人間やこの世ならざる者にも寄生する怪異・ネクロファグスの生態を探るべく、人体実験を行ったと言い放つ
一方で、モロが実験を行わなければネクロファグスの脅威がわからないままであったことを考えると、頭ごなしに否定もできない。
完全に納得できないながらも、やがて迫り来るかもしれない脅威の詳細を少しでも把握しておくために、シゲミは質問を続けた。
シゲミ「ネクロファグスの足取りがつかめないと言っていたけれど、生態調査を行ったのなら大まかな予想はできるんじゃない?」
左手の人差し指を曲げ、唇に当てるモロ。5秒ほど思案し、答える。
モロ「研究途中ではありましたが、ネクロファグスが寄生憑依をする目的はとても単純なものだと思われます。自身が除霊されるリスクを可能な限り抑えるため、強い生物や怪異の中で暮らし続けること。要するに、強固な
シゲミ「300mもある巨大な怪異に寄生憑依していたのも、自分を守るためね」
モロ「おそらく。そして自身を危険に陥れる敵……地球上の全生物の中で圧倒的な戦力を持つ人類を攻撃し、安全を確固たるものにする」
シゲミ「ポコポコもそうだけったけど、人間を目の敵にし過ぎじゃないかしら」
モロ「怪異を殺してきた私たちが言えた口ではありませんよ。」
シゲミ「……そうね」
モロ「私が回収したのはネクロファグスが入っていた巨大怪異の脳だけ。体は深海に残っています。ネクロファグスにとってあれほど大きく、安全な
シゲミ「ならば海を目指す……どこの海に沈んでいるの?」
モロ「アメリカ西海岸、カリフォルニア州の沖合です」
シゲミ「ネクロファグスが見つからないのなら、お目当ての体を先に破壊するのもありね」
モロ「たしかに……では『
シゲミ「何もせず指をくわえて待ってるより遙かにマシよ。特定できたら、連絡をくれるとうれしいわ。破壊するのは私の得意分野だから」
モロ「ありがとうございます」
頭を下げ、シゲミにつむじを見せるモロ。
シゲミ「けど、ネクロファグスを始末しない限り、根本的な解決にはならない。別の怪異を宿主にする可能性だってある」
モロ「はい……今さら言っても遅いですが、ネクロファグスをポコポコに寄生憑依させるプランもあったのです」
シゲミ「えっ?」
モロ「私たち『魎』は怪異を駆除する手段としてポコポコを利用しようと考えていました。しかし、ポコポコが自分から私たちに協力してくれるとは思えません。そこでネクロファグスをポコポコの脳に寄生憑依させて意識を奪い、コントロールできないかと研究を進めていたのです」
シゲミ「あえて言葉を選ばずに言うけど、清々しいほどの外道ね。ちょっとだけポコポコが可哀想に思えてきたわ」
モロ「もしポコポコの脳にネクロファグスが入り込んでいたら、シゲミさんたちがポコポコを除霊した際にネクロファグスも道連れにできました。もちろん、高いリスクがありましたが。ネクロファグスは宿主の脳を完全に支配し、身体能力を限界まで引き出します。体が壊れないよう脳がかけているリミッターを強制的に外して操るのです」
シゲミ「あれ以上強くなったポコポコと戦ってたら、私はここにいなかったわね」
左手で口元隠し、ふふっと笑うモロ。シゲミは「笑い事じゃない」と言いたげな鋭い目つきでモロをにらむ。
モロ「たらればの話をしても仕方ありませんね。ネクロファグスは脱走した。その事実を受け止め、できるだけの対策を練ろうと思います。場合によっては、いやほぼ確実に、シゲミさんたちに改めてご協力の依頼をさせていただくでしょう」
シゲミ「高くつくわよ」
モロ「わかっています。たとえ何兆円お支払いしたとしても、危険な怪異は必ず滅ぼしたいのです」
モロの表情から笑顔が消える。その両目は洞窟のように暗く、光を失っていた。シゲミは同じような目をした人間を何人も見てきた。怪異により大切な人を奪われ、絶望の底に沈んでいる者の目。
