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第13話   お熊姫にほめられた下僕

 隠密廻り同心高島右近が、久方ぶりに道場へやってきた。


 例によって酒肴持参である。


 稽古の後は四人が車座になっての酒盛りとなった。


「呉服商いの中村屋を襲った賊についてまだ何もつかめておらぬのでしょうか」


「拙者は掛かりではないゆえ側聞でしかないが……。賊どもがいずこへ消えたものやら分からぬ。一仕事終えてすぐさま市中から退去したやもしれぬなあ」


 右近はまったく興味がないふうで、中村屋の話はそこで途切れてしまったが、


「ところで、墨伝先生、昨日、小船町の竹富の主が殺害された一件を御存知ですかな。死体はここからさほど離れておらぬ回向院の水垢離場付近で見つかったのですが」


 墨伝の湯呑み茶碗に、恭しく酒を注ぎながら言い出した。


「はて、小船町の竹富とな?」


 首をかしげながら、墨伝が聞き返した。


 煮染めに箸をつけようとしていた熊が手を止めた。


「質屋の竹富なら存じております。その竹富でしょうか」


 思わず身を乗り出した静馬だったが、次の瞬間、しまったと慌てた。


「おお、そうだ。目立たぬ場所にある小体な質屋なのに、よう存じておるな」


 右近が不思議そうに顔を向けた。


「足腰の鍛錬と思い、江戸市中をくまなく歩き回っております。このような場所で商いが成り立つのかと不可思議に思ったゆえ覚えておりました」


 さりげない笑顔でごまかした。



(危ない、危ない。質屋通いはあくまで内緒だからな)


 やりくりに詰まった際、いつも竹富を利用していたが、墨伝やお熊には内密にしていた。


 今は、お熊が新調した振袖の代金を工面するために、無断で古い茶道具を質入れしていた。



 墨伝は財物に恬淡である。


 本家から分け与えてもらった先祖伝来の名品にも無頓着で、裏庭にある崩れかけた土蔵にしまい込んだまま放置していた。


 蔵から何かが消えようが、気づかぬまま一生を終えそうである。


「主人六蔵の死体が見つかったのだが、心ノ臓を一突きだった。昨日の今日なので、今のところ下手人は挙がっておらぬ」


「先日の押し込みとは無縁なのでしょうか」


 お熊の黒い瞳がきらめいた。


「六蔵は質屋の寄合の帰り道に襲われた。懐中物は無事であったし、おそらく関連はあるまいな。ま、この一件も拙者の掛かりではないゆえ詳しく知らぬがな」


 右近の話はそこでぷつんと途切れてしまった。


「そのような話はさておき、今宵は大いに吞もうぞ」


 墨伝はだいぶ酔いが回った様子である。


「わたくしは、少々、書見いたしますゆえ、これにて……」


 お熊は座を外して、さっさと自室に戻ってしまった。


「お熊は感心なものじゃ。文武両道を目指しておる。ひるがえって静馬は書物などとんと紐解かぬではないか。そのようなことではどうする」


 墨伝の言葉がしだいにくどくなった。


(酒を呑むとどうもいかん。あの日、とんでもないことになったのも酒のせいだったからな)


 恨みがましい眼差しを向けたが、墨伝は気づく様子もなかった。


(ここらでもう止めぬといかんのだが弱ったな)


