授業と授業の間の休み時間。
俺、
「
反対向きで椅子に座り、スマホの前で歓声をあげる彼の名前は
明るめの茶髪に、整った顔立ちと、容姿は非常に優れている。おまけにコミュ力もある。
そんな剣村とは一年からの友人だ。
「無事引けてよかったな」
「いやー、春限定の
画面内では剣村の推しである
剣村はオタクだ。
俺も似たようなものだが、彼の場合はキャラクターに対する愛が抜きん出ている。翠という推しキャラのためにバイト金を溶かしているのだとか。
せっかく容姿が優れているのに、三次元の女子より二次元に熱中しているため、いわゆる残念系イケメンという部類に入るのかもしれない。
「そういや、次移動教室だっけか」
俺はふと思い出したように言った。
「ああー。近いとはいえそろそろ行かないとまずいかもな」
三限は化学の授業だ。
渡り廊下を挟むとはいえ、同じ階にあるためそう遠くない。
気づけば、教室に残る人は少なくなっていた。
教科書、ノート、筆記用具を持ち、剣村と共に化学室へ向かう。
「別に実験するわけでもないのに、なんで化学室で授業やるかねぇ」
剣村が不満を口にする。
「さぁ……化学室が好きなんじゃないか」
「先生の好みに付き合わされるとかちょっと面倒だよな。移動の手間を考えてくれよ」
「ほんとな」
呆れ交じり答え、渡り廊下への角を曲がろうとしたその時だった。
ドンッと身体の前面に衝撃を感じた。
目線を下へやると、女子生徒の頭部が目に入る。
曲がり角が死角となり、女子とぶつかってしまったようだ。
「っと……悪い、大丈夫か?」
艶やかな濃紺の髪を流したその女子は、慌てたようにぺこぺこと無言でお辞儀を繰り返す。
彼女が謝罪を終えると、長い前髪に隠れかけた澄んだ深い空の瞳と一瞬だけ目が合った。
視線はすぐにそらされ、彼女はもう一度頭を下げたのち、走り去っていった。
「……あの人、橘さんだっけ?」
剣村が彼女の走り去った方を見ながら尋ねてくる。
「ああ」
俺たちと同じクラスの女子生徒だ。
移動教室なのに前方からやってきたのは、忘れ物でもしたのだろうか。
「なんかあの子って……深窓の令嬢みたいじゃないか?」
「ぶふっ……」
剣村の思いがけない言葉に俺は噴き出した。
深窓の令嬢、か。
何も知らない人だとそう見えるのかもしれない。
確かに、静かで奥ゆかしい雰囲気の女子で、教室ではいつも一人で読書をしている。
静謐でどこか近寄りがたいオーラを纏っているように見えなくもない。
しかし、彼女の
「いきなりどうしたし」
「……ちょっとむせただけだから、気にするな」
心配されたので、誤魔化すように適当に言い繕い、表情を元に戻す。
「まあ二大美女と比べたら、影に隠れていて目立たないタイプではあるだろうけど……」
そう言って、剣村は化学室のドアを横に開けた。薬品の臭いが鼻につく。
化学の授業は四人一組のグループ班で行われる。剣村とは違うグループのため別れて、俺は自席へ着く。
剣村の言う二大美女というのは、俺たち二年の中でも突出した可愛さを持つ二人の少女のことだ。
まず
ピンクベージュの髪を二つ結びにして肩から垂らして、制服を校則ギリギリまで攻めているギャルっぽい少女だ。
誰にでもフランクな感じが注目を集めている。
そしてもう一人が俺の対面に座る、
赤茶色の長髪が特徴の清楚系美少女だ。
整った美貌を持ち、勉強も運動もできて、性格も良く、学級委員も担っている。
まさに才色兼備と言ってよいだろう。
正反対な見た目ではあるが、二人はどうやら友達同士のようで、並んで話しているのをよく見かける。
それも合わさってか、校内では有名人だ。
そんな二大美女と同じクラスになれたことに最初は驚いたものだ。
「どうしたの幸田くん?」
「……え?」
対面に座る椎川が困り顔で俺を見ていた。
「私のこと、じっと見てくるから……何かついてるかな?」
「わ、悪い。ぼんやりしてただけだ。椎川さんにおかしなところはないから!」
先ほど剣村と話したせいで、無意識に椎川のことを見つめてしまったようだ。
あたふたと手を振りながら弁明していると、椎川が「……ふふっ」と微かに笑った気がした。
先ほどぶつかった女子生徒、橘理代が教室へ入ってきたところで、授業開始のチャイムが鳴った。ギリギリ間に合ったようだ。
