これは夢か幻か。
魔物が住む謎の洋館で目覚めた俺は、トロルのハンバルにいざなわれサッドという男と出会った。
サッドが言うには、魔王ドラゼウフは倒されるというのだ。
そして、その場にはもう一人――赤い瞳を持つ女魔族のラナンがいた。
「何故ラナンがここに……」
俺の言葉に反応するように、ラナンは軽く微笑んだ。
その赤い瞳はまるで底の見えない深淵のようで、不思議と視線を離すことが出来なかった。
「それよりも体の具合は?」
俺はラナンの問いかけを受け止めつつも、答えるべき言葉を見つけられずにいた。
再び目の前に現れた彼女を前にしても、胸に広がるのは懐かしさではなく、説明のつかない違和感と疑念から生まれる沈黙――。
そして、その沈黙を破ったのはサッドの低く響く声だった。
「イグナス――彼は勇者に相応しい人格、技量、器だったかね」
――サッドはイグナスの名前を口にした。
イグナスは剣も魔法も一流の実力者だ。勇者に相応しい強さは確かにあった。
「勇者と呼べるに価する強さはあった」
俺は正直にそう答えた。
しかし、その言葉を聞いたサッドは体を震わせている。
「……強さは確かにあったようだね」
それは笑い始める前の前兆だった。
「ハッハッハッハッハッ!」
高らかにサッドは笑い声を上げた。
「あの程度の者を勇者か……ふふっ……私からはただの魔法剣士に見えるがね」
サッドは勇者イグナスをただの魔法剣士に見えると言ったのだ。
イグナスは王国、つまりこの大陸にある俺の生まれ故郷『イリアサン』から出された『勇者試験』を受け合格した正式の勇者。
勇者試験とは、魔王ドラゼウフを打ち滅ぼさんと国中の優秀な若者を集め、その中から優秀な人物を一人選出するといったものだ。
イグナスは過酷な訓練、試験、課題を課せられる勇者試験を突破した本物だ。
その勇者の称号を与えられたイグナスを、サッドは『ただの魔法剣士』と切って捨てた。
「ただ強いだけの者が勇者と呼べるに相応しいと思うかね。仲間に呪いの武具を装備させ、追い出すようなものに?」
驚くことに、サッドはイグナスのこれまでのことを知っていた。
何故サッドがそのことを知っているのか、どこで情報を得たのか。
この口ぶりからすると、俺達勇者パーティのことを調べていたようだ。
「……サッド」
これまでずっと黙っていたラナンの口が開いた。
サッドに何か言いたいようだ。
「何かね?」
「私からすれば、このガルアの方が『勇者と呼ぶに相応しい人物』かと」
「君は助けられたんだったね。勇者らしい選択と行動――確かに勇者という主人公には十分すぎるほどの資質があるといえる」
勇者に相応しい?
俺はただの一介の戦士だ。
助けたのも咄嗟の行動だったに過ぎない……。
俺がそう思っていると、サッドはワインを深く味わいながら述べた。
「この世界には何人、何百人と『勇者』を名乗るものがいた」
「え?」
「勇者はイグナスだけではない。君達の知らないところで勇者生まれ、その者達は道半ばで挫折したり死んだりしている」
勇者はイグナスだけではなかった?
