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第2話


 仙台は流石に六十二万石の大城下町である。土方は、ふらり、と花町を訪れていた。戦の真っ直中で、奥羽鎮撫府や幕府軍などが仙台に集結している。男が多く集まれば、花町が必要になる。花の京や江戸の名妓相手に遊びをしてきた土方であるが、仙台も中々盛況なものだと感心していた。勿論、京で土方が通った、太夫達とは格は違う。京や江戸の芸妓は、一通りの芸事と古典に通じていた。その格式高い女達相手に、駆け引きを楽しむのが楽しみだ。あれは、懐にも気持ちにも余裕がある時の『遊び』である。勿論、今の土方には、そんな余裕は無い。


 芹沢を殺した後、山南を殺した後、伊東を殺した後……土方の足は花町に向く。女達は、手練手管で男を誘う。それに乗る。一度二度、三度と通って馴染みになる。馴染みになれば、女達は女房のように甲斐甲斐しくする。吉原などでは、馴染みになった客には、専用の箸や湯飲みなども置いていた。女達の肌とぬくもりに溺れていれば、嫌なことは忘れられる。ましてや、惚れているような素振りを見せてくるものだから、それが、彼女たちの、客を離さない為の常套手段だとしても、悪い気はしない。


 たまには泊まっていって、などと延泊を勧める女の申し出を受けることはないが、やはり、悪い気はしない。また来る、と言い残すと、必ず来て下さいませ。お待ちしておりますと切なく言う。この言葉が聞きたくて、女通いをしているようなものかも知れない。


 誰か、待つ人が居るということで、土方は一応の安堵を得る。


 仙台の女郎は、江戸や京に比べると、垢抜けていなくて田舎くさい。君菊は、その点、太夫になろうかという格式の女だったから、非の打ち所はなかった。女に酌をさせて酒を飲んでいる間に、すっかり、気分が萎えてきて、この女を抱く気は無くなっていた。


 君菊から送られてきた酒樽は、土方を動揺させた。土方自身、己の烈しい感情をもてあましてしまった。悔しいのか、悲しいのか、それすらもよく解らなくなってしまった。ただ………そう。言うなれば、大切なものを、喪ってしまったのだ。土方の想像の限界は、とっくに越えてしまった。もう、土方には、どうすることも出来ない。


 黙々と酒を飲んでいる土方に、女はしなを作って寄りかかってくる。その媚びた仕草が溜まらなく鬱陶しくなって邪険にすると、女はムッとした顔になった。女郎風情と馬鹿にされたと思ったようだ。確かに、ここは、島原や吉原のような遊びをする場所ではない。色を売り買いする場所だ。そこでのこの土方の態度は、女の矜恃を踏みにじるものだろう。


「いや、すまぬ」と土方は素直に詫びた。女は依然、ムッとしてそっぽを向いたたままだ。「話を聞いてくれるか」と下手に出て、やっと女が土方の方を向いた。切れ長の目が、君菊に似ている。眼差しの澄んだ感じが、ややもすると冷ややかに見えるところが良かった。君菊の柳腰に比べると、ししが付きすぎている気もする。抱いた感じで言うならば、むっちりとしていて、こちらも悪くはないのだろう。


「長年来、親しくしていた人が、亡くなったのだ」


「戦で命を落とされたんですか? 嫌な世の中です。なんで、お殿様も、朝廷に付かないんだかって思いますよ。貞山様以来の御悲願である『征夷大将軍』を今のこのご時世に狙っているという噂で、その為に、だらだら戦を引き延ばして居るだとか、迷惑な話です。最も、お殿様は、もうそろそろ、降伏するっていう話を聞きましたけどね」


 芸妓というのは、敵味方関係なく男を相手にする。その時に知った情報を、他に話すのは厳禁というのが花町の決まり事のはずだった。おしゃべりにはあきれもしたが、(ほう)と土方は少し、この女を見直した。貞山様は藩祖・伊達政宗の事だ。さらさらと、藩内の事情が出てくるのを察するに、仙台藩の藩士の娘が身を落としたのかも知れない。


(そういえば、山南さんが言っていたな。人を食らってまで生きたところもある……と)


 娘の身売りも、おそらく、頻繁に起こっていたのだろうと推測できる。


「死んだのは、一人は病。これは死病だったが若くして死んだ。もう一人は、首を斬られた。江戸の板橋宿に晒されて、そのあと、京まで運ばれて、京でも晒されたらしい」


「江戸と京で晒されたんですか? 一体、どんな悪事を働けば、そんな目に遭うんです」


 女は大仰に驚いた。たしかに、同じ気持ちを、土方も持った。人を斬った。恨みは多く抱え込んだ。だが、されることだったのかと思っていた。誰かに、言って欲しかったのだと、土方は思った。


「沢山人を斬った。京洛を守る為、ご公儀の命令で、人を斬った。人斬り稼業と、京の者達からは言われたし、俺も、きちがいと言われたよ。でも、それでも、斬ってきたのだ。それが、正しいと思ってきたから、そうしてきた。―――ならば、なぜ、あの人は、首を落とされた。俺たちは、最初から、間違っていたのか?」


 誰か、教えてくれ、と土方は思った。近藤を、売ったのは土方の罪だ。だが、それ以前のことすべては、誰が間違ってこうなったのか、教えて欲しかった。はき出すような土方の言葉に、女は「もしかして、あんた、新撰組かい?」と聞いた。


「仙台まで、悪名が届いているとはね」と苦笑する土方に、女は溜息を吐いた。「人斬りの新撰組にね仙台藩士が居るって聞いたんだよ。まさか、仙台藩士が、脱藩して京で大暴れをしている何て思わないだろう? ……そうか。あんた、副長の土方様か」


