酷く酔っている土方の歌った懐かしい歌だった。まるで、二十年も三十年も昔のことのように思えるが、土方が青雲の志を抱いて上洛したのは、たった五年前だ。たった五年だというのに、遠くまで来てしまったものだと島田は思う。毎日市中の見廻りと、道場稽古、血気盛んな男所帯だから、良く突っかかって喧嘩もした。文久三年の夏は暑かった。汗だくの男達は、良く動いて良く喰った。郷里で、腹がくちくなるまで飯を食ったことがあるものは、新撰組には居なかっただろう。会津様の『お預かり』になり、米や味噌は会津藩から出ていたらしいが、最初の屯所となった壬生の前川家や八木家を初めとする各家には、多大に世話になった。腹一杯になるまで飯を食い、『お役目』まで与えられた。家の中で、小さくなって過ごしていた次男三男坊達は、みな、嬉しかった。泥まみれ、汗まみれ、血まみれになりながら戦っていくことが、ただ嬉しかった。酒も呑んだ。金もないのに、花町に繰り出して、女遊びにも明け暮れた。
楽しかった、と懐かしむのは、死が明日に迫っているからだろう、と島田は思った。だが、島田には後悔は無い。明日、戦死するとしても、もう、悔いは無かった。寧ろ、土方と共に散ることが出来るのならば、それで良い。
酔った土方に水を飲ませて、明日に備えて休んで貰うように進言しようとした島田に、土方は、唐突に聞いた。
「……京に残してきた女に、別れの文は書いたのか?」
意外な言葉に、島田は面食らった。京には、女を残してきた。女は待つと言ったが、帰る当てのない戦だ。一年にもなろうというのに、女が待っているとは、島田には思えなかった。「いいえ、書いておりません」と島田が言うと、「それは良くない」と土方は言った。酔っているから仕方がないと思ったが、土方は、先ほどまでの泥酔が嘘のように、醒めていた。
(ああ……最後の別れが悲しくて、酔った振りをしていたのか)と島田は納得した。思えば、まる一年、共に戦い抜いてきた仲間である。この一年で、大小何回の戦をしてきただろうか。その度に、いくつの傷を負っただろう。どれほどの血が流れて、どれほどの人間が死んだだろうか。江戸から北へ! 宇都宮、日光、会津、白河、仙台そして、函館と、何百里を血刀片手に進んできただろう。その道程を共にした仲間との、永別に、涙を流したくなかったのだろう。
「待たせた女が居るというのに、末期の別れも済ませていないようでは、死なせるわけにはいかんな」と土方は言う。島田は、「私は、お供いたします」と短く告げると、土方は苦笑した。
「島田君」と土方は畏まって呼びかけた。「島田君。君には、大いに世話になった」
深々と頭を下げた土方に、島田は「土方さん、止めて下さい」と言ったが、土方は、なおも、頭を下げ続けていた。
「私は、土方さんから脇差を頂いた時から、ずっと、土方さんと義を結んだ気持ちで居りました。山崎君が、近藤さんに誠を捧げたように、私は土方さんに義を捧げただけです。ですので、私は、明日も戦います」
きっぱりと言い切った島田の言葉に、土方は顔を上げた。「いや……違う。俺は」と言いかけた土方の言葉を、島田は遮って言った。
「知っています。土方さんは、もう、すでにどなたかと、義を結んでおられた。それと、私が義を捧げるのは、別の話です」
土方の、『役者のような』と評される端正な顔が、ゆがんだ。「知っていたのに、なぜ、お前は、俺に尽くしてくれたんだ」と土方が不思議そうに聞いた。
「当たり前のことです」と島田は静かに言った。「私は、京洛で募集があった時に、壬生浪士組に参加しました。江戸からの上洛組の次に新撰組に入ったのです。土方さんは、すでに副長として多忙であられました。当時の局長は、近藤さん、芹沢さん、新見さんの三人体制で芹沢さんが筆頭局長でしたか。私は、その三人や山南副長、永倉隊長、沖田隊長などの幹部の中で、一人、一歩退いたところから体制を鳥瞰されておられた、土方さんの姿に惹かれました。嫌われ役を進んで引き受けるというのに、それを押しつけられない潔さにも惹かれました。けれど、ひどく、不器用で敵を作りやすい方だとも思いました。ですので、私は、脇差をお預かりした時に、素直にお受けする気になりました。私は、自分で、この人について行くと決めたのが、土方さんでしたので」