少なくとも俺は「勇者はイグナスだけ」そう思ってパーティに加入していた。
おかしな話だ。
それだったら、この世界に勇者は何人もいたことになる。
でも、俺達は冒険の途中でその勇者達にあったことは一度としてない。
「不思議そうな顔ね」
ラナンが俺の顔を見て笑っている。
「勇者が他にいたなんて信じられないな。冒険の途中で一度としてそんな人物に会ったことがない」
俺がそう答えるとラナンは言った。
「あなた達は、上手く誘導されて冒険を進めていただけよ」
「上手く誘導?」
「この世界は複雑……私達は踊らされるだけの人形」
「どういう意味だ」
「そのうち教えてあげる」
サッドもそうだが、ラナンの言っていることが理解出来なかった。
この世界には実はイグナス以外の勇者が何人もいて、それに俺はその勇者達に合わないよう上手く誘導された冒険を進めていたというのだ。
二人の言っていることが皆目わからないでいる。
混乱する俺を見て、ラナンはルビーのような赤い瞳で見据える。
「一つ教えるとしたら、あなたが知らない勇者の称号を持つ人が魔王ドラゼウフを倒すわ」
「……イグナスではない別の勇者?」
「ええ、誰よりも先に魔王城に乗り込んでね」
イグナス以外の勇者が魔王ドラゼウフに挑むのか。
この世界にはイグナス以外に勇者などいないと思っていたのに――。
サッドは髭を撫でながら、俺に向けてワイングラスを掲げる。
「魔王は倒される。この物語は思わぬ形でエンディングを迎えるだろう」
サッドはワインを飲み干し、俺を凝視した。
「でもね、戦士ガルアの冒険はここで終わらないのさ」
「俺の冒険は終わらないだと?」
「魔王は滅びやしない。次の魔王が誕生する予定だ」
指をサッドが鳴らすと、目の前に合ったはずのボトルとワイングラスが消えた。
「次の魔王だと?」
「魔王イオ――それがこの世界に現れる新たなる闇の王だ」
魔王イオ、それが新しい魔王だという。
魔王ドラゼウフが名も顔も知らぬ勇者に倒され、新しい魔王が生まれるというのだ。
その魔王イオがどんな魔族なのかはわからない。
そして、人間である俺をサッド達はどうしたいのか見当もつかない。
わけのわからない話の連続――俺は混乱するばかりだった。
そんな俺をサッドは不敵な笑みを浮かべながら見つめている。
「そこで、君を新たなる魔王軍の魔戦士として勧誘したい」
そうだった、サッドは俺を仲間にしたいと言っていた。
この人間である俺を勧誘してきたのだ。
新しく出来るであろう魔王軍の一員になれという招き。
「バカな……人間だぞ俺は……」
「種族は関係ない。新たに誕生する魔王様が君を必要としているのだよ」
「俺を?」
「ああ、君にしか出来ないことがあるようだ」
新たなる魔王が誕生し、かつ俺にしか出来ないことやって欲しいだと?
バカバカしい、人間の俺が何故魔王軍などに協力しなければならない。
理解不能な話だ――。
「その新たな魔王はどこにいる」
俺を勧誘するにしても、その魔王とやらがここにいない。
そもそも、本当に新しい魔王は誕生するのか?
これまでの話も、人間である俺を弄ぶための作り話ではないか。
そう思うと怒りが込み上げてくる。
「何にしても、俺はあんた達の仲間になる気はない」
「仲間になる気はない?」
サッドはギロリと俺を睨む。
威圧感に多少押されながらも、これでも勇者の仲間だった戦士だ。
ここで気持ちで押されるわけにはいかない。
「悪魔には人間を騙し、弄んで楽しむヤツがいるそうだな」
「ガルア君……君は何が言いたいのかね?」
「作り話のことさ。勇者は何人もいただの、新しい魔王が現れるだの」
懐疑心が強くなっていると、ラナンが俺をなだめるかのように話しかけた。
「これは作り話じゃないわ」
「気やすく話しかけるな。人間と魔族は敵同士だ」
「ガルア……」
俺はサッドの方へ向き直すと素手で構えた。
「剣を持たぬ戦士が、素手で私と戦うのかね?」
「俺は戦士だ。魔族に遊ばれるくらいなら死んだ方がマシだ」
「君と私ではレベルの差がある。止めておいた方が賢明かと思うが……」
「戦って死ぬのが戦士だ」
「いつまでも自分の役割を全うする……まるで人形劇のように……」
「そっちがいかないのなら、こっちからいくぞ!」
俺は素手のまま飛び掛かった。
勝てぬまでも、せめて一撃を浴びせたい。
それが戦士、それが俺に与えられた役割だ。
戦闘の中で死ぬのが俺の運命なのだ――。
「…………ッ!」
飛び掛かった刹那、目の前が歪んだ。
意識も徐々に途絶えていく、誰かが俺に魔法を――。