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ep05.勇者は詰む

 ――ゆっくりとした時が流れる。

 この納屋には俺と女魔族しかいない。


(今日は満月か)


 窓から見える月はとても美しかった。

 俺が月に見とれていると女魔族が話しかけてきた。


「……月が綺麗だね」

「ッ!」


 俺としたことが油断してしまっていた。

 警戒感が薄れ、僅かながらの隙が生じたことを自覚する。


「……お兄さん、隙だらけだったよ」

「あまり喋るな」


 カタストハンマーを握りしめる、それは自分自身の緊張感が緩んだことへの戒めだ。

 すると、女魔族はくすりと笑った。


「ふふっ……おかしい」

「おかしい?」

「無骨な戦士様が月に見とれるなんてね。吟遊詩人みたいだったよ」

「……吟遊詩人だと?」


 俺は眉をひそめた。思いも寄らぬ言葉に少しだけ動揺が走る。


「そう、月に魅せられて静かに佇む姿、まるで詩を紡ぐ詩人そのものだったよ」


 女魔族は穏やかな声でそう語りながら、どこか挑発的な笑みを浮かべる。


「俺はそんな風流な男じゃない。ただの戦士だ――それ以上でも、それ以下でもない」


 強く言い返すつもりだったが、どこか言葉に力がこもらない。

 先程の油断がまだ尾を引いているのかもしれない。


「戦士だって心は持っているだろう?」


 女魔族は柔らかな視線を向けながら言葉を続けた。


「戦いだけが生きる理由じゃない。こんな夜には、ただ月を眺めることだって悪くないでしょう? 私はそう思う」


 その言葉に一瞬返す言葉を失う。

 戦い続ける毎日の中で、こうして静かに月を眺めることなどなかった。

 剣を握り、常に敵の気配を探り続ける日々。

 休息すら刃のように鋭い緊張の中で行うものだった。


「確かに……そんな気持ちを忘れて久しいな」


 思わず呟いてしまった言葉。

 女魔族の目が少しだけ柔らかく揺れた。


「あんた笑っている?」

「そう見えるのか」

「気だけじゃなくて顔も緩んでるよ」


 自分でもおかしかった。

 今まで敵と思っていた魔族、殺すか、殺されるかの関係だった。

 それがこうして何気ない会話をしている。


「お前、名前は何という」

「名前?」


 女魔族は少し驚いたように首を傾げた後、穏やかな笑みを浮かべた。


「名前なんてものを聞いてどうするの?」

「討つにしても、名も知らぬ相手では風情がない」


 自分でも妙なことを言ったと思った。

 しかし、なぜかその場を覆う奇妙な空気が、そうさせたのかもしれない。

 多くの魔族には名前が無い。あるとしたら上級の妖魔や幻獣だけだろう。


「おかしなことを言うね。これまで倒してきた魔物にそんなことは聞いてきたの?」


 女魔族の言葉が胸に刺さる。

 魔獣、悪魔、妖魔、ドラゴンなどこれまで多くの敵と戦ってきた。

 これまでのイグナス達の戦いで、敵である相手に名前など尋ねる余裕も必要もなかった。

 ただ斬り、前へ進むだけ――。

 それが戦士としての本分、俺に与えられた役目だったからだ。


「お前の名前を教えて欲しい」

「だから、どうして……」

「名前とは命であり、存在の証明だからだ」


 自然と漏れ出た言葉だった。

 それは心からの想い、そこに噓偽りはない。

 どうにも、俺はこの女魔族を敵として見ることは出来なかった。

 それは人間のなりをしているから、または俺の甘さからなのか、それとも――。


「ガルア!」


 その時だった。

 勢いよく納屋の扉が開いた。


「そいつが例の魔族か」

 イグナスだ。

 防具をつけず、片手には白銀の剣を携えている。

 ジルの話を聞き、急いで駆けつけた様子だ。

 僅かながら息を弾ませているところから、ここまで走ってきたのだろう。


「どういった系統の魔物か知らんが、強力な呪文を隠し持っているかもしれないな……やるなら速攻だ」