「……俺は、芹沢さんを殺した男だぞ」と土方は言うが、「構いません。土方さんには、芹沢さんを斬る理由があったと考えて居ます。私には解りませんが……もし、よろしければ、お教え下さい。先だっての仙台、何故、平間さんが土方さんの所を訪ねていらっしゃったのですか? 私の記憶違いでなければ、平間さんは、芹沢さんの……」
島田の言葉を遮るように、土方は言った。「傳役兼従者だったよ。平間さんは、常陸国芹沢村で、代々、芹沢さんの家に仕えていたらしい。芹沢さんは、元々芹沢村の出だが、三男坊で、養子に出された。婿養子だ。平潟から西……山の方に行ったあたりと言っていたかな、松井村という所の下村家に婿養子に入ったから、本当の名は、下村嗣司と言うらしい。それがどういう経緯か解らないが、芹沢家に戻り、天狗党の前身の玉造組に参加している。芹沢村というのは、玉造にあるらしい。私は、行ったことがないから解らないが、芹沢さんや新見さんは、良く話をしていた。おそらく、平間さんが、ずっと京まで来たと言うことは、芹沢さんは下村家から出戻ったのだろうね。
島田君の聞きたいことは、なぜ、その平間さんが、俺の所に来たのかという所だろう。少し、長いが、どうせ、今日は眠る気がしなかったから、丁度良い。そうだな……、文久三年の春だよ。一応、俺たち浪士組は、『攘夷』を目的にしていたし、文武両道をめざすことになっていたから、剣術稽古に、手習いに、学問もやった。芹沢さんは、水戸で、水戸学を勉強していたらしい。水戸藩の家老にまで登った、武田耕雲斎殿とも面識はあったらしい。芹沢さんのやっていた学問が、良いか悪いかはよく解らない。だが、俺は、芹沢さんの話を聞くのが、ことほか面白くてね、熱心に、芹沢さんから話を聞いていたよ。酒癖が酷くて、酔っ払うとどうしようもない人だったが、俺は芹沢さんが好きだったよ。俺と芹沢さんは、仲が良くないだとかいろいろ言うもの居たのだろう。……いや、俺と芹沢さんが『仲が悪い』と思っていた方が、新撰組の隊士達は、都合が良かったのかも知れないね。『仲が良いのに殺した』と思うのが嫌だったのだろう。それならば、『土方は嫌な男だから、自分の嫌いな者を粛正した』と思う方が、良いだろうからね。
俺は、芹沢さんが好きだったが、それと、芹沢さんが、新撰組に必要な人間かというのは、話が別なんだ。それは、芹沢さんも解っていたよ。
これは、近藤さんにも言っていない話だ。実は、新見さんを
料亭の部屋に通されると、芹沢さんは、畏まった紋付きなんかを着ていた。これはただ事じゃないと思ったよ。芹沢さんは、俺が来るなり『副長殿に内密のご相談がある』と言ってきた。芹沢さんが相談するなら、新見さんだろうと思ったが、その新見さんは、死んでいるから、俺に相談と言うことになるのだろうかと、まぁ、その時はぼんやり思ったんだが、芹沢さんは、至って堅苦しい態度を崩さなくて、俺は居心地が悪くてたまらなかった。芹沢さんは、歴とした、武家のご子息だ。なんでも、足利将軍の頃まで遡るとか、そういう由緒ある家だと聞いた。俺とは違うなと、その時実感したんだがね。
芹沢さんの用向きは、芹沢さんの
芹沢さんと近藤さんは、隊士達全員参加で、角屋を借り切って酒宴を開いた。それで、俺が声を掛ける。一緒に飲み直そうと言うことだ。それで、芹沢さん、平間さん、平山さんを誘って、出て行った。芹沢さん一人を殺す予定だったのが、平山さんが逃げ遅れて、誰かに斬られたよ。俺がやったのか、沖田がやったのか、永倉がやったのか……よく解らない。芹沢さんに斬り付けたのは、誰だったのかも、よく解らない。ただ、これを計画したのは俺と芹沢さんだ。だから、俺が芹沢さんを殺さなければと思ったよ。
