それから再び数時間が経過し、夕方の六時。飲まず食わずで剣と向き合い続ける礼安を、何とか理由をつけて夕食へと誘ったエヴァと院。エヴァ自体に家事能力がないため、再びバーベキューであったが。
皿にどんどん乗せられていく、十分に焼かれた肉と野菜。しかしそれに目もくれず、ずっとエクスカリバーについて、ベランダ側で思考する礼安。
「礼安さん、礼安さんの好きなお肉でしてよ。たくさん食べてうんと育ってくださいまし」
心ここにあらずといった様子で、礼安は無気力な返事を繰り返すばかり。
「……駄目ですわ、大好きな塊のお肉でも釣られません」
少し考えた後、エヴァは礼安の側に近づく。
「礼安さん、少しいいでしょうか」
それに対し、生気のない返事をする礼安。そんな礼安を少しでも気を変わらせるために、エヴァが取った行動。
それは、礼安の頬へのキスであった。
流石にそれに対して驚いたようで、照れによって顔を真っ赤にし、素っ頓狂な声を上げて飛び上がる礼安。その拍子にデッキテーブルに膝を思い切りぶつけたようで、猛烈に痛がっていた。
礼安の膝をさすりながら、聖母のような微笑でエヴァは続けた。
「今一度、原点に戻るときです。礼安さんは、礼安さんたらしめる原点の願望や欲望を思い返してみてください」
礼安は、今一度あの時と同じような景色を眺める。
そこにあるのは、人の営み。どれだけ傷心状態にあったとしても、自分を支え続けてくれていた、大切な『赤の他人』。そしていかなる状態にあろうと隣にいる、大切な『友達』。礼安は昔から人望が強く、多くの人の施しを受けてきた。
そしてそれは、いつだって自分が自分のために、そして他人のためにおせっかいを焼き続けた。『自分のために、友達も、赤の他人も助ける』。それこそが、お人好しな礼安にとっての原点であり、答えであった。
「我儘だけど……私らしい願いだから。これでいいんだ、きっと。これが、私が英雄であるための存在証明だったんだ」
「礼安さん存在証明なんて難しい単語よくわかりましたわね」
エヴァに「それ今言うべきじゃあないです」と、かなりの速度で言われ反省する院。しかし、礼安の中で答えは今見つかったも同然であった。
今なら、エクスカリバーは応えてくれる。礼安の願いを聞き届け、その願いに歩みを進めるための助力をしてくれる。そんな確証が礼安の中に芽生えた。
しかし、その時であった。
突如として、それぞれのデバイスが着信音を鳴らす。それぞれが画面をつけると、そこにいたのは、怪人化したフォルニカであった。
『あー、テステス。この映像は、あらゆる映像媒体をジャックして放映しております。ドンミスイット、って心持ちです、はい』
三人の表情が一気にこわばる。和んだ場の空気も、一気に引き締まった。
『あと一時間後、昨日暴動を起こした渋谷のスクランブル交差点にて、我々教会による殺戮パレードを執り行います。それが嫌な人は、次の画像の人物を生死問わず渋谷に連れてくることです。懸賞金は――一人頭一億、でどうでしょう』
画面に映し出されたのは、礼安と院、エヴァに丙良。そして、フォルニカの当初のターゲットであったクラン。
そのゲリラ放送のチャット欄が、大雨によって生じる濁流の如く流れていく。
『この人見たことある』
『え、有名な英雄いるじゃん! 何で』
『丙良さんは知ってるけど他知らんし』
『殺戮ショーとか逆に面白そう』
『こいつらの身柄持ってったらワイらの危険は無いってこと??』
大半のコメントが、自分に被害がいかないと高をくくっている人間の発言であった。
エヴァや院がそれぞれに「最低……」と苦言を漏らすも、礼安は違っていた。先ほど固まった強い決意によって、体が動いていたのだ。
上着を羽織、変身用アイテムとデバイスを手に持つ。しかし、向かおうとする礼安を二人は制止する。
「待ってください礼安さん、もう少し情報が固まってからでも……」