 右近が持参した上酒はまだまだ残っている。


 目が据わり始めるとさらに怖い。

 いちはやく逃げ出したお熊が恨めしくなった。


「おい、静馬、聞いておるのか」


 くだを巻き始めた墨伝に、へらへらと愛想笑いで応じるしかなかった。






 数日後、質入れしていた茶道具を取り戻すため、小船町にある質屋竹富を訪ねた。


 墨伝が急に『近々、兄上が江戸に出てこられるので、あの茶器でお熊に茶など点てさせよう』と言い出したからだった。



 小船町は海産物などの船積問屋でにぎわう町だったが、竹富は繁華な表通りから一筋入った新道の人目につきにくい場所にあった。


 この店を選んだわけも、墨伝やお熊に、質屋通いを知られたくないからだった。



 店は主が殺害されてから五日後に再開され、何事もなかったように、貧相な体つきの小僧が一人、乾いた通りにのんびりと水をまいている。


 店は奥に長く、裏手にある蔵は堀に面していた。


 暖簾をくぐると、色の黒い痩せた男が帳場に座っていた。


 静馬と入れ替わりに、商家の内儀風の女が、人目を避けるように出ていく。


 静馬の挨拶に、男が如才なく頭を下げた。


「清兵衛と申します。今まで諸国を商いで回っておりましたが、兄六蔵が亡くなったもので、店を引き継ぎましてございます。今後ともご贔屓にお願いいたします」


 先ほどの小僧が清兵衛の脇にちょこなんと座して、女から預かった着物を畳紙に包み始めた。


「実は工面がつかぬので別の質草を持参しました」


「さようでございますか、まずは拝見いたします」


 清兵衛は静馬が持参した古い掛け軸を検め始めた。


 小僧は紐で十文字に縛った着物を蔵にしまうため、店の奥へ引っ込んだ。



 しばしの沈黙の後、


「二分三朱ではいかがでございますかな。差し引き、二朱、お貸しいたします」


 清兵衛はにこやかに笑った。


(掛け軸は思いのほか高価だったのだな。茶器と交換してくれた上に追い貸しまでしてくれるとは、いや~、助かった。この金で何を買うかな。米櫃の米も底を尽きそうだったしな)


 ほくほくしながら暖簾をくぐって通りに出たとき、


「行ってめえりまーす」


 店の奥から小僧が勢いよく走り出てきた。


 お使いを頼まれたのだろう。


 胸のあたりを両手で抱いているところを見れば、銭の入った袋を持たされているらしかった。


 昼日中とはいえ、小僧一人で物騒ではないかと気掛かりになった。


「どっちへ行くのだ。同じ道筋なら一緒に行ってやろう」


 静馬の邪気の無い笑顔に小僧は、


「ありがとう。おいら、菊松ってんだ」


 人差し指で鼻先をこすりながら嬉しげに答えた。




 万橋を渡れば新材木町で、東堀留川に沿った細長い町は、竹木薪炭・米の集散地としてにぎわっていた。


 荷を積んだ大小の船が川面を行き交っている。


 東側に椙森稲荷神社の杜のこんもりとした木々が見えた。


 道々、菊松はこましゃくれた口ぶりで妙な話をし始めた。


「今の旦那さんの一人息子で、春吉坊ちゃんって子がいるんだけどね。三日くらい前から、『おいらは六蔵だ』って言い出したもんだから気味悪くってね」


「ふうん。亡くなった六蔵さんの生まれ変わりだっていうわけか。なるほどこりゃあ怪異談だな」


「まだ五つの春吉坊ちゃんが知るわけない商いのことまで話すもんで、今の旦那さんも困ってるんだ。おいら怖くってよ。奉公を辞めてえんだ」


 菊松は心底脅えた表情をみせた。


 親元を離れて奉公している菊松は頼れる者がいないのだろう。


 ただでさえ奉公はきつい。よけいな心配事を抱えてはかわいそうだった。


「菊松、気にせぬことだ。怪異など本当はどこにも無いのだ。気にしていると何でも怪しい出来事に思えてしまうぞ」


 確かに解き明かせぬ怪異もあるが、手掛かりが無いだけである。


 今ある智恵では難しくとも、後の世ならたやすく説明できるだろう。


「嘘じゃねえ。この世の中にゃ、お化けも幽霊もいらあ。生まれ変わりだってほんとの話だよ。何で信じてくれないの」


 怪異を信じている者を簡単に説得することは難しい。


「分かった、分かった。菊松を信じるよ」


 腰を落とすと、両肩に優しく手を置いて目線を合わせた。


 母なる海を思い浮かべるような笑みで、菊松をそっと包み込んだ。


「考えてごらん。殺された六蔵さんが生まれ変わったのなら、もう一度、人生をやり直せるのだから、六蔵さんにとっちゃ、けっこうなことじゃないか。菊松に危害を及ぼすはずがないだろ?」