彼女は肩で息をしており、走ってきたことが窺えた。そして、影のように音もなく歩きながら人の間を抜け、自席へと座った。
* * *
放課後。
自室のベッド横に背を預けながら、俺は漫画を読んでいた。
「ねえねえ、たーくん」
真横から、俺を呼ぶ明るい声がした。
振り向けば、学校では口数少ない少女、橘理代が俺と同じようにベッドの側面もたれている。
目元を覆っていた長い前髪はピンで止められ、露わになったその顔は非常に整っている。
なぜ普段隠しているのか不思議になるほどだ。
実は理代は、俺の幼馴染だ。
家が隣同士なこともあって、幼稚園から小中高まで一緒の長い関係だったりする。
学校帰りは基本、俺の部屋に居座り、一緒にのんびりゲームしたり漫画を読んだりして過ごしている。
「なんだ、理代」
「次の巻取ってー」
俺は本棚から目的の巻を抜き取って渡す。
「はいよ」
「ありがとー、たーくん!」
笑った顔につられ、後頭部で結ばれた髪が小さく揺れた。
学校では流しているが、俺と二人きりのときは結ばれている。
たーくんというのは俺、多久のあだ名だ。と言っても理代しか使っていないが。
幼少期、多久という名前に君を付けると呼びづらいからという理由で、たーくんと呼ばれるようになり、そのまま高校生まできてしまったのだ。
「……あのさ、学校ではごめん」
ぽつりと理代が言った。
恐らく学校でぶつかってしまった時のことを言っているのだろう。
「不注意になってた俺も悪かったから気にするな。……忘れ物したのか?」
「うん。ペンケースをうっかり」
「そっか」
会話が終わると、無言の時間が訪れた。パラパラとページを捲る音だけが室内に響く。
居心地の悪さは感じない。
長年一緒に過ごしてきた幼馴染だ。
今更沈黙が続いただけでどうということはない。
「……どうしたら、友達って作れるんだろう」
不意に、理代がぽつりとこぼした。
漫画の展開に影響でも受けたのだろうか。
「まず、人に話しかけることからだな」
漫画に視線を落としながら、卒なく返す。
「入学したてほやほやの頃は、頑張って話しかけてたよ? でも、いつの間にか疎遠になってて……。この漫画みたいに次々と人が寄ってきて話しかけてくれないかな……」
漫画の読み過ぎで、夢を見ているようだ。
「現実を見ろ現実を」
「わたしに現実は残酷すぎるよぉ……」
視線を横に滑らせると、眉を下げて縋るような眼差しを俺に向けていた。
学校では常に無表情を顔に貼り付け、口を真一文字に結んでいるが、素の姿になるとコロコロと表情が変わる。
「俺と話す感じで他の人と話せないのか?」
学校で沈黙を貫いている理代だが、今の感じで話せば友達など容易にできるはずだ。
「たーくんは、なんていうか……その……特別なの」
特別……まあ唯一の幼馴染だからなあ。
「それに、たーくんと話す感じで他の人と話せてたら、今のわたしはお友達でいっぱいさ。あはは……」
理代は悲しそうに掠れた笑い声をあげた。
「俺が手を貸せば──」
「そ、それはだめ。自分の力で作りたいの」
仮に協力したところで、俺も友達が少ないから、あまり希望的観測はできないだろう。
「そう言いながら、早一年。できた友達の数は──」
「ゼロだよ! うわあああっ!」
俺に泣きつくように理代は叫んだ。
と思えばすぐさま元の体勢に戻って、目に力を宿し、握りこぶしを掲げる。
「こ、今年度こそは作ってみせる!」
「フラグにしか聞こえないんだが」
「そして放課後とか休日に遊びに行く、輝かしい青春を送るんだ!」
「ガンバッテ」
「棒読みすなっ!」
理代とはこうして基本的になんでも話せる間柄だ。
しかし、幼馴染だからこそ訊けないこともある。
理代はもしかすると俺に好意を持っているかもしれない。
長年の付き合いがあるのだ。
素振りや声のトーン、ちょっとした表情の変化でなんとなく気づくことがある。
だが、確証が得られない。
だから俺も気付かないフリをしている。
いや、フリというよりもその方が自分に都合がいいからかもしれない。
十年以上の付き合いにもなる理代に今さら訊けるわけがないからだ。
それに……。
もし俺に好意を持っていたとして、どう対応すればいいのか、自分の中でも答えが出せていないのだ。