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第2話


 蝦夷地は、言わずもがな寒冷地である。雪と寒さに閉ざされた凍てつく大地であることが、函館新政府に、ほんのひとときの時間を与えた。


 明治新政府としては、雪中行軍を強行するよりも、春になるまでの間に十分に軍備を整えておいてから、大軍で一気呵成に討伐した方が味方の損傷が少なくて済むということだ。


 一月から二月末までのほぼ二月。これが、函館新政府に与えられた時間だった。この時期、土方を初め、函館新政府の者達は、比較的、ゆっくりと過ごしていた。


 函館新政府は新貨幣を鋳造を決めたり、徴税などについても議論がされた。土方も、句会に参加していたし、京に居た頃を懐かしんだのか、楽器を習ったりもしていた。函館には写真師が居たので、写真も撮って貰った。函館新政府閣僚は、みな、写真を撮って貰っている。勿論、戦の真っ最中ということは忘れては居なかったので、次の戦略に向けての備えもしていた。


 明治新政府軍は、最新の軍艦で蝦夷地上陸を決定していた。この軍艦の奪取しなければ、函館新政府は、明治新政府軍に蝦夷地上陸を許すことになる。この軍艦が宮古沖に碇泊しているというので奪取を試みるも失敗。明治新政府軍の蝦夷地上陸は決定的なものになった。三月二十五日のことだった。


 四月九日には明治新政府軍が蝦夷地に上陸した。四月十三日には、二股で戦闘になった。激戦の末に、何とか凌いだが、土方は、このあたりが潮時だと思っていた。明治新政府軍は、何十万の兵が居るのか。たとえば、ここで数十人や数百人をやり過ごしても、次々と来るだろう。明治新政府軍の主力部隊の旧藩は薩摩・長州だったが、戦闘が長引けば、恭順降伏を示した諸藩が、その証立ての為に、死にものぐるいでやって来ることだろう。降伏した以上、次に彼らが望むのは主家存続だ。替えの兵士が、次から次へとやっと来る。函館新政府軍、およそ三千。勝てる戦いではない。


 榎本を初めとして、多くの函館新政府閣僚達は、降伏論に傾いていただろう。土方でさえ、そうするべきだと、思っている。


 だが、自隊である新撰組の者達の顔を見ている内に、軽々しく降伏を言い出すことが出来なくなってしまった。死に場所を、求めているのだ。ここで戦って散って死にたいというのだ。武士として生きてきた矜恃だろう。


 土方は、迷った。


 文久三年に郷里を棄てた時は、攘夷を志し、国の為に尽くすという大志があった。それも、いつしか薄れ、いまでは、攘夷どころか、断髪洋装姿で、外国人とも通訳を交えて会話をする。外国人から、軍略を教えて貰うこともあった。同じ船に乗り込み、宮古沖では共に戦った。先の二股でも、前線で指揮を執っていたのはフランスの軍人、ホルタンである。外国人は、函館新政府にとって、援軍だった。


 土方の敵は―――外国から、朝廷に変わっていた。


 勿論、朝廷に弓引くつもりなど毛頭も無かったが、結果としては、そうなった。函館新政府は、明治新政府から見れば、間違いなく、朝敵だ。


 このまま、生き延びさせて、朝敵の汚名を被れば、近藤のように斬首となるかもしれない。だったら、ここで戦わせて、思うように散らせる方がよいのかも知れない。


(なぁ、近藤さん。近藤さんなら、どうする?)


 土方は、胸の中の近藤に問いかける。近藤は、笑うだけで、何も答えない。答えてくれるはずがなかった。土方は、伏見の時を思い出していた。あの時も、薩摩・長州が敵だったか。土方は負傷した近藤の代わりに、前線で指揮を執っていた。退けば斬る! そう叫びながらの戦いだった。自分に向かってきたものは、敵だ。退いた味方は、自軍の指揮を低下させるという意味では、十分に敵だ。死にものぐるいだった。


 二股の戦いは、とりあえず凌いだ。だが、もはや、次は無いだろう。二股が凌ぎきることが出来たのは、奇襲だったからだ。奇襲を掛けて、なお苦戦した。ホルタンは、途中で土方に撤退を進言した。


 だが、土方にも意地があった。初戦一つくらいは、勝ち戦を作らなければ、函館新政府は、一つも勝てないまま、明治新政府軍に屈することになると考えたからだった。とりあえず、函館新政府軍として、一つ、勝ちを稼いだ。これで十分だと思った。男の意地は通すことが出来た。


 だからこそ、迷いが生じた。ここで降伏しても、明治新政府軍と戦って一つの勝ちを得たという矜恃を保つことは出来るだろう。だが、隊士達は、ここで死にたがっているものも多い。新政府の世話になって生きるくらいならば、ここで死ぬというのだろう。


 土方自身は、どうあがいても自身が死ぬと言うことを、理解していた。榎本・大鳥たちならば、函館新政府閣僚だが、『前科』は無い。新撰組副長として、薩摩・長州人を斬ってきた土方には、彼ら明治新政府軍が血祭りに上げるだけの『前科』がある。


 それに、土方には、刀しかない。これからの世界には、不要な人材だ。対する大鳥などは、外国に対する知識も深い。これからの世の中で、必ず必要な人材になる。一度は、函館新政府閣僚ということで、苦境に立たされるだろうが、きっと、持ち前の明るさで、今度は明治新政府の上層部にまで上り詰めていくだろう。


 何度かの戦いをすれば、降伏に到る言い訳が出来るだろう。それまでは戦い、その後、降伏させる。それが一番かも知れないと土方は思った。


(ならば、俺は、総攻撃の真っ直中で戦死するのが一番だな)と土方は自分の死をも、ここで決めた。土方は、小姓の市村鉄之助を呼んだ。市村鉄之助は、未だ十六歳。死ぬには、あまりにも若い。本人は、武士らしく散って死ぬと言うだろうが、こう若い者まで道連れにするのは忍びなかった。


「市村君。二股での戦いでは我らは辛くも勝利することが出来た」と切り出すと、市村鉄之助は、「はい。これも、土方奉行の指揮の賜でございます」と眼をきらきらと輝かせていた。この調子で、勝利が続くことを望んでいるのだろう、と土方は思った。

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