本当に大袈裟ですよ……人として当たり前の事をしただけなのに」

「君はさ、明らかに父を助けたんだよ。他人が与えた星を返却しちゃダメだ。そこが美点なんだろうけど」

「わかりました。ありがとうございます」

「…………俺は君を見くびってた。躊躇なく人のゲロを受け止める人なんて、どこにもいない」


 マナトさんはふっと自嘲気味に笑った。


「そして二度と巡りあえないだろうね」

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