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第15話 綿丘さんと寿限無さん 

 僕たちは山道を登り始めた。

 綿丘さんが先頭に立って、よく踏みしめられた土の道を登っていく。

 その後を僕が追う。

 ところどころで木の根が露出していたりする。

 足を引っかけて転ばないように気をつけて歩く。


 最初の15分ほどは慣れない登山で息が切れた。

 綿丘さんは僕に気を使いながら、ゆっくりと登ってくれている。

 しだいに身体が登りに慣れて、適度な負荷を楽しめるようになってきた。


 杉林の中で、ウグイス以外の鳥も鳴いている。なんという鳥なのかはわからない。

 綿丘さんが深い呼吸をする音が聴こえる。

 僕も空気を大きく吐き、大きく吸うようにしてみた。

 身体が山に馴染んでいくような気がする。

 やがて道がふたつにわかれていた。


「一方の道は男坂、もうひとつは女坂と呼ばれているの。どちらも頂上につながっているわ。男坂は岩場を攀じ登る急坂で、女坂はゆるやかに登れる道よ」

「どちらを行くの?」

「男坂はなかなか面白いんだけど、ちょっと危険なの。今回は女坂にしよう。もし小鹿くんが登山を好きになったら、いつか男坂を登ってみようよ」

「わかった」


 僕たちは女坂を進んだ。

 険しいところがなくて、歩きやすい道だった。


「僕は運動が割と好きなんだ。たぶん登山も好きになれると思う」

「それはよかった。山登りは気持ちのいいスポーツよ。変わりゆく風景を見ながら歩くのはすごく楽しい」

「そうだね。綿丘さんと話もできるし」

「うん。のんびり行こうよ。小鹿くんと話しながら歩きたい」


 30分ほど登ると小さな神社があって、鳥居が立っていた。

 そこは視界が開けていて、雄大な風景を眺めることができた。

 綿丘さんは平らな岩の上に腰を下ろした。

 僕は隣に座った。


「すごいね。景色が綺麗だ。広々としてる」

「関東平野だよ。あそこの鉛筆みたいな塔は東京スカイツリー、あの辺のビル群は新宿だね。西の山脈の向こうにそびえているのは富士山。今日は晴れて空気が澄んでいるから、遠くまでよく見える」

「綿丘さんのふだんの行いがいいからだね」

「小鹿くんの行いがいいからだよ」


 僕たちは笑い合った。

 心が解放されるようだった。

 ごくごくとスポーツドリンクを飲んだ。

 綿丘さんがチョコレートをくれた。


 小休止を済ませて、僕と彼女はおしゃべりをしながら、山道を登っていった。

 なんでも話せるような気がした。


「昨日もアニメを見たんだ。『俺は巨乳を愛してる』ってやつ」

「うん」

「主人公がヒロインに言ったんだ。『俺はきみが好きだ。でもきみのことをまだよく知らない。きみの顔が美しくて、胸が大きいという以外、ほとんどなにも知らないんだ。きみのことをもっと知りたい』っていうような台詞」

「そう」

「それを聞いたときに感じた。僕も同じことを思っているって。僕は綿丘さんのことを知りたい」


 彼女は笑顔で歩きつづけていた。


「わたしとミチルの話をしてあげようか」

「綿丘さんと寿限無さんのこと? 聞きたい」

「つまらないかもしれないよ」

「話してみてよ。綿丘さんのことがなんでもいいから知りたい」


 最初の山の頂上に到達した。

 標高300メートルほどの低い山だ。

 次の山へ向かって坂道を下りながら、彼女は思い出話をしてくれた。


「わたしとミチルはくされ縁なの。つきあいは長い」

「そうなんだ」

「中学1年生のとき、ふたりは同じ男の子を好きになった。島崎くんといって、可愛らしい童顔の子だった。わたしとミチルは男の子の好みが似ているんだ」

「ふうーん」


 わたしとミチルは一緒に島崎くんに話しかけ、3人はだんだんと仲よくなっていったの、と彼女は言った。


「島崎くんは美術部に入っていて、絵が上手だった。彼はわたしやミチルの似顔絵を描いてくれた。わたしたちは島崎くんが大好きだった」

「つづきが気になるね」

「中1の秋、とうとうミチルは島崎くんに告白すると言った。抜け駆けはしたくない。一緒に告白して、どちらかを選んでもらおうよとあの子は言った。でもわたしには告白する勇気がなかった」

「うん」

「で、ミチルはひとりで告って、晴れて島崎くんと恋人同士になったというわけ」


 山道はどこまでもつづき、森は深くなっていった。

 白いセキレイが梢に止まっていた。


「話はそれで終わりじゃないんだ。わたしの胸は中学に入ったときすでにそれなりに大きかったんだけど、その後さらに膨らんでいった。中2の頃はメロンくらいの大きさになって、男の子たちからちらちらと見られるようになっていた。島崎くんもちょっといやらしい目でわたしを見るようになった」


 僕と綿丘さんは積もった落ち葉を踏んだ。

 枯葉がくだける乾いた音がした。


「中2の夏、島崎くんはわたしのことが好きになったと言ってきた。ミチルはどうするつもりなのとわたしは訊いたわ。綿丘さんとつきあえるなら、彼女とは別れるって彼は言うの。そんなことを言う島崎くんのことが、わたしはもう好きにはなれなかった。わたしの胸を見る彼の視線もなんだか嫌だった。わたしは彼とはつきあわなかった」


 林の切れ間から遠い山脈が見えた。

 それは青く霞んでいた。


「ある日、ミチルがわたしに言った。島崎くんを振ってやったわ。もうあんな人好きじゃないって。泣きながら言ってた。ミチルは島崎くんの気持ちが、わたしに向かっていたのに気づいていたと思う」

「それからどうなったの?」

「島崎くんとの話はそれで終わり。その後、ミチルは自分の胸を美乳と言い張って、わたしの胸をライバル視するようになった。あの子、ちょっと変わってるのよ。わたしの胸は中3のときには巨乳とか爆乳とか言われるサイズになって、道ゆく男の人たちからじろじろと見られるようになってしまった」 


 僕たちは岩場を通った。

 ぐるぐると渦を巻く模様が岩に刻まれていた。

 それはアンモナイトの化石なのよ、と綿丘さんが教えてくれた。遠い昔、ここは海の底だったの。


「島崎くんとのことが終わった後も、相変わらずわたしもミチルも童顔の男の子が好きだった。わたしたちが好きになる男の子はたいてい同じ人なの。中3のときは安藤くんという男子をふたりとも好きになって、ミチルはさっさと告白した。ミチルと安藤くんは3か月くらいつきあっていたみたい」


 熊の目撃情報を知らせる看板が太い木の幹に結びつけられていた。

 このあたりのどこにでも熊はいるみたいよ。わたしは見たことがないけれど、と綿丘さんは言った。


「わたしも恋人が欲しいと思うようになった。次に男の子を好きになったら、ミチルに目をつけられる前に、速攻で告白しようと決意した。そして高校で小鹿くんと出会ったの。最高に好みのタイプなのよ、きみは」


 綿丘さんは僕を熱っぽい目で見つめた。


「わたしも小鹿くんのことを知りたい。わたしはきみがカワイイ童顔でアニメが好きでクロールが上手だってことくらいしか知らない。きみのことをもっと知りたい。そうだね、たとえば、小鹿くんと草原すみれさんとのことが気になってる。教えてほしいな」

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