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第5話:左平という職人

工房の中は、墨の香りに包まれていた。紙の上に筆が滑らかに走り、黒い線が見事に形を成していく。健太郎は息を飲んだ。一本の線に、これほどまでに生命力を宿すことができるのか——。


「お前、本当に珍しい奴だな。絵を見て、こんなに目を輝かせるとは。」


筆を走らせていた男が、ふと顔を上げた。左平という名の浮世絵師だった。痩身で髭を生やし、鋭い眼差しを持っているが、その奥には温かさが垣間見えた。


「す、すみません。ただ、あまりにも美しくて……。」


健太郎は正直な感想を漏らした。左平は笑みを浮かべ、筆を置いた。


「この世界で、美しさに気づく目を持っているのは、絵師の素質がある証拠だ。」


健太郎の胸が高鳴った。しかし、同時に胸の奥に痛みが走る。現代では、その目が時代遅れだと言われていたからだ。


「俺は、白井健太郎。現代では、アニメーションを作る仕事をしています。」


「アニ……何だそれは?」


左平が怪訝そうに眉をひそめた。健太郎は少し困りながらも、言葉を選んで説明した。


「たくさんの絵を少しずつ変えて描き、それを連続して見せることで、まるで生きているように動かす技術です。」


左平は目を細め、深く考え込んだ。


「動く絵……面白いな。しかし、一枚一枚に魂を込めるのが絵師の仕事だ。動かすために多くの絵を描くのは、魂が分散してしまわないか?」


健太郎はハッとした。左平の言葉には、絵に対する深い信念が込められていた。それは、彼が忘れかけていたものだった。


「確かに……でも、僕は動きの中に魂を込めたいんです。線の流れ、表情の変化、それらを繋げることで、生きているような感情を表現したい。」


左平は驚いたように目を見開いた後、静かに頷いた。


「なるほど。お前の絵は、動きの中に生きるのか。面白い考え方だ。」


健太郎は安堵した。自分の信念を初めて理解してもらえた気がした。


「左平さん、もしよかったら……あなたの技術を、僕に教えてもらえませんか?」


左平はしばし黙考した後、にやりと笑った。


「お前が本気で絵を学びたいのなら、ここで修行してみるか?」


その瞬間、健太郎の中に新たな炎が灯った。江戸の職人技を学ぶことで、彼は自分の絵に何を見出すのか——。


物語は、新たなステージへと進んでいく。



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