「料理してくれ。ハーピー」
閑古鳥の鳴く食堂に持ち込まれたのは、締められて逆さ吊りにされたハーピーと、木箱の中で柔らかい布に包まれた卵だった。
雑誌を読んで暇をつぶしていた料理人は、たばこをふかしながらハーピーを持ってきた男の顔をじろじろと見た。知らない男で、やつれた印象を抱いた。
「金貰えるなら別にええですけどぉ」
人のような顔付きに、人のような胴を持つ生き物ハーピー。だが四肢は人間ではない。
彼らの上腕からは人間の腕は生えていない。
二の腕付近から生えた羽毛はそのうち広げれば3mにも達するほどの立派な翼に変わっている。
彼らの下腹部も人のそれではない。
へそのあたりから生え出した羽毛が下腹部に密集しており、そのうち猛禽類のような節の太い丈夫な鳥の脚になった。
つまりハーピーとは人間と鳥のキメラのような生き物で、ダンジョン付近のみでしか生きられない魔物の1種である。
「ハーピー一頭丸々ですか。豪勢ですねぇ」
「血抜きはしてある。肉を全部使ってほしい」
「全部?物好きだぁ」
ダンジョンが近いこの町で魔物食は珍しいものではないが、動物に近い形状の魔物が肉とされることが一般的だ。
人に近い魔物を食すことは禁じられているわけではないが、普通の人間なら共食いを連想させるハーピーやゴブリンはまず食そうとはしない。
料理人も、ハーピーの脚の肉を貰って【から揚げ】にして食べたことはあった。
すでに肉の状態であるそれを食うだけでも『悪食』だと非難される行為だというのに、一頭丸々料理してほしいという依頼は初めてのことだった。
「全部俺が食う」
ハーピーを持ち込んだ男が、まだ少し高い少年のような声で言った。
オーガにでも抱きしめられれば体中の骨が砕けて死んでしまうだろう。と思えるほど細い体躯の持ち主が、こんな大量の肉を一人で抱えて持ってこられたことが不思議だ。
料理人はたばこを灰皿に捨てると、まるで揶揄うように男に尋ねる。
「お兄さんそんなに食えるんですかい?」
「食う」
「へえ」
それ以上の詮索はしない。料理人は早速調理を試みた。
まず、羽をすべてもいで丸鶏の状態にする。羽を失った腕の先は、手羽先のように丸くとがっていた。
人間の指のようなものは見当たらないので、料理人は面倒が省けてラッキーだと思った。食べられるか分からないし、適当に捨てれば殺人をしたと勘違いされてしまうからだ。
脚は猛禽類の脚そのもので、うろこ状の脚鱗で覆われている。
細くて固くてこのままでは食えないが、数日煮込めば美味そうだと料理人は思った。
料理人は腹部に肉切り包丁を添わせる。
そしてまるで開腹手術でもするようにすーっと刃を通すと、桜色の胸肉を抜けて、ハーピーのぷりぷりの内臓が露わになった。
料理人は薄膜を切りながら丁寧に内臓をバッドへと取り出した。そして指を差しながら説明する。
「人間みたいな見た目なんで嫌厭されとりますけど、まぁ肉にしてしまえばこの通り、ほとんど鶏肉なんですわ。ほらお兄さん見て、これがハツ。心臓ね。こっちがレバーでそっちが砂肝――」
「ギルドに持って行ったとき、解体を見せてもらったから知ってる」
調理工程を見学していた男が不愛想に言った。料理人は感心するように鼻を鳴らす。
「ギルドってことはお兄さん、冒険者かい」
「あぁ」
「じゃあ見てやり方を覚えたおいた方がいい。手間賃分儲かるからね」
そして料理人は肉の状態を見ながら「ふむ」と献立を考えた。
肉は新鮮でしばらくは持つだろうが、この食堂にはこのハーピーをそのまま丸焼きできるほどの環境はない。できるとしても胴体だけだ。
料理人は肉包丁を手にすると、迷わずに太ももの付け根に刺しこんだ。
(さすがにこの辺りの見た目は人体そっくり。だけど、骨の柔らかさと脆さは鳥そのもの)
料理人はよく観察しながら、関節の間に刃を立ててぐっと押しこむと、まるで部品が外れるように骨が簡単に外れた。骨はぱっと見は人骨に似ているが、よく見れば繊維質で人間の骨とは全く違うことが分かる。これを両脚とも行うと、料理人はよく太ったもも肉を取り出した。つやつやと照りがあり、鳥刺しでも食べられそうなほど状態が良い。