あの時は、俺と芹沢さんの芝居だったんだ。会津様は、芹沢さんに大層ご立腹だった。御所のほど近くで大砲を撃ち放したんだから、当たり前だ。討ち取れ、と命じられた。仕方がない。近藤さんは、それを、芹沢さんに相談したらしい。謝罪に行けば許されるかも知れないし、なにか、方法があるかも知れないと、近藤さんは思っていたようだ。
芹沢さんの胸中は解らない。だが、芹沢さんは、俺に
そもそも、まずは、流山の新撰組の話をしなければならないだろう。島田君にも、話しては居なかったが、流山から、新撰組は北に向かわせていた。これは、斉藤君……ああ、慣れないな、今は、山口君というのだった。その山口君に任せて進ませた。その道中で、頼み事をした。
平間さんに、届け物をして貰ったのだ。流山から、水戸街道ではなく、銚子まで行き、そこから、潮来、玉造の芹沢村と進んで貰った。水戸は、勤王の土地柄だ。幕府軍の新撰組が通っていくのは、難儀しただろう。ともかく、山口君率いる新撰組本隊は、芹沢村を目指した。平間さんに渡してもらったのは、私の辞世と、遺髪だ。
不思議そうな顔をしているな。ああ、安心してくれ。私が、義を誓ったのは、芹沢さんではないよ。芹沢さんは、あちらの方には興味はない人だったからな。男に義を誓っている閑があるならば、女を抱いているひとだし、人の女にでも平気で手を出す人だったから、本当に厄介で、揉め事も何度起きたか解らない。そういう意味では、だらしのない人だったな。もっと、上手くやればいいのにと思っていたよ。
届け物の話に戻るが………以前、芹沢さんと話をしていた時に、芹沢さんの辞世を聞いた。俺が、俳句をすこしやると話したら、教えてくれた。俳句を見せろと言われたが、固辞したら、『辞世が出来たら見せてみろ』と言われてね。なんどか、そういう遣り取りがあったから、俺は、辞世が出来たら、芹沢さんに見せる義理がある。俺が断髪したのは、去年の三月十五日だ。この日、江戸城は、明治新政府軍の総攻撃予定日だった。ああ、いまと、大差のない状況だな。明治新政府軍は、江戸城に対して、通達していた。それを阻止したのは、勝安房守様だ。江戸に住む何十万の人間の命は守られたと思った。正直、安堵もしたが、もう、侍の時代は終わったのだと思ったよ。あの時、少なくとも、武士としての俺は死んだのだ。
ともかく、それ以降は、俺は洋装になった。断髪で着流しも悪くはないんだろうが、少し、変な感じだったからな。洋装は、脱ぎ着に難儀はするが、動く分には悪く無い。攘夷を目指していたはずの新撰組の俺が、洋装して、拳銃を持っているとは、何と言うことだと思ったよ。おかしくなったよ。函館に行ってからは、余計にそうおもったよ。この、蝦夷共和国とも言える、函館新政府軍を強くしなければならないと思ったら、なりふりは構っていられなくなったよ。だから、俺は、フランス人やアメリカ人から、戦の仕方を教わった。軍艦の動かし方、彼らの戦の仕方、とにかく、何でも教わった。強くならなければ、明治新政府軍にやられるからな。話してみれば、アメリカ人でもイギリス人でもフランス人でも、そうそう悪い奴らじゃないというのも解る。確かに、清国のように植民地にさせる訳にはいかないが、上手く付き合えばいいと言う大鳥君の論も解る。俺も、大鳥君も、榎本さんも、みんな、心は一緒だ。この、俺たちの作った
……そう思うと、芹沢さんのことを思い出す。あの時も、新撰組を、がっちりと固めなければと思っていた。強固な集団を作って行かなければならない時だった。その為だったら、何度もやってやると思ったさ。実際、何でもやった。島田君なら、大体のところが解っているだろう。
だがなぁ……、新撰組の為に、と思って俺が何かをすると、俺は、隊から孤立する。やればやるほど、隊士の心は離れていく。俺はなぁ、島田君。新撰組を、強くしたかっただけなんだ。守りたかっただけなんだよ。それが、なんであんな結果になったんだ。
