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ep08.青い冒険書

「ラナン・シャルト……それが名前か」


 女魔族の名前はラナン。

 ――その響きは、まるで陽だまりに咲き誇る黄色い花のようだ。

 柔らかな光を纏いながら風に揺れ、静かに周囲を暖める。

 触れれば温もりを感じ、見る者の心に小さな勇気の種を宿す――。


「俺はガルア、ガルア・ブラッシュ」


 今度は俺の名前をラナンに伝える。


「ガルア……」


 生まれたときから、名には意味が宿ると教えられてきた。

 けれど、名を口にし、他者に届けるたび、それは新たな色を帯びていく気がする。

 ラナンに俺の名前は、どんな風に響くのだろうか。俺はそう思いながら、当てのない歩みを進めようとする。

 ――その時だった。


「青い暴君……あの子にも『サピロス』という名前があった」


 ラナンの低く静かな声に足を止める。

 振り返ると彼女は地面に視線を落としたまま、何かを噛みしめるように言葉を紡いでいた。


「サピロス……あのドラゴンに名前が?」


 俺が問い返すと、ラナンは小さく頷いた。  


「ええ……ただの怪物じゃないわ。彼にも感情があって、名前があって、大切なものを守ろうとしていただけ……」


 その声には悲しみと悔しさが入り混じっていた。

 俺は返す言葉を失い、ただラナンを見つめるしかできなかった。


「ついてきて……サピロスが守ろうとしたものを見せるわ。そして、私が怒りを抱いた理由も……」


 ラナンの瞳には鋭い決意が宿っていた。

 その意志に押されるように俺は頷く。

 再び向かう迷宮の森――。

 そこに俺が待ち受けるものは『真実』か『偽り』か――。


          ***


 迷宮の森は深い静寂に包まれ、薄暗い木漏れ日がかろうじて足元を照らしている。

 ラナンは迷うことなく森の奥へと進んでいき、後を追うのは戦士である俺のみ。

 曲がりくねった道を進むのは人間と魔族の奇妙な布陣――。


(魔物が現れない……イグナス達と来たときは何匹かの魔物と戦ったのだが……)


