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ep09.影の黒子達

「人形か……よく言ったものさ」


 魔族であるラナンはガルアと別れた後、自らの存在に思いを巡らせながら、ガルアと別れた後の荒野を一人歩いていた。


「調子はどうだい」


 ラナンは呼び止められた。

 呼び止めるものの名前はクレストという男。

 彼は影のようであった。暗い朝に溶け込むような灰色の頭巾を深く被り、闇に交わるような呂色のマントを身に包んでいた。その姿はまるで舞台裏を支える黒子のようであった。


「ク、クレスト……」


 ラナンの紅い瞳は警戒と困惑が入り混じっているようだった。

 その瞳が冷たい朝霧の中で微かに揺れる。


「名無し――いや、今は『ラナン』なんて名前で呼ばれているそうじゃあないか」


 クレストはゆっくりと口を開き、その言葉には軽蔑とも取れる薄い嘲笑が混じっていた。


「戯れで付けられた名前にしては、悪くない名前だ」


 ラナンはその言葉に息を飲む。

 鋭い瞳をクレストに向けながら、問い返すように声を荒げた。


「何しに来たの!」

「おいおい、怒るなよ」


 クレストは肩をすくめながらも、その声には冷たさが滲んでいる。


「君がきちんと舞台の役者を演じているかの確認に来たんだ」


 ラナンはその言葉に眉をひそめる。


「ど、どういう意味よ……」

「そのままだよ。君がこの世界で与えられた役通りに演じているかどうか……それが僕の仕事だ」


 クレストの声は、どこか遠くから響いてくるようだった。

 まるで彼がここに存在しているのかすら曖昧にさせるような調子だ。


「忘れるなよ、君に与えられた役目は二つ。まずはバグで発生したダンジョンの探索とアイテムの獲得。そして――」


 クレストの口元に浮かぶ笑みを見たラナンは、遮るように先制して答えた。


「……<トロイの木馬>であるイオ達の調査」

「正解だ。あのバグという名のウィルスどもは、この世界を壊そうとしている不純物――」


 足音もなく、ラナンに歩み寄るクレスト。

 その動きはまるで影が滑るようで、どこか不気味な静けさをまとっていた。


「僕も君も不純物を調査し、それとなく消していく……それが『監視者』としての仕事だということを忘れちゃならない」

「何が言いたいの?」

「迷宮の森で君は出会ったはずだよ。前作に登場した『青い暴君』という魔物の姿を……」


 その言葉にラナンの眉が一瞬だけ動く。

 心の奥底にある秘密事を揺り起こされたような感覚が走ったのだ。


「……知らないわ」

「知らないか……それならいいんだけど」


 クレストの口調はどこか含みを持ち、ラナンの視線を探るようだった。

 一方のラナンは無表情だった。何かを知っているようで知らない、知らないようで知っている、そんな感情を見事に作り出していた。

 沈黙が一瞬だけ空間を支配した後、クレストは気を取り直すように視線を遠くへ向け、淡々と話を続けた。


「創造主たる大聖師様はあるアイテムの存在に不安をお持ちだ」

「アイテム……?」


 ラナンは息を詰め、クレストの言葉の真意を探るように見つめた。


「青い冒険書というアイテムだ。手に持てるサイズの書物……それをイオが手に入れれば終わりだ」

「イオが?」

「僕達、監視者の中に裏切者がいる。どうやら、そいつがイオに青い冒険書の存在を教えたようなのだ」

「……裏切者?」


 ラナンの紅い瞳が鋭く光り、感情を抑えきれない声が漏れる。


「そうさ裏切者だ。監視者は全員、創造主の意志に従い、この世界を守るために動いているはずだった――」


 クレストはゆっくりと首を傾け、微かに笑った。

 その笑みには冷酷さと同時に、どこか楽しむような色が混じっている。


「その中に創造主に逆らう者がいるようだ。おそらく、イオ達バグの一味に加担しているのだろう」

「目的は?」

「それはわからない。ただ僕はあのエリアの担当だから、不自然に現れたダンジョン――迷宮の森のことを伝えると、大聖師様は酷く怯え始めてね」

「怯える? 何故……」

「それもわからない」


 クレストは一瞬言葉を切り、曇り空を見上げるように顔を上げた。

 その表情には余裕すら感じられるが、目の奥には冷たい光が宿っていた。

 ラナンはその仕草の裏にある本当の意図を測りかねていた。


「ただね……ラナン。調査では何もないはずの迷宮の森に、君が知らない『監視者』に確かめたところ『青い暴君』という名前のドラゴンがいたと聞いている。それは彼だけじゃない、あの急遽クリエイトした村の住人達も同じようなことを言っていた」

「っ!」


 ラナンの胸が大きく波打つ。

 迷宮の森での出来事を思い出す――サピロスの存在、ガルアへと『青い冒険書』を託したこと。

 全ては秘密にしたい、それを今口にするべきではないと判断する。


「本当に何もなかったのよ。ドラゴンの存在も知らない」

「ふーん……」


 クレストの表情は依然として平静を装っていたが、その心の奥では警戒の色が強まっていた。


「ラナン、君のことは信用したいけど……もし、君に『バグ』が発生したのならば消去しなければならない」


 ラナンの声は震え、紅い瞳が揺れる。

 それは明確な死に対する恐怖であった。


「安心しなよ、君のことは消さない。それに今は別の仕事があるからね」

「別の仕事?」

「あの村さ、これから消してくるように命令されている。容量を食う不必要なデータはいらないからね」


 冷たくクレストはそう囁くと、闇の中へと消えた。

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