近藤さんは、首を斬られた。………山口君からの連絡で、近藤さんの首は、三条河原に晒された後、消えてしまったと言うことをきいたが、あのあと、俺は、近藤さんの、首の行方を知った。そうだ。平間さんが持ってきた、あの酒樽の中に、首が入っていたのだ。
君菊は憶えているだろうか。上七軒の芸妓だった女だ。島田君も、何度かあったことはあるだろう。ああ、懐かしいな、みんなで、餅を食ったな。島田君は、何十個も食べるんだ。俺と君菊は、その食べっぷりを見ているのが好きでな。君も、それが解っていて、喰ってくれたんだろう。……また、餅を食いたいなんて、話もしていたな。あの餅屋、太閤さんの昔から有る店だなんて言っていたけど、本気かなぁ。まぁ、京というのは、古い店も沢山あると言うからね。会津様から賜ったことがある、虎やの菓子も、本当に美しくて喰うのがもったいないほどだったな。
あの、君菊に、もし、文を呉れるなら、平間さんの所にと言付けしておいたんだ。文を、出すとも思っていなかったからね。そうしたら、君菊は、近藤さんの首を送ってきた。どうやら、壬生に知り合いが居たらしく、昔世話になった人たちに声を掛けて、近藤さんの首を、俺の所に送ってきたらしい。
近藤さんが側に居ないと、土方さんは寂しかろうと思って……というところだろう。俺は、そこまで、近藤さんとべったりくっついていた訳じゃないと思っていたけどな。第一、近藤さんの方が、俺を避けていたから、俺とは行動を別にすることが多かったよ。隊士募集も、必ず、別だったし、戦いに出る時も、俺と近藤さんが隣にいると言うことは殆ど無い。池田屋の時だってそうだった。乱戦になったら――――後ろからやられると思っていたのだろうね。近藤さんが、俺を避けていると気付いた時には、悲しかったよ。
俺は、江戸から出てきた時から、ずっと、近藤さんのところの門下だったし、近藤さんの後をついて行っていると思っていた。でも、近藤さんに、ついてくるなと言われた気分になった。見放されたような気分だ。
俺は………居場所が欲しかった。新撰組は、居場所だと思った。けれど、俺は、あそこには居てはいけないんだろうね。多くの仲間を殺して生き延びた……同胞を殺して喰ってきたような男だ。俺の側に居てくれた、市村君や島田君などは……みな、白い目で見られていただろうね。それを思うと、申し訳なくなってね。
特に、市村君は若い。十七だ。こんな北の辺土に散ることも無かろう。だから、佐藤彦五郎殿の所に向かわせた。佐藤彦五郎殿には、市村君をよろしく頼むと書いておいた。数日前に、江戸の……ああ、もう、東京というのだったな。勝手に、名前を変えるなと言うんだ。江戸の、大和屋に、市村君が来た時の事を書いておいた。おそらく、市村君なら、そうするだろうからな。
島田君。俺は、明日、死ぬだろう。それで、良いと思っている。しかし、大鳥さんや榎本さん、その他の方は、皆、これからの時代に必要な人材だ。海軍や外国との交渉に長けている人材は、明治新政府には少ないだろう。これから、こういった人材は、必要となるはずだ。この方々は、降伏を受けられると良いだろう。明治新政府が、愚かでなければ、この方々の価値は十分解るはずだ。だが、俺は違う。武州からなりふり構わず刀一本で生きてきた無学の男だ。だが、悪名だけは十分だろう。なにせ、親玉が三条河原に晒されたほどの大悪党。その片腕だった男だ。島田君。近藤さんが、命で新撰組隊士を守ったようにね、俺も、そうするよ」
土方は、晴れ晴れと言った。島田は、体が、震えた。なにか、言って、土方を止めなければと思ったが、長い、土方の独白を聞いていたせいか、声が出なかった。
「俺は、死ぬ。みんなが見ている目の前で死ぬ。俺一人死ねば、おそらく味方の士気は著しく下がることだろう。俺が死んだら、新撰組が動いてくれ。『土方が戦死した』と、大鳥さんに伝えに行くんだ。降伏させろ。それが、新撰組