 イグナスは剣を構えて、戦闘準備を整える。

 俺は急いで立ち上がり、女魔族の前に立った。


「イグナス……」

「どうしたガルア、邪魔をするな。だいたい何故すぐに殺さなかった?」

「それは……」


 口を噤む俺に、イグナスは疑惑を目を向ける。


「お前……まさかと思うが『逃がそう』と思ってないだろうな」


 そのイグナスに問いに俺は黙るしかない。

 この女魔族に情が湧いたのは事実。

 殺さず逃がそうという選択がどこかしら頭をもたげていた。


「見た目が人間、若い女の姿に惑わされているのか?」

「……それは違う」

「言い訳するなよ、お前は現に俺の前に立った。役立たず目、やはりお前をパーティから追い出して正解だったよ。サキュバスなんかの誘惑にかけられたら厄介だ」


 そう吐き捨てると、


「早く消さないと……」


 イグナスは女魔族に歩み寄り、剣を振り上げる。

 女魔族の細い首元目がけて振り下ろそうとしていた。


「……!」


 女魔族は目をつむり、覚悟したかのような表情だ。


「ガルア、そこをどけ! 魔族は全て敵だ!」

「待ってくれないか、彼女にも心というものが……」

「心? そんなものは魔族にはない!」


 イグナスは片手で俺を押しのけ、女魔族の元へと歩み寄る。


「こいつらは、俺達に倒されるために生まれた人形なんだよ!」


 白銀の剣を振り下ろそうとした――その瞬間、俺は動いた。


「やめろ!」


 咄嗟に体が反応し、イグナスと女魔族の間に飛び込む。

 振り下ろされた剣は俺の肩口をかすめ、鋭い痛みが走る。

 だが、致命傷ではない。


「……ガルア!」


 イグナスの怒りがこもった声が響く。

 彼の目には、信じられないという感情と共に深い失望が浮かんでいた。


「ガルア、本気で俺を邪魔するつもりか?」

「聞いてくれ……彼女は俺達が知る魔族とは違う! 話をすればわかる!」

「話す? 魔族と話すだと? ふざけるな!」


 イグナスは激しく剣を振り上げ、今度は俺を狙って構える。

 その目には、これまでの仲間としての情は微塵も残っていない。


「お前がその魔族を庇うなら、俺の敵だ!」

「イ、イグナス……」

「そうか……わかったぞ! 脳筋の戦士は状態異常攻撃に弱い! そうか、あの魔族は誘惑の特技を持っているのか!」

「俺は誘惑など……」

「暫く『戦闘不能』になってもらうぜ!」


 白銀の剣が月の光を浴び、濁った輝きを放ちながら振り下ろされる。

 その瞬間、俺の体は勝手に動いた――。


 ――ゴギャッ!


 鈍い音が走った。

 確実に骨が砕ける深い音。

 数多の魔物を斬り、断ち、粉砕したときの音だ。


「お、お前……やはり誘惑……ぐぶっ……!」


 俺はカタストハンマーでイグナスの胸を強打していた。

 カタストハンマーは当たると確実に会心の一撃で出る。

 ……が命中率は1/3。

 今回ばかりは運よく当たった。

 そう俺はイグナスを攻撃したのだ。


「がはっ!」


 そして、イグナスは吐血してそのまま倒れた。

 その地に臥せた姿はこれまで屠り去った魔物のようだった。


「あ、あんた……」


 一連の光景を見ていた女魔族は俺を見て驚いている。

 それもそうだろう、まさか人間に命を救われるなどとは思わなかっただろう。


「逃げるぞ」

「え?」

「逃げると言っているんだ。さっさと呪文を発動して、その縄を焼き切れ」


 促された女魔族は無言で、手から小さな火を練り出すと縄を焼き切った。

 縄から解かれた女魔族だが、まだ呆然と俺を眺めていた。


「すぐにここから出る」


 俺は女魔族の手を取ると納屋から出る。

 行く先がわからない逃避行――。

 しかし、女魔族の白く細い手は不思議と冷たくはない。

 むしろ何故か暖かい温もりを感じたのだった――。

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