「今更だけど食べられないものないな?」
「ない」
「じゃあ卵もあるし、あれにしよう。親子丼」
料理人はまず、ダンジョンの魚を発酵させて作った醤油、発酵させて作った甘い酒、お化け大根を絞って作った砂糖、以前「食事代の代わりに」と置いていかれた東方の酒、そして日干しした魚から取っただしを鉄鍋に入れた。
さらに薄切りにした玉ねぎを投下すると中火でしばらく煮た。
しばらくするとぐつぐつと煮え始めて鍋が揺れる。泡ぶくが鍋の底から浮いて割れると、温かい湯気と甘辛い醤油の香りがキッチン中に広がった。
玉ねぎに火が通ったら、一口大に切り分けたハーピーの肉を加えた。
料理人は箸で鶏肉を少し泳がせてから火の通り方を見ると、一度箸をおき、ボールにハーピーの卵をたたき割った。
「わぁ、黄身が濃いなぁ。さすがハーピー」
「ハーピーの黄身は濃いもんなのか?」
「いんや?鳥は食ったエサで黄身の色味が変わるんでさ。ほらぁ、ハーピーは雑食だろ、こいつはグルメで、いろんなもの食いまくってたんだろうなぁ。こりゃ肉もうまいぞ」
「へえ……」
冒険者は感心するような声を上げたあと、料理する工程をまじまじと観察していた。
やつれていて風貌は汚かったが、おそらくまだ若いのだろうと料理人は思った。
話をしながら料理人は、シャカシャカと白身と黄身の膜を切るように混ぜた。黄色い卵液に少しだけ白身の柔らかい半透明な部分が見える程度に混ぜ終えると、ぐつぐつと煮える鉄の鍋へ2/3ほど流しいれた。
料理人は手際よく卵と肉を軽く混ぜ合わせると、すぐそばに置いておいた木製の鍋蓋をかぶせた。
「ようけ食うか?」
「食う」
「はいはい」
短いやり取りを経て、どんぶりに白米をよそう。大盛にしたご飯をしゃもじで整えると、またそれを一旦置いて鍋蓋を取った。
雲のような白くて濃い湯気がぶわっと広がり、やがてすぐに消えた。
火が通って艶やかな黄色い卵焼きはまだ柔らかくぷるぷると揺れていた。肉にもしっかり火が通っている。
料理人は余らせていた卵液をまた加えて軽く混ぜると、先ほどのどんぶりに卵焼きをそっと盛った。彩にリーフの葉を数枚散らすと、どん。と音を立てながら冒険者に親子丼を出した。
「ほら、先にこれ食っとけ」
出来立ての親子丼を受け取った冒険者は、カトラリー入れから箸ではなくスプーンを取り出す。そしてスプーンで熱い丼を自分の方へ寄せてからスプーンで親子丼の上の部分だけを掬うと、まるで麺を啜るように食べた。
「……美味い」
「おーよかったよかった」
冒険者は息を吐くようにぼそっと呟いた後、米を掬って親子丼を食べ始めた。
スプーンが丼の内壁に当たり、かちゃかちゃとうるさかったが、食べるスピードは加速していき、かき込むように平らげていく。
「ご相伴に預かりますねっと」
料理人も余った親子丼を勝手に食べ始める。親子丼を米ごと箸でつかみ、ふうふう、と息を吹きかけてから一口でそれを食べた。
「んん、肉の出汁が良く染み出てる。卵と玉ねぎにもよくしゅんでる」
肉は繊維質だったが、噛めばふわふわと崩れるようだ。皮を噛めばジューシーな肉汁が溢れてでてきて、香ばしい匂いが鼻を通り抜ける。
「しゅんでる、ってなんだ」
冒険者が鷲掴みにしたスプーンを舐りながら聞いた。
「よく味がしみ込んでるってこった」
「へぇ」
ハーピーの脂が白米の粒の中にもしみ込んで、白米が照り照りと輝いている。料理人はあえてその照った白米だけを食べたが、甘い脂の香りが鼻孔をくすぐった。
「こりゃ美味い。うちの名物にしたいくらいだ」
あっという間に平らげると料理人は急いでエプロンを結び直す。
「これなら唐揚げにしても美味そうだな。照り焼きもいいな。どっちがいい?」
エプロンを結び直しながら料理人は冒険者に尋ねたが、口に米粒を残したまま小さくゲップしてから言った。
「もう食べれない」
「お前、さっきの勢いはどこに行ったんだ」