「そうですわ、まず貴女覚悟が固まったとはいえ、まだエクスカリバーが覚醒していない今の状況で、完全に勝てる見込みはほぼありませんわ。それに事実上の指名手配状態にある今、我々が出向いたら大騒動は確実です。だから……」
しかし、礼安は足を止めることは無い。
「今ここで、私たちが出向かなかったら、誰かが傷つくかもしれない。黙って見過ごすことはできないよ」
それに、と付け加えると、礼安はニッと笑って見せた。
「99%勝てない戦いでも、1%くらいは可能性があるなら、賭ける価値はあるよ。0%なら厳しいけど、その1%に勝負するのはゲーマーとして当然、私にとっては心が躍る数字ってやつだよ!」
先ほどまでの思いつめていた礼安とは打って変わって、いつも通りの明るい礼安へと戻っていた。あのキスの影響か、はたまたそれによって思考が完全リセットされたからか。
ここ最近明るい礼安を見ることが極端に少なくなっていたために、久しぶりに見る太陽のような笑顔がとびきり眩しく感じられた。
そんな笑顔に後押しされて、二人は完全に根負けした。慎重派かつ礼安のストッパーであるはずの院も、同じく事態を俯瞰的に見ていたエヴァも。
「……何でしょうね、貴女の笑顔を見ていると、不思議と元気が湧いてきますわ」
「これが……私が好きになった英雄、私の目に狂いは無かったんだ」
戦地に赴くはずの三人の表情は、どこかリラックスしているような表情へと変わっていた。たった一人が起こした希望の波は、二人へと伝染したのだ。
「行こう、二人とも。決着をつけに行こう!」
無言の肯定の後、三人は渋谷へと向かったのだった。
学園都市内の大きな病院。そこには、事態をテレビ越しに見つめる一人の女性がいた。
「……私がカモろうとした人は、こんな世の中を動かしうる人だったんだ。本当、私って人を見る目があるんだか無いんだか」
ベッドで上体を起こしてテレビを見つめるシスター服の女性。側には、無理やり外されたと思われるチーティングドライバーが置かれていた。
思い返せば、女の人生はなあなあで生きてきた人生だった。
とある中小企業のOLとして新卒社員として仕事をし始めたのはいいものの、スケベ親父しかいなかったためセクハラが絶えず、少しでも今を良くしたいとぼんやりとした理由で転職。その次の職場もなぜかセクハラ地獄のために心を病み一年経たず退職。
精神病にかかった女が頼ったのは、怪しい宗教であった。その怪しい宗教は戦力と規模を徐々に拡大し、女もチーティングドライバーを与えられた。
精神汚染により制御こそ不可能であるものの、戦闘できないことは無かった。暴力に訴え自身の思うままに過ごす、そこまで不自由のない生活を送ってきた。
しかし、女の心の中ではどこか迷いがあったのだ。
「――誰かを案じ続けるあの子とは、大違いだなあ」
テレビに映る、騙そうとした張本人。自分より十歳は離れた子供に、先日助けられた。騙そうとした人間であったのに、意に返すことなく、まるで脊髄反射のように助けられた。
思考と力を制御しきれないとはいえ、そんな恩人の友人を襲ってしまったことも、ふとよぎってしまう。
「私、自分の幸せのために誰かを不幸せにし続けるんだなあ」
そう思った瞬間。そう自分の口から漏れ出た瞬間であった。そんな自分に虫唾が走った。嫌気がさした。
何せ、過去自分にセクハラを繰り返し、最終的には自身の『初めて』すら奪ったような外道と同じ道を辿っていたことに気が付いたのだ。
被害者が、いつの間にか加害者に。
女は、テレビを消し自身の手に目をやる。
あの時、サソリの化け物と対峙し、勝利を収めた少女に握られた手。装甲越しではあったが、確かに少女の優しさを感じ取った。今まで人の善意やプラスの感情に触れる機会が無かった女にとって、奇跡的な瞬間であった。
