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第3話 感情のないロボット

「とりあえず、座れ」


 イガさんはソファの座面を指差した。


「んー、車で来てるから飲めないよ」

「いいから早く」

「……仕方ないなあ」


 マナトさんはやれやれ、といった感じで私の隣に腰掛け、ウェイターにジンジャーエールを頼んだ。

 想像を軽く超えた情報量に私の頭はぐるぐる回っている。

 チャラ男な兄と重ねていたイガさんの息子は王子様で、初対面の私に妙なあだ名をつける変人で、悪魔で大層距離感が近く、高嶺の花的なルックスと、それらの全てがはちぐはぐで、つまりわけがわからない。


(あああ、酔える体質だったらなあ。適当に流せたかもなのに……)


 元々アルコールに強く、頭は素面のごとく冴え渡っている。

 赤ら顔でそこそこ出来上がってるイガさんと、ほぼ同量を飲んでいるとは自分でも思えない。

 とは言え、初対面の相手を質問攻めにできるほどの厚かましさもなく。


「じゃあ、親子水入らずでどうぞ」


 私は立ち去ろうとした。

 が、イガさんはそれを許さない。


「お兄さん、みかりさんにも、もう一杯!」


 ウェイターを呼び止め、私の飲み物を追加する。


「あの、もうそろそろ帰ろうかな、って」

「嫌じゃ! あんたに話を聞いてもらいたいのじゃ!」


 首を振るイガさん。

 マナトさんが耳打ちしてくる。


「よかったらもう少し付き合ってあげて。父と意気投合したんでしょ。通話で嬉しそうに話してた」


 ええ。でも、それあなたの悪口なんです……。

 もちろん本人の前では言えませんが……。


「ん? どうしたの? なんだか、いたずら見つかった犬みたいな表情になってるけど?」

「やっ。い、いいえ、そんな、まさか」


 うしろめたさが顔に出まくっていたらしい。

 私は内心焦りながらも、


「じゃあ、少しだけ」


 もう一度ソファに腰をおろした。


◇◇◇


(居心地悪いな)


 ニコニコ顔のマナトさんを前に、罪悪感が否めない。

 欠席裁判にいきなり被告人が現れたのだから当然である。

 恐縮しまくっている私と違って、イガさんは臨戦態勢だった。


「……よくも見合いをすっぽかしてくれたな。わしに恥をかかせおって!」


 案の定、裁判が再開される。


「お見合い、俺、きっちり断ったよね。それなのに決行するなんて、無謀じゃない?」


 美しき被告人はサクサクと弁明を始めた。


「彼女の何が不満なんじゃ!」

「強いて言えば全部かな」

「贅沢者めが!」


 いきり立つイガさんに、余裕ありげなマナトさん。

 アルコールの有無も加わって、勝負は既についている気がした。


(静観しよう……)


 私は早々に立ち位置を決める。

 目の前で繰り広げられる法廷劇を、客席で眺める観客の一人。それが私だ。

 主人公はもちろんイガさんとマナトさん。

 私に味方になってほしいらしく、イガさんの訴えるような視線に気がついてはいたが、完全無視した。

 家族問題は、本人たちにしか分からない。愚痴なら聞けるが、私は裁判官じゃない。


「てかさ、そもそも彼女、恋人がいるよ? 五人ほど」


 衝撃の事実がまた明かされた。


「セレブに貞操観念の狂いはつきものぞ! 健康な孫さえ生んでくれれば御の字じゃ!」


 イガさんの時代遅れで理不尽な価値観も露わになる。


「俺、一途な子が好きなんだよね」


 反面マナトさんの発言には、これといった穴が見つからない。


(本当にこの人、悪魔なの?)


