≪名も無き村の宿≫
「殺すしかないな」
ジルから話を聞かされたイグナス。
あの魔族の女を殺す選択肢を選んだ。
勇者の選択、主人公の選択、それはそれで正しいだろう。
だが、ジルは念を押す。
「本当に殺すのか?」
イグナスは声を低くし、簡素に答える。
「ああ」
「まだ若い魔族のようだが……」
「見た目が人間に似ているだけだ。魔族は敵だ、殺さないといけない」
冷たい勇者の答え。
「……そうか」
ジルは黙って頷いた。
それがイグナスの正解ならば同意するしかない。
この物語の主人公が選んだものが正解――そう教えられているからだ。
「行って来るよ。それに、その勇者の最終試験とやらが何なのか試してやる」
「一人で行くのか」
「当然だろ」
イグナスは壁に立てかけてある白銀の剣を手に取る。
防具は身につけず、麻の服という軽装で出ようとしていた。
それに一人で納屋に行くという。
その余りにも軽率な、主人公の行動にジルは苦言を呈した。
「待て、私とミラを連れて行け」
「ミラは寝てるだろ」
「叩き起こせばいいだろ。回復役は必要だ」
「俺一人で大丈夫だよ。それにそこにはガルアもいるんだろ」
「そういう問題ではない」
「なんだよジル」
「お前の行動は全てにおいて軽率すぎるぞ」
「うるさいな。何をしようと俺の勝手だろ」
扉を開けるイグナス。
その後ろ姿を見て、ジルは再び声をかける。
「念のためにもう一度聞くが……本当にそれでいいのか?」
「ったくよ……ごちゃごちゃうるさいヤツだな」
イグナスは苛立った。
今日のガルアといい、このジルといい、自分の選んだ選択肢を非難する。
今まで冒険で自らの指示、命令は全て頷き、従ってきた彼ら。
それがまるで言うことを聞いてくれない、とイグナスは感じていたのだ。
「ジル、しつこいぞ!」
イグナスは怒っていた。
これまでのように黙って従い「流石は勇者だ」とただ賞賛してくれればよい。
実に傲慢で子供っぽい『主人公』が出来上がってしまっていたのだ。
「いつだって、俺の選ぶ道は正解だ!」
「正解か……」
「そうさ! だって、俺は勇者なんだからな!」
俺は勇者だ、その自負心が強いイグナス。
この物語の主人公であると彼はそのまま部屋を出た。
部屋に一人残されたジル、静かに椅子に腰かけた。
「勇者イグナス――お前は不合格のようだな」
ジルは言った。
不合格であると――。
「ほほう、あの魔族の女は役に立っているようだね。どこで何が役立つなんて本当にわからないものだよ」
その時である。
一人の男がジルの前にどこからともなく現れた。
その男は小柄で鉛色の頭巾を被り、呂色のマントを見に包んでいた。
顔はよく見えない、ただジルはこの男をこう呼んだ。
「クレストか」
クレスト――。
そう呼ばれた男は不敵な笑みを浮かべた。
「またボツキャラか、大聖師様も懲りないお方だ。もうこれで何人目なんだろうねえ?」
「さあな……」
「今回の<Ground Brave Quest>は果たして完成するのだろうか? これだけの『バグ』が起こってしまえば『修正パッチ』の作業が大変だと思うんだがね」
「それは俺達の考えることではなかろう」
ジルは静かに言葉を続けながらも、目の前のクレストを鋭く見据えた。
クレストの不敵な笑みは、どこか余裕に満ちている。
「しかし、ジルはいいよね。僕達は一人一人名前が違うだけの量産型なのに、君だけは固有の名前、キャラ付け、設定があって羨ましいよ」
ジルは眉をひそめ、クレストの軽口に冷たい視線を向けた。
「羨ましい? 馬鹿なことを言うなクレスト。名があろうとなかろうが、俺達の役目は決まっているだろう」
「そうだね、僕達は所詮『監視者』だもの。でも、それが少し退屈な時もある。君のように物語の核心に触れられる存在には憧れるよ」
クレストは肩をすくめて笑ったが、その目の奥にはどこか諦めと冷たさが漂っていた。
「それにしても……今回の勇者は傑作だったね。勇者という肩書きに縛られて、正義を履き違えている。これが本当に物語の主人公だとはねえ」
「選択の誤りによる破滅――この世界の理だ」
ジルの言葉にクレストは深く頷きながら、言葉を続けた。
「それはそれとして、あの魔族の女は勝手な行動をしたみたいだね」
「勝手な行動?」
「おいおい、何を言っているんだい。あのマップの位置に『冒険書の記録』というアイテムがあるという話があっただろう。あれはバグで早めに処理しなきゃ、この世界に悪影響を与えると何とかさ」
「あれか……」
「やっとバグアイテムを見つけたのに処理できていない。君が誘導した勇者イグナスも、あの魔族の女も、そいつを探し出すように仕込んだはずなんだがね」
ジルは静かに答えた。
「ああ、私はそのためにイグナス達をこのルートへと誘導した。だが、肝心のその『冒険書の記録』とやらのアイテムも見つからなかったし、イグナスのやつは主人公として徹底的に欠けるような行動を繰り返してしまった」
「……不合格となった勇者はどうでもいいよ。問題はあの魔族さ」
「魔族に問題があると?」
「マップにあるはずの『冒険書の記録』も見つけなかったあげく、急ごしらえで作り出したこの村も燃やそうとした。まったく、手順を間違えたのか、そもそも命令を理解していなかったのか……いや、それとも意図的か?」
クレストは顎に手を引っかけ、考え込むふりをしながらジルに視線を向けた。
「お前は何を言いたい?」
ジルの言葉に、クレストはニヤリと笑みを浮かべた。
「つまり、あの魔族の女は僕達のようにプログラム通りに動いていない可能性が高い。意図的に『理』に抗おうとしているかもしれないってことさ」
「抗う?あの女が?」
「そうとも、僕ら監視者からしても不思議な現象だよ。物語の一部に過ぎない存在が、自分の意思を持ち始めるなんてねぇ」
「……だが、それが事実ならば危険だ。理が壊れる兆候と言える」
「その途りだよ。だからこそ僕らは監視しているんだよ、歪みの広がりをね――」
クレストの声には輝識さが混じっているが、言葉の内容は不安を駄目にしていた。
「ジル、君も自分の役目を絶対に忘れちゃいけないよ?」
「どうした改まって」
「報告し忘れていることがあるだろう」
「報告?」
「……あのマップの奥深くに誰かいたんじゃないのかい」
その言葉にジルは一瞬息を呑んだ。
クレストの言葉が、心の奥底に隠していた事実を鋭く突き刺す。
「……何のことだ?」
ジルは努めて冷静を装ったが、クレストはその態度を楽しむように微笑を深めた。
「おやおや、隠し事は良くないね。僕達は仕事仲間なんだから、正直に話してくれてもいいのにさ。ほら、青い暴君――サピロスというドラゴンだよ」
「あのドラゴンか……」
「やはりそうか、村人達を監視していたら『ドラゴン』がどうのと設定とは違う台詞を言ってたからねえ」
理に抗う者達が動き始めた――物語は誰の手にも負えない。