「……あの子、多分狙われるよね。きっと、あのクソ上司みたいに心無い人が自分の命惜しさに狙うんだろうな、きっと」
女が紡ぐ言葉は、誰に向けてでもない、自分の中身との対話のために紡がれたものである。
フォルニカの噂はかねがね聞いていた。あの上司のように、己の無尽蔵に湧き続ける性欲のために動き続ける、最低最悪の男。
そんな男に狙われる、自身の命の恩人。しかも、過去騙そうとした相手。
「どっち側につくかなんて、決まったようなもんでしょ、コレ」
体に刺さった検査用の管や点滴の針を乱暴に抜き、ベッドから立ち上がる女。多少の出血など関係なしに、チーティングドライバーを手にとって外へと向かうも、警告音が鳴り、ナースやら医師やらがわらわらと寄るも、女はそれでもと医者たちを撥ね退ける。
「私の中に! ようやく本当にやりたいことが生まれたんだ!」
女は外へと出た瞬間に、空へと高くジャンプする。多くの人の視線が希望と覚悟を背負い、チーティングドライバーを起動させる。
「変身!!」
『Loading……Game Start』
禍々しい変身音と共に変身したその女の姿は、以前のような姿ではなかった。
瞳や耳が無いのはそのままであったが、右腕は刃こぼれが一切ない剣の姿に変貌。左足はすらりとした脚へと進化したのだ。翼を進化によって獲得し、大空を翔ることが可能となった。
「私は、あの子に救われた! 今度は、私が助ける番だ!!」
女……もとい、
ひとり、学園都市の隅で海を眺める男がいた。クランであった。たった一人で、今後を決めかねていたのだ。
無論、フォルニカによる電波ジャック放送は目にした。その中で、抗うか従うかの二択の決断を迫られていたのだ。
思い出すのは、久しく感じることのなかった、誰かの温もり。自分を殺せる現時代の因縁の相手。しかし、優しすぎるがあまり、断固たる決意を胸にしていた男でさえ、大きく揺らいでしまった。
「……瀧本、礼安……」
思い返せば、彼女の悲しそうな顔ばかり。涙が未だ乾かぬ、男の右袖半ば。
「誰かを悲しみのどん底に叩き落としてまで、叶えたい願いというのは、いったい何だろうな」
その言葉は、知らぬうちに自身の中にある英雄の因子にすら響いたようで、クランの目の前に幻覚が現れる。ペリノア王であった。
『……私は、戦友と戦って、名誉ある戦死をしたいと、心の中で強く念じてきた。しかし、君の心は……そうは言ってないように聞こえる』
「……俺は」
(私がいる限り、貴方が生きることを諦めないで)
その言葉が、ずっと心の中で反響している。間違いなく、五百年前にその言葉を聞いたら意識が百八十度変わっていただろう。しかし男の心は、その温かな言葉と使命感という名の意地と絶望でせめぎあっていたのだ。
「――俺が歩むべき未来は、何が正しいのだろうな」
ペリノア王は、相好を崩しクランの肩を優しく叩く。
『……これは、君が生まれるより百数年前に生きていた、行き遅れの人間の、戯言と考えてもらっても構わない。私は戦いの中で名誉ある戦死を遂げた。あわよくば、もう一度血液が沸騰するほどの熱い戦いをしたいとも考えたさ。しかしだ、君の生きたいという強い願いを蹴ってまで叶える願いではないのだ、あくまで努力目標、というものさ』
夜の海を眺めながら、ペリノア王はクランの中に消えていく。
『ゆめ忘れるな、クランよ。あらゆる人間の、原初の命題となりうる……『生きたい』という願いは、無碍にするものでは無いぞ』
最後は、一人の騎士として、少しばかりの厳格さを残しつつ、彼なりの優しさでクランの背を押した。
ひとり夜の砂浜に残されたクランは、自身の中に既に芽生えていた願いに気づいたのだ。
「そうか、俺はまだ……生きたかったのか。使命と意地の間でもがいていただけだったのか。そうか、そうか……」
チーティングドライバーを手にし、月を眺めるクラン。