「それもそうだね。先代はおいらを可愛がってくれてたし」


「そう、そう」


「あ、おいらこの先の小間物屋に用があったんだ。じゃあこれで」


 今までの話がどうでもよかったかのように、突然掘留町の方向に走り去った。


「子供というものは……」


 少しばかり呆れながら、菊松の小さな後ろ姿を見送った。






 翌日の昼下がり、静馬はお熊とともに竹富の店先が見える路地に立っていた。


 菊松から聞いた怪異話をうっかり話したのが運の尽きで、


「なにやら怪しげな臭いがします。調べてみましょう」


 というお熊に渋々同行するはめになったのだ。



「遊びに行ってくる」


「気をつけていきなよ」


「春吉、いつもの明星稲荷さんかい」


 子供の声と清兵衛夫婦の声が聞こえて、店先から小さな男の子が走り出てきた。


 そのまま人影もまばらな通りを駆けていく。



 跡を追おうとしたとき、店の裏手から数人の男たちがわらわらと現れた。 


 いずれも人相風体から見て破落戸か遊び人だろう。


「店の奥から出てきたということは、竹富に関係のある者たちでしょう」


「何か訳ありなことは確かです。ともかくつけましょう」


 春吉の跡を追う男たちをつけることにした。



 朱塗りの鳥居をくぐって境内に入ると、数人の子供たちが遊んでいた。


 寺子屋帰りに寄り道している年長の子供が「おいで」と手招きし、春吉は遊びの輪に加わってかごめかごめに興じ始めた。


 男たちは寺の本堂の陰から春吉を見張っている。


「何も起こらぬようですね」


「もう少し様子を見ましょう」



 ひとしきりかごめかごめが続いた後、子供たちの遊びは隠れん坊に変わった。


 鬼の子一人を残して、子供たちが蜘蛛の子を散らすように散っていく。


 春吉を目で追った。男たちも春吉の動きから目を離さない。


「あ、おじさん。また来てくれたんだね」


 遊びの輪から外れた春吉は、境内の奥へ向かってちょこちょこ走っていく。


 男たちが動いた。

 静馬とお熊も気取られぬよう跡を追う。


 社殿の前にたたずむ人影があった。


 藍色の無紋の着流しに深編笠をかぶって尺八を手にした虚無僧だった。


 首には袋を、背中には袈裟を掛けている。


 春吉は社殿の裏手の石段に腰を掛けて虚無僧と親しげに話し始めた。


 二十間ほど離れているので何を話しているか聞こえなかった。


「お熊どのはこちら側から見張っていてください。わたくしは裏手の雑木林から近づいてみます」


 木漏れ日が差し込む雑木林に足を踏み入れた。


 枯れ葉や折れた枝が地面に厚く堆積していた。


 音を立てぬように細心の注意を払いながら近づく。


「六蔵さん、調子はどうだね」


「うん、良いよ。かごめかごめをしてたんだ。今は隠れん坊だけどね」


「それは上々だ。ところで六蔵さんは、自分を殺した〝頭〟を恨んでいるんだよね」


「う、うん。でも、〝かしら〟って誰?」


「頭の名前は、春吉のおとっつぁんと同じ名じゃないか」


「じゃあ、覚えやすいや」


「だろ。家に帰ったら、おとっつぁんに教えてやりな。『わしは清兵衛を恨んでおる』ってな。おとっつぁん喜ぶぜ」


「分かった」


 春吉は甲高い声で無邪気に答えた。


「六蔵さん、隠れん坊はどうした。今ごろ友達が探してるんじゃねえかい」


 虚無僧はゆっくりと立ち上がると、着流しの裾を払った。


「あ、そうだ」


 春吉は慌てた様子で、ぱたぱたと草履の音を響かせながら駆け戻っていった。




(ははん。怪異の元凶はこの虚無僧というわけか)


 春吉に暗示をかけて、六蔵の生まれ変わりとして振る舞うよう操っていたのだ。




「おい、待ちやがれ!」


 男たちがばらばらと走り出て、裏手から立ち去ろうとする虚無僧を取り囲んだ。


「坊ちゃんに妙なことを焚きつけやがったのはてめえだな」


「怪異が聞いて呆れらあ」


「頭を脅して金を巻き上げるつもりだったんだな」


 男たちは匕首を抜いて虚無僧に襲いかかった。


 土煙がもうもうと巻き上がる。


「それがどうした」


 虚無僧は手にした尺八であっという間に男たちを叩きのめした。


 鮮やかな身のこなしだった。


 地面に這いつくばって呻く男たちに、


「清兵衛によく言っておけ。これ以上、嫌がらせされたくなければ、中村屋から奪った金、二百両全部とは言わねえ。その半分の百両、用意しておくことだな。またこちらから出向くからな」


 言い捨てて立ち去っていった。




(思いがけず呉服商中村屋押し込みの一件とつながったわけか。ようし、虚無僧の正体を見届けてみせる)


 張りきった静馬は気づかれぬよう跡を追った。


 虚無僧は悠然とした足取りで社殿の裏手にまわる。


 一呼吸後れで慎重に続いた。



(しまった)


 社殿の陰から裏手をのぞくと、虚無僧の姿は忽然と消え失せていた。


(どちらに向かったのか)


 もはや何の気配も感じられなかった。



 袴の裾をぱたぱたさせながら駆け寄ってきたお熊に、


「中村屋の一件と生まれ変わりの怪異は関連していました。あくまでわたくしの考えですが、清兵衛は中村屋を襲った盗賊団の頭で、仲間割れで手下の六蔵を殺害したものの、真相を知る虚無僧が怪異を仕立てて揺さぶりをかけているのではないかと思います」


 勢い込んで語った。


「なるほど、悪党を別の悪党が強請ろうとしているわけですね。当たらずとも遠からずでしょう」


 お熊は日焼けした顔に白い歯をのぞかせて、素直に感心してくれた。



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