ついにエリックがレナンを迎えに来る日となった。
レナンは朝から支度に追われ忙しい、アドガルムに行っても恥ずかしくないよう出来る限り侍女達に着飾ってもらう。
以前の時のように体に合わない衣装ではなく、きちんと仕立てたドレスだ。
「レナン様がこのように嫁がれる日が来るなんて……」
目元に涙を浮かべてそう言うのはレナンの専属侍女である、ラフィアだ。
何とも言えない寂しげな表情をしながらも、いつも以上に気合を入れてレナンにメイクを施していく。
人質になる為とはいえ、大事な輿入れだ。手を抜くわけにはいかない。
「このような結婚でレナン様は幸せになれるのでしょうか……心配でなりません。あのような冷たい目をした人がお優しいレナン様と一緒になるなんて」
ラフィアなどの侍女達はあの時のやり取りを見てはいない。
遠巻きに見たエリックは、確かに笑みもなくただ冷たい目をした男でしかなかっただろう。
「そうかしら。わたくしには優しい人だと思えたわ」
実際に話しをし、庇ってもらえたレナンからではエリックに対する見え方がまるで違っていた。
「それはレナン様がお人好しなだけです」
ラフィアはすぐに人を信じてしまい、悪しくいう事もないレナンが心配でしょうがない。
レナンの母親もそういう類の人だが、この母娘は人が良すぎるのだ。
レナンの母は側室の一人で、とてもそっくりな性格をしており、ぽわぽわとした雰囲気をしている。
「私もお供します、絶対にレナン様につらい思いはさせません」
味方のいないアドガルムに行ってもレナンに不自由をさせないよう、ラフィアはぐっと決心した。
◇◇◇
「迎えに来ましたよ」
エリックとその従者たちが和やかにレナンに微笑みかけた。
対照的にパルスの国王ヴィルヘルムと王妃アリーシャは硬い表情をしている。
側室達も参列しレナンを見守るが、レナンの母トゥーラは目に涙を湛えつつ、笑顔だ。
政略とはいえ、娘の晴れ姿をこうして見れたのは嬉しかったのだろう。
書類上の婚姻で、復興が終わるまでは式など望めない今この場が披露目の場となる。
「先日お会いした時も綺麗だとは思ったけれど、本日もまた一段と麗しい。幸せにしますよ」
愛の言葉をこの場で語るのはレナンの母を慮ってくれたのか、とうとう母が泣き出してしまったのがレナンの目の端に映る。
「お待ちください」
差し出されたエリックの手をレナンが取ろうとした時、ヘルガの声がその場に響いた。
◇◇◇
レナンの輿入れを前にヘルガが立ちはだかった。
それだけではない、何とヘルガも輿入れの準備をして来たのだ。
付き従う侍女の数も、用意された宝石類も、レナンの比ではない。美しく着飾るドレスも格段に上で、ヘルガはこの場で誰よりも美しく煌めいていた。
「私も共にアドガルムへ行きます。数日一緒に過ごせばきっと私の良さを知ってもらえます」
レナンは、ただただ驚いていた。
ヘルガの提案が良くないことだとは、レナンですらわかる。
国王ヴィルヘルムも驚きの表情をしていたが、その隣の王妃アリーシャは全く動じていない。
「エリック様。ヘルガは我がパルス国でも類を見ない美しさと頭脳を持っています。宗主国の王妃に相応しい度胸も持っています、そこのレナンよりも」
アリーシャは蔑んだ目と声でレナンを責める。
(この人は、変わらないわね)
昔からアリーシャはレナンとその母に向けて悪意を向けて来ていた。居た堪れなくなり、レナンは目を伏せる。
エリックの方を向くことが出来ない。
「ご遠慮願います」
ヘルガの言葉もアリーシャの言葉にも動じず、きっぱりとエリックは拒否をした。
「この前俺は宣言したはずですよ、レナン王女との婚姻は覆らないと。お忘れですか? ヘルガ王女」
先程の笑顔など欠片もない。
従者たちも表情を消して、エリックに追従する。
ヘルガはそれでもにこやかな表情でエリックに微笑みかける。
「話す時間も接する時間も短かったからですわ。一緒に過ごせば私の有能さがわかるはずです。母の身分も持参金も私の方が上ですし、血筋も相応しいですもの。レナンを側室にする事を許してもよろしいですわ」
正妃は身分の高い者が選ばれ、側室には低い者がなる事が多い。
もしも二人一緒に嫁ぐとなればレナンは側室となるであろう。
「二人でアドガルムに嫁いでも問題はないでしょう? ねぇお父様」
ヴィルヘルムは迷う。
確かにアドガルムを内部から突き崩すならパルスの者が多く入り込むのは有効だ。
だが、即答など出来ない。
エリックから発せられる恐ろしい冷気が部屋中を占めているからだ。