 名前まで知られているとは、と土方は驚いた。土方の驚きで、女は答えを察したようで、


「そうかい、土方様かい」と、検分するような眼差しで土方を見た。「あんた、仙台ここからどうするつもりだい?」


 それは、まだ、考えあぐねていることだった。予定では、榎本釜次郎が艦隊を率いてやってくるということだった。大鳥は、榎本と合流するつもりだ。


『土方君は、どうする?』と大鳥に聞かれた。決められなかった。


『大鳥君のほうこそ、どうするつもりだ? 米沢にも会津にも、もう向かわないのだろう?』と聞くと、大鳥圭介は、躊躇いのない眼差しで、告げた。


『蝦夷地に行くよ』


 蝦夷地、と土方は考えた。まるで、考えたこともない土地だ。津軽より先、蝦夷地には松前藩という藩があるが、ここでは、米は作れないと聞いた。たしか、新撰組二番隊隊長の、永倉新八は、松前藩の藩士だったはずだ。江戸詰めの永倉家は、自国に行ったことはなかったと言うが、少しは事情を知っていたらしく、幾らかの話を聞いた覚えがある。松前母、米が穫れないからそれで、向かいの津軽藩や周辺の藩から、米を買っていると聞いた。


 現在では、改良が進められ寒冷地向きの米が開発されているが、当時の米では、北の大地の寒さに耐えられなかったのだろう。元々、米は、南方由来の植物である。


 大鳥はにこにこと笑っていた。連戦連敗を率いて、兵からの信用も失っているというのに、なぜ、へらへらと笑っていられるのかと、土方は不思議な気持ちになった。


『大鳥君。蝦夷地に行って、どうするつもりなんだい?』


 と土方が聞くと、大鳥は目を輝かせながら答えた。


『蝦夷地は、広く未開の荒土が広がっているという。これを開拓してそこに……』




 新しい国を作ろうとしているんだよ!




 誰の発案か解らないが、土方は、あまりにも突拍子もない話に、頭が、くらくらした。正気か? と思った土方だったが、大鳥圭介は、至って真面目だった。


『幕府も朝廷も関係のない国だ。君は、元は攘夷派だったから、諸外国と協力するのは反対かも知れないが、ロシアやアメリカ、イギリスと対等に貿易をしていく必要がある。あくまでも、どちらかに不利にならないようにするのだ。彼らが、幕府に開国を迫ったからには、この日本には彼らの欲しがるものがある。少なくとも、アメリカならば、太平洋を渡る前に、物資水食料の調達をしたいだろう』


 滅法前向きな大鳥に、土方は、あっけにとられるばかりだったが、同時に、こうも思った。(おそらく、この男は、今は連敗の将で人心は離れているが、やがて、この男の元に、人が多く集うようになるだろう)


 暢気な男だ、といえばそうかも知れない。みんなが命からがら逃げた撤退のなかで、美しい花を見つけて『なんと美しい花だろう』と思うことが出来るのだ。合流してから、それぞれの状況を聞いた時に、『峠のてっぺんの方に、真っ白で美しい花があったのだよ』などと暢気なことを言うものだから、流石に苛立たしくなったが、どんなときでも、この男は、この状態を崩さないだろう。


『なあ、土方君。土方君も、一緒に来ないかい?』


 大鳥の真っ直ぐな瞳が、土方を見つめた。とたんに、腹の底まで、のぞき込まれているような気分になった。だが、不快ではなかった。流石に、即答できずに『少し考えさせてくれ』と言ったが、答えはよく解らなかった。解らないままに、蝦夷地に連れ立つ予定の兵の訓練をした。土方個人としては、大鳥が、誘ってくれたことが嬉しかった。新撰組も喪った土方に、何があるのか、といえば何もないと土方自身は思っていたからだ。


(北か……)と思った土方は、ふと、君菊の言葉を思い出した。


(土方はんは、雁みたいなお人やから。春がたら北へ北へと帰っておしまいになる………雁をうても、仕方がありまへんもの)


 雁のようだ、と君菊は言った。


『春霞立つを見捨てて行く雁は 花無き里に住みやならえる』


 美しい春を見捨てて行く雁は、花のない里に住み慣れているのだろうかと。


(蝦夷地は米が穫れないくらいだから、寒いのだろうな。……花も咲かないのかも知れないな。あの母成峠では、俺も、逃げるので手一杯だったのに、あの人は、花が綺麗だったと言うんだ、花を愛でるのが好きなのだろうな)


 そんな大鳥が、蝦夷地でやっていくことが出来るのだろうかと思ったが、大鳥はこう言ったはずだ。広く未開の荒土を開拓すると。


(大鳥さんは、そこに花を咲かせるつもりだ)と土方は理解した。果たして、そんなことが可能かどうか、土方には解らないが、大鳥圭介はやるつもりだ。そして、国を作ると言った。どこにも行き場の無くなってしまった、幕府軍の兵達に、居場所を与えようと言っているのだ。


『なあ、土方君。土方君も、一緒に来ないかい?』


「……ああ、俺は、北に行く。蝦夷地だ。蝦夷地に行く」と土方は呟いた。


「ええっ? 蝦夷地? 土方様、あんた、正気かい? ……蝦夷地なんかに行って、何をしようって言うのさ」


 女郎は、大仰に驚いて、土方の腕を捕らえた。土方は、久しぶりに、高揚感を味わっていた。わくわくする。文禄三年の上洛前の時のような気持ちだ。


「蝦夷地に行ってなにをするかって?」と土方は女郎に聞き返した。女郎は、こくん、と頷く。


「蝦夷地に行って、花を咲かせるのさ」と土方は笑った。晴れ晴れとした笑顔に、一瞬、女は面食らったような顔をしていたが、釣られて笑った。




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