シゲミはソファの背もたれに体重をかけ、両足を組む。
シゲミ「モロさん、アナタの依頼は引き受ける。でもアナタの個人的な復讐に付き合うつもりはない。あくまで、無関係な人たちを守るためよ。もしネクロファグスの駆除と人々の安全を天秤にかけるような事態になれば、私は後者を優先する。それだけは覚えておいて」
モロ「ええ。わかっています」
モロの返事を聞き、ソファから立ち上がるシゲミ。応接室から出ようと、ローテーブルに沿って左横に2歩移動する。その直後、何かを思い出したかのように足を止め、モロのほうへ視線を戻した。
シゲミ「最後に1つだけ。ネクロファグスが海を目指すとして、小さな虫の体で『魎』本部があった東京の西部から海まで移動できるものなのかしら?一番近い東京湾でも50km近く離れてるけど」
モロ「可能でしょうね。ネクロファグスは次々に宿主を変えます。より強く、大きな宿主を見つけると乗り換えるのです。最初はネズミなどの小動物を選び、次に捕食しようと近づいてきた猫やカラスに寄生憑依。やがて人間にたどり着くでしょう。人間の体を操作できれば、電車にもタクシーにも飛行機にも乗れますから、理論上どこへでも行くことが可能です」
シゲミ「……あまり悠長にしてられないわね」
モロ「ネクロファグスに寄生憑依された宿主に外見的な変化はないと言いました。ですが、以前の宿主からは考えられない不審な行動をとる場合、寄生憑依されている可能性が高いです。もしシゲミさんの周りで不審な人物を見かけたら、この屋敷まで連れてきてください」
シゲミ「無理ね。私の近くには不審な人物しかいないから」
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PM 5:25
東京都内某所 住宅街
黄色い校帽を被って黒いランドセルを背負った少年がしゃがみ、民家と民家の隙間を覗いている。「おいで、おいで」と呟き、手招きをする少年。隙間の奥のほうから、1匹の猫がのそのそと歩いてきた。頭から背中にかけて茶色で、手足と腹部は白い毛に覆われている。
少年は、足下までやってきた猫の脇に両手を入れ、持ち上げる。猫はされるがままで、一切抵抗しようとしない。
少年は猫の顔をまじまじと見つめた。
少年「大丈夫か?ご飯食べてないんじゃないのか?」
猫は少年の問いかけに答えるように「にゃー」と鳴く。その声はしゃがれており、力がない。
少年「元気がないな……ウチに連れてってあげる。昨日、お母さんが山のようにツナ缶を買ってきたから、いっぱい食べていいよ。中毒症状が出るまで食べていいから」
猫は短く「にゃ」と鳴くと、目を開けたまま頭を後ろに倒した。まるで魂が抜け出たかのように、動かなくなる。「しっかりしろ!」と叫び、猫を前後に揺さぶる少年。しかし、頭がガクガクと前後に揺れるだけで、動き出すことはない。
少年の両目から、大量の涙が流れ落ちた。もう少し早く見つけてあげれば、という無力感で心が溢れる。ぎゅっと目を閉じ、猫の亡骸を胸に抱きしめる少年。そのとき、猫の口から褐色の細長い
何かは先端をゆっくりと左右に動かし、少年の顔の正面でピタリと止めると、猫の口の中から勢い良く飛び出した。何かの先端が少年の右目の隙間からまぶたの中に侵入する。1秒足らずで、30cmほどある全身を少年の目の中にねじ込んだ。
右目を走る激痛で「がぁぁぁっ!」と悶絶する少年。抱えていた猫の亡骸を離し、うずくまりながら両手で右目を押さえる。
通りかかった50代くらいの女性が少年の悲鳴を聞き、異変を感じて「僕、どうしたの?」と後ろから声をかけた。
少年は叫ぶのをやめると、すくっと起き上がり、女性に「何でもありません」と一言。猫の亡骸を踏みつけ、その場から立ち去った。
<ネクロファグス-完->