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第13話 冬の絵葉書

 冬の夜。私は仕事を終えて、すぐに東京駅に向かった。


 鞄ひとつで寝台列車に乗り込む。今日が、最後の勤務だった。


 専門学校を卒業して、小さなIT企業に就職したのが十年前。奨学金を返済しながら毎日夜遅くまで働いた。


 駆け込みの仕事が放り込まれることも多く、会社に泊り込むことは日常茶飯事だった。


 でも、それも今日で終わり。


 簡易ベッドに腰かけて、ほっと息を吐いた。それから、売店で買ったばかり蜜柑の皮を剥いた。


 夕食を食べ損ねたせいで、ひどく空腹なのだ。時間帯のせいか、ほとんど商品は売り切れてしまっていて、目についたのが蜜柑だった。


 あっという間に一個を腹におさめて、ふたつめの皮を剥く。包みを確認すると、不知火という品種だと分かった。中央がぽっこりと出っ張っている。見慣れない形だ。


 私は島育ちで、地元は蜜柑の産地だった。


 島全体で数種類の品種を育てていたけれど、それもこれもまん丸の形をしていた。


 甘酸っぱい柑橘の香りが、寝台車の個室に充満している。みずみずしい香りに誘われるようにして、ふいにある記憶がよみがえってきた。





 去年の冬、母から「会わせたいひとがいる」と言われて、私は久しぶりに島に戻った。


「少し前、島に海洋博物館が出来てね。そこで働いてらっしゃるのよ」


 母は嬉しそうな顔をしていた。イマイチ状況が掴めなかったけれど、しばらくすると、これがお見合いというものなのだと分かった。


 完全に母の見切り発車だった。相手方も若干困っているような気がする。


 母は人が良いけれど、強引なところがある。相手の男性に謝罪した気持ちになった。


「鷲津と申します」


 そう名乗った男は口数が少なく、同じく無口な私との間には気まずい空気が流れるばかりだった。


 鷲津から初めて絵葉書が届いたのは、私が島から東京に戻ってから二週間後のことだ。簡単な近況報告が書き記してあった。


 私はすぐに返事を書いた。


 ごく自然に、鷲津とのやり取りが始まった。鷲津は私より七つ年上で、絵葉書の水彩画は彼自身が描いたものだと知った。


 休日になるとスケッチブックを片手に島を散策しているという。


 絵葉書のなかで、彼はいつも饒舌だった。神経質で細かい文字だけれど、口に出して読むとそのリズムが心地よかった。


 冬の終わりに、雪がちらつく島の風景が描かれた絵葉書が届いた。


『直接、お会いして言うべきことだと思いましたが、言葉で話すよりも書くほうが自分の気持ちが伝わるような気がするので』


 そんな書き出しから始まった絵葉書には、いつもより慎重に言葉を選んだのであろう文字が綴られていた。


『島に戻って、僕と結婚して欲しい』


 そう書かれた部分を、私は何度も読み返した。すぐには返事を書けなかった。


 冬の絵葉書が届いてから一か月後に、私は『一年待っていただけませんか』と手紙に書いた。


 ちょうど一年後に、奨学金の返済が終わる。


 これは、区切りなのだ。


 十八歳のとき島から出ることを決めて、奨学金で本土にある専門学校に通った。


 ずっと夢だったプログラマーになれた。忙しくて家に帰れなくても、辛いことがあっても、途中で投げ出したりしなかった。奨学金の返済をしながら、自分の力だけで東京での生活を維持し続けた。


 そんな私の、自分のなかでの区切りがやっとつく。





 カタン、と車体がわずかに揺れて、私は目を覚ました。


スマホをタップすると、明け方にはまだ遠い時刻が表示されていた。そっとカーテンを開けて、車窓を覗く。夜の景色が、途切れることなく流れている。


 私は鞄から絵葉書を取り出した。何度も眺めた水彩画は、ところどころ縒れて滲んでいる。


 この一年間、御守りであり、宝物でもあった冬の絵葉書。


 夜が明ければ、私はこの風景のなかに帰っていく。

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