 私は改めて彼を見た。

 綺麗なだけではなく感じがいい人だ。父親に何を言われても笑顔でかわす……。

 イガさんにはそれが悪魔のように見えているのかもしれないけれど。


「お前の好みなんぞどうでもいい! 見合いが嫌なら後を継ぐのじゃ! 資産と歴史を次の代に繋げる。これは五十嵐家長男の宿命じゃ! その役割を果たさずして生きておる意味がないじゃろう! お前には全くことの重大さが分かっておらん!」


 次々に繰り出される頑固親父のセリフ。怒りと興奮とアルコールで、イガさんの顔は赤鬼みたいになっている。

 あああ、ダメだ。酔っ払いにしても暴論すぎる。

 私はおずおずと口をはさむ。


「イガさん、一言いいでしょうか……?」


 家族問題に踏み込んじゃだめ。さっきからそう己に言い聞かせていたのに、どうしても我慢できなかった。

 立ち位置は……マナトさんの弁護人だ。イガさん、てのひら返し、ごめんなさい。


「ん?」


 イガさんは赤い目で私を見る。


「いくら身内でも言いすぎですよ……人は、誰かの役に立つためだけに存在してるわけじゃないんですから」


 こほん、とイガさんは咳払いをした。


「みかりさん、五十嵐グループはご存じかな? 総合商社五十嵐商事に鉄道五十嵐、五十嵐銀行、その他諸々たくさんの会社を束ねておる」

「ええ。もちろん。日本で一番大きな総合商社ですもの。他の事業も全部日本のトップに君臨しているすごい会社……小さな頃からよく CM で見ていました」

「わし、そこの社長。そしてマナトはわしの息子なんじゃけど……」

「えええええっ! そうだったんですか????」


 両目を丸くする私の前で、マナトさんが申し訳なさそうな顔をする。


「うん。イケメンな上に高スペックでごめんね。ちなみに文武両道だよ」

「つまり、町工場の後継ぎ問題とはスケールが違うんじゃ。個人の幸せなぞ二の次三の次四の次……いや、なきに等しい」

「いやいやいや、それはどうでしょう?!」


 と言いながらも、私の背中には冷たい汗が流れていた。

 五十嵐グループ御曹司……。

 うちの兄とシンクロさせていたのに、格の違いにおののいてしまう。


「息子の意見を尊重して、孫に期待を託したのじゃぞ? わしからすれば、大いなる譲歩。相手は五十嵐家と釣り合う家柄の御息女じゃ。関係ができれば、互いのビジネスにおいてこの上ないメリットがあるぞよ」

「イガさんがお仕事を大切にしている気持ちはわかります……でもメリットだけで人は動けません……恋人が五人もいらっしゃるお相手なんて……最初から夢も希望もないじゃないですか」


 困惑顔のイガさんに、私はここぞとばかりに畳み掛ける。


「誰にだって幸せになる権利はあるはずです。人間は感情のないロボットじゃないんですから。後継ぎ問題が大切なのはわかりますが、マナトさんも幸せになれるやり方で進めるべきじゃないでしょうか。大切な人に犠牲を強いた上での一族繁栄なんて、きっと虚しいものですよ」


 しん、とした沈黙が落ちる。

 言われたイガさんだけでなく、擁護したつもりのマナトさんまでもが、唖然とした顔をしており、テーブルは一気にお通夜状態。


(あらら、えっと……)


 我にかえる私。


「あ、あのっ。過ぎた事を……私ったら」


 硬直したままの二人を前に、倍速で記憶をさかのぼる。

 マナトさんはうまくイガさんをあしらっていたし、なんだかんだ二人とも楽しそうだった。


(つまり、ああ見えて仲良くやってた? 煽りあいはスポーツみたいなものなのかな? プロレスってやつ?)


 そんな二人が、今や冷や水をかけられたような態度である。


(バカバカ……! 空気を壊してどうするの! 時よ、戻って……)


 とはいえ、タイムマシンがあるはずもなく。帰宅したら一人反省会だと心に決める。

 こんな事ならさっさと帰れば良かったなあ……。


 と、イガさんの目から、涙が一筋こぼれ落ちた。


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