長年、日本の野球界を牽引してきた投手、嶌津和明が引退を表明した。
私は彼のことを、新聞社のスポーツ部の記者という立場でずっと追い続けてきた。
引退会見を終えたばかりの嶌津を、私はこの部屋で待っている。インタビューをするためだ。
部屋には私と、カメラマンと、後輩の記者が一人。嶌津は、約束通りの時間に現れた。
「よろしくお願いします」
野球人生を全うした男は、とても穏やかな顔をしている。こちらが準備してきた問いかけに、嶌津はひとつずつ答えていく。
「杉野さん。ボール、貰ってくれませんか」
ふいに、嶌津がそう言ってひとつの硬式球を取り出した。
高卒でプロ入りした彼が、初めてリーグ優勝をして、胴上げ投手になったときのボールだという。
「自分で持ってるより、応援してくれたひとや、お世話になった方に贈ったほうが良いと思って」
プロ初勝利のボールも、100勝をしたときのボールも、もう手元には無いらしい。
「全部、あげてしまわれたんですか」
なんだか、それはそれで寂しい気がする。
「ひとつだけ、残しておくつもりです」
「世界一になったときのものですか? それとも、通算200勝のボール?」
嶌津はゆっくりと首を振る。
「二十一年前、周防と対戦したときのボールです」
とても、懐かしい名前だった。
彼のことも、私は何度か取材したことがある。とても体の大きな少年だった。
その名前を聞いたとき、私は自分が強い力で二十一年前の、あの夏の甲子園に引き戻されていくのを感じた。
周防雄大は、超高校級と評されるスラッガーだった。
互いが対戦を熱望していた嶌津と周防の対決は、甲子園の決勝という舞台で実現した。
甲子園球場のスタンドは、超満員の観客で埋め尽くされていた。
八回までに、周防に三本のヒット打たれていた嶌津は、最終回、自らの四球と悪送球でピンチを招くことになる。スコアは1-0、ツーアウト二三塁。一打逆転の場面で打席に立ったのは、周防だった。
一球目はストレートが高めに浮いた。二球目は、ど真ん中のストレート。三球目も、四球目も、嶌津はストレートを投げ続けた。
周防はフルスイングでそれに応える。鋭い金属音と共に、ファールボールがスタンドへ吸い込まれていく度、球場全体が悲鳴と歓声で揺れた。
嶌津の球速は、どんどん上がっていった。
マウンド上の嶌津が、指先でロージンを弄んでいる。周防は一度打席を外し、ヘルメットを被り直す。帽子を取って嶌津が額の汗を拭う。
周防はバッターボックスに入り、構えてマウンド上の嶌津を見据える。嶌津は、つま先でプレートの砂を払う。
そして、振りかぶった。
周防のバットが、嶌津の投げたボールを捉えた。
ボールは高く舞い上がる。
記者席で見ていた私は、一瞬、本当に時間が止まったような気がした。
バックスクリーンに入るかと思われた周防の打球が、センターのファインプレーによって阻まれた瞬間、あの夏の王者は決まった。
「もう一度、あいつと野球がやりたいんです」
嶌津の声で、私は過去から現在に引き戻される。
「軽く振るだけでいい。振ることもできないなら、キャッチボールでもいい」
トレードマークだった周防のフルスイングは、あの夏の決勝が最後だった。
周防は学校からの帰り道、わき見運転の車に撥ねられて、選手生命を絶たれてしまったのだ。
周防が今どこで何をしているのか、野球関係者で彼の行方を知る者はひとりもいない。
しばらくして、嶌津のインタビューを一冊の本にまとめることが出来た。
タイトルは「18.44メートルの距離」。マウンドからホームベースまでの距離を、そのままタイトルにした。18.44メートルの距離の中に、幾多の駆け引きがあった。ドラマがあった。
反響は、こちらが想像していた以上のものだった。本の発売から三ヶ月が経った頃、ひとりの男が、編集部にいる私を尋ねてきた。
男は背中を丸めて、うつむき加減で、ゆっくりとこちらに歩いてくる。「18.44メートルの距離」を、大事そうに胸に抱えている。
「あの、杉野さんですか。お久しぶりです。自分は、その……」
男は、左足を引きずっていた。とても、体の大きな男だった。
私は、この男を知っている。彼の名前を知っている。
「周防くん」
弾かれたように、男は顔を上げた。
「周防雄大くん」
私が名前を呼ぶと、男は、泣き出しそうに顔を歪めた。そして、大きく頷いた。
『あの夏、最後に僕と18.44メートルの距離にいてくれた君と、僕はもう一度野球がしたい』
嶌津のこの言葉で、本は締め括られている。「18.44メートルの距離」は、彼の、自らの野球人生を振り返るものだった。
そして同時に、嶌津和明が私に託した、周防雄大への伝言でもあったのだ。