 不思議なことに森には魔物が一体も現れなかった。


「何か考え事?」


 前を行くラナンが振り返り、俺をじっと見つめる。


「ああ……いや、森の様子が妙に静かだと思ってな」


 俺は正直に答えた。

 ラナンは一瞬だけ目を細め、そしてまた前を向いた。


「……行きましょう」


 何か言いたげな風に見えた。

 だが、ラナンは言葉を飲み込んで足を進める。

 その足取りは早い。


「ああ……」


 俺も彼女を追いながら、胸の奥に芽生える違和感を振り払おうと後を追った。

 イグナス達と来たルート、同じ風景が流れ、暫く進むと、森の中でぽっかりと開けた場所に辿り着いた。ここだ、この場所で間違いない。

 そして、そこには巨大な骸――青の暴君。

 つまり、サピロスの亡骸が横たわっていた。


「サピロス……」


 ラナンは涙を流していた。

 俺は弁明するかのように、何故サピロスを倒したのかを説明した。


「そのサピロスというドラゴンは、森に入る村人を殺した」


 そう、このサピロスは森で木の実や薬草を採取しようとした村人達を次々に襲い、命を奪ったのだ。

 あの村に途中に立ち寄った俺達は『青い暴君』と呼ぶ村人達の依頼によりドラゴン討伐に向かったのだ。


「それで……」

「だから退治した」


 いつも通りの冒険、魔王を倒すまでの旅路の人助け――。

 しかし、俺の言葉を聞いたラナンは首を横に振った。その顔には、怒りと悲しみが入り混じっている。


「違う……違うのよ!」


 ラナンが声を張り上げるのを初めて見た。

 その瞳には、深い怒りが宿っていた。


「知らないのね。私達は……ことに」


「……人形?」


 俺は耳を疑った。

 ラナンは涙を流しながらも、確信を持った表情で俺を見つめている。


「あなた達が『冒険』と呼ぶもの、それは全て用意されたもの。私達は、この物語を生きるために生み出された人形に過ぎないのよ」

「……何を言っているんだ?」


 俺が問いかけるとラナンは視線を逸らせ口を噤んだ。

 これ以上は何も言わないという意志を強く感じ、俺はそれ以上聞くことは出来なかった。


「それよりも……そこを調べてみて」

「調べる?」

「そこの盛り上がった部分よ」


 ラナンはサピロスの亡骸を見つめながら、その背後にある不自然な地面を指差している。


「そこに、彼が最後まで役割を果たそうとした理由が隠されているわ」


 役割を果たそうとした理由?

 疑問に抱くも俺は無言でその場所に近づき、盛り上がった地面を調べた。

 そこには、いくつもの石が積まれている。

 その石は妙に青みがかっている。これまで見たこともない青い石。

 ラナンが何も言わずに見守る中、俺はその石を一つずつ取り除いていった。

 やがて現れたのは、地下への階段だった。


「これは?」

「降りてみるといいわ」


 ラナンの言葉に促され、俺は階段を降りていく。


          ***


 地下室は小さな空間だった。

 壁一面が深い青で飾られ、神秘的な光を放っている。

 その中央には、一冊の『冒険書』が静かに置かれていた。


「これは……」

「それがサピロスの役割よ」

「この冒険書が?」

「そう、その冒険書を彼は守ろうとした」


 俺は冒険書に近づき、そっと手を伸ばした。

 その瞬間、ひんやりとした感触が手のひらに広がる。

 しかし、冒険書をめくろうとするもめくれない。

 表紙は文字がかすれて読めないが、若い男の絵が見える。龍の頭蓋骨を模した兜を被り、髪は黒に濃い紫色が混じったいた。

 男は顔を横に向き、剣を構えて立っている。何かの物語の英雄だろうか。


「……この本には何が書かれている?」

「かつて、この地にあったサファウダ王国の秘密」

「サファウダ王国?」


 そのような国など聞いたことがない。古い物語、民話、おとぎ話の類でもだ。

 ラナンは俺が手にする冒険書をじっと見据えている。


「それは彼が家族のように大切にしていた者達の記憶よ」


 ラナンはそう言うと、一歩下がり、俺に目を向けた。


「あなた達が彼を討った理由もわかる……それでも彼が存在していた理由も知って欲しいの」


 俺は冒険書を見つめ深く息を吸い込んだ。

 この重さを受け止める覚悟を、自分の中で固めるように――。

 冒険書を握りしめる俺にラナンは言った。


「ガルア、それはあなたが持っていて欲しい」

「俺が?」

「だって、あなたはサピロスを倒したんですもの」


 サピロスを倒した――それは事実だ。

 だが、今はその事実を重くなる。

 何だこの感情は……違和感は……これまでなかった想いが湧いてくる。


「……俺に持つ資格なんてあるのか?」


 震える声で問いかけると、ラナンはそっと微笑んだ。

 その笑みには悲しみと慈しみが入り混じっていた。


「資格の有無は関係ないわ。あなたがここに辿り着いた……それだけで十分よ」


          ***


 地下室を後にし、俺達は地上へと戻った。

 朝の光が差し込む森の中、静寂が広がる。


「これからどうするの?」


 ラナンの問いに少し考え込んだ後、静かに答えた。


「わからない……ただ帰る場所はないな」

「そう……」

「それよりもお前はどうする」

「私は帰る場所がまだあるからね……何なら一緒に来る?」


 ありがたい申し出だが、俺は人間で彼女は魔族だ。

 敵対するもの同士が一緒に歩む道など、簡単に見つかるものではない――。


「命があったら会おう」


 俺は一人道を歩く。

 ラナンは何も言わず、俺の背中を見つめていた。

 人間と魔族、彼女もそのことを理解しているのだろう止めはしない。


「この冒険書の新たな守護者は俺か……」


 手にした冒険書をしっかりと握りしめる足取りは重い。

 けれど、これが進むべき道ならば、受け止め進むしかない。


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