今まで見えていた世界は、どこかモノクロのフィルターでもかかったかのように、とても苦しく、辛いものであった。しかし、今はどうだ。自身の本当の願いに気づいた今は、色の濃淡、輝き、強さなど、全てが今までにないほどはっきりと見える。
思わず、数百年の間縁のなかった涙が零れた。あまりにも、嬉しかったのだ。
「こんな俺でも、誰かのために戦えるのかな」
返事は無い。しかし、もしここに礼安がいれば。諸手を叩いて賛同してくれる。そんな根拠のない確信が生まれるほど、現在の胸中は希望に満ち溢れていたのだ。
『待て、クラン。これを。あの武器の匠の家で埃をかぶっていたがために、くすねたものだが……今のクランであったら、きっと似合うものだ』
ペリノア王はクランを引き留め、あるものを手渡す。数百年には無かったものではあるが、数百年前と今のクランには一番似合う代物。
「そうか……これは後であの匠に頭を下げないとな」
心の中で、渋谷のスクランブル交差点を強く念じる。
「待っていろ外道、今向かう」
一瞬にして目的地に向かうため霧散。月明かりに照らされた砂浜は、男の涙をも、乾き飲み込む。
一方丙良は、というと、神奈川埠頭にいた。微動だにすることなく、フォルニカを待つ。
やがてほんの少しの後、フォルニカはその場にやってきた。現場には、丙良とフォルニカの二人のみ。不敵な笑みを抱えながら、ゆっくりと歩いてきた。
「いやはや、まさか自首してくるなんてさ。こればっかりは予想外だったよ」
「だろうな、これはどこにも明かしてない。この場にいるのは、僕一人だけだ」
へえ、と漏らすとすぐさま丙良の首元にナイフをかざす。一歩でも動いた瞬間、すぐさま皮どころか肉が切れてしまいそうなほどの近距離。
「少しばかり疑念は残るが、邪魔が一人いなくなるなら結構」
丙良は目を閉じ、微動だにしない。覚悟は、とうに決まっていたのだ。
「教会に仇名す者に、死を」
ナイフを思い切り、振り切る。首から大量に溢れ出すのは――大量の砂。
一瞬の困惑の後、丙良だった砂人形が口角をらしくもなくめいっぱい釣り上げて笑って見せた。
「誰がお前なんかに首を明け渡すもんか。渋谷でドンパチが楽しみ過ぎて思考が死んだか?」
「クソッ……タレぇ!!」
砂人形の顔面に、怒りのあまり思い切り右拳を振りぬく。水分が無く粉々に砕け散ったものの、どこからか聞こえてくる丙良が港に反響する。
「渋谷で、僕の信頼のおける仲間たちと共に、お前らを迎え撃つ。お前らの好きになんて絶対させないよ」
苛立ちがピークになった中、丙良の砂人形の中から「仕事人が騙されてやんのバーカバーカ☆」と直筆かつ達筆なタペストリーが出てきた。それを全力で踏みにじり、砂の塊を思い切り蹴り飛ばす。
「お前らァ!! 指名手配した英雄連中を全員ぶち殺すぞ!!」
側に隠れていたフォルニカの部下たちが無言の肯定をすると、怒り心頭のフォルニカたちはクラン同様霧散し渋谷へと向かった。
「これでおちょくる第一段階は終了、アイツカンカンだったな」
とあるビルの屋上にて、来るであろうメンバーを待ちわびながらけらけらと笑う丙良。
ひとしきり笑うと、表情が一気にいち英雄としての真剣な表情へと戻る。
心の中で反響するのは、昔のこと。
(貴方が居ながらこの様は何です)
(忌々しい疫病神め)
(私の子供を酷い目に合わせて)
嫌な台詞ばかりがよぎる。心無い誰かから言われた、凶器のような言葉の数々。
(今度は、うまくやろう)
自分の中で、自分の心境を反響させる。それが昔から続く、彼なりの事なきを得るためのおまじない。
ふとビル下に目をやると、そこには騒動を今か今かと待ち望む野次馬ばかり。そんな酷い現実に目をそむけたくなるも、丙良は仕事だと割り切ることにした。
「人ってのは、こうも醜くなれるものなのかな」
軽く失望しながらも、その時を待ちわびる。
六者六様、それぞれが純粋な一つの目的のために動き出す。