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第1話


「………そこにいるのは、トシさんだろう? 来てくれたのか。ありがたいな。覚悟は決めたものの、明日、首が斬られると思うと、やはり気が落ち着かなくてねェ。


 トシさん、もう少し、こっちに来てくれよ。ああ、……なんだ、トシさん。洋装は動きやすいから、戦向きだと言いながら、足を怪我しているじゃないか。宇都宮で戦ったのか。負けたのか。後ろを見せて逃げるとは情けないが、仕方がない。戦は必ず勝てる訳じゃあない。負ける時もあれば、勝つ時もある。今回は、負ける時だったのさ。何? 伏見からずっと負け続けだって? そんな時もあるだろう。博打といっしょさ。バカに付いているときもあるし、負け越して素寒貧になるときだってある。ハハ、トシさんは、あまり博打はやらなかったんだったか?


 まあ、俺たちの人生そのものが博打みたいなもんだ。良い時はあっただろう? だから、悪い時もあるのさ、仕方がないのさ。そんなもんさ。


 妙にあっけらかんとしているから、びっくりしただろう。首は斬られるが、まァ、悪くはないもんだったな。田舎に生まれて、江戸では小さいながら道場主になった。婿養子とは言え、道場主だ。三男坊にしては上出来じゃないか。田舎剣法とは言われたものの、楽しかったなぁ。沖田も居たし、永倉君、藤堂君、斉藤君……ああ、今は山口君というんだったな。それと、井上さんに、原田君もいたか。沖田とお前は、道場の片隅で碁ばかりやっていたのを覚えているよ。そんな破落戸たちが、浪士隊から、壬生浪士組、新撰組となって、幕臣にまで上がったんだ。大出世だ。


 会津様に謁見もした。江戸で道場主をやっていた頃には、どこぞの藩の殿様に謁見するなど、考えも付かないことだったし、上様のお側近くを護衛したこともあった。上様と、直接お話しすることも出来た。上様が、俺の名を知っていたのだぞ? この大日本、何百何千何万のものがいるというのに、その頂点に立たれる上様が、俺一人の名前を知っていたのだ! 俺ごときの名前を知っているのだ。信じられないだろうが、本当のことだ。


 だがなァ、俺は、その時、悲しくなったよ。上様は、俺ごときがお話しできるような方であってはならんのだ。幕府は、もう瓦解したのだと、その時俺は悟ったよ。だから、ここに来た後も、死は覚悟していた。出来れば、切腹と行きたかったが、それは許されなかったらしい。斬首となった。………外で見張りをしている、横倉喜三次殿が、太刀持ちをするらしい。横倉喜三次殿には、大層世話になった。板橋宿では、色々と、拷問も掛けられたが……いや、拷問などではないな。なにせ、俺には、自白するような事は何にもない。お前が、『新撰組の近藤勇か』と聞かれれば、観念して『いかにも近藤である』としか答えようがない。それ以上のことは、知らなかったし、幕府軍に合流する予定もなかったから、俺は、幕府軍が何処にいるのか、誰が率いているかも解らない。


 流山で兵を集めていたのは、トシさんもよく解っているだろう? もう一度、甲府に行くためだ。甲府に行って、甲府城を落とす。それが、『甲陽鎮撫隊』の使命だからな。そう言ったが、拷問は少しの間続いたよ。まぁ、新撰組でトシさんがやっていたのに比べたら、可愛いもんだ。後ろ手に縛られて、殴られたり蹴られたりする程度だからな、新撰組の近藤を、すこし嬲ってやりたかったと言うことだろう。その時の怪我の手当も、あの横倉喜三次殿がやってくれたのだ。どうだ。傷など見えないだろう。


 その他、飯の用意や、話し相手にもなってくれた。だから、横倉喜三次殿には、俺の仁王清綱を譲っている。ハハ、トシさん、そんな顔をするなよ。ああ、たしか、トシさんも欲しがっていた脇差だったか。仕方がない、もう、約束してしまった。あれで、俺の首を落として貰ってから、横倉殿が引き取る事になっているのだ。トシさんには、さっき、横倉殿に、髪を渡しておいた。俺の遺髪だ。持っていてくれ。処遇は、任せる。先ほど、小役人が来て、俺の首の処遇について語っていったんだが、どうやら、俺の首は、板橋の刑場で斬られてから、近くの一里塚かどこかで晒されるらしい。三日と言った。その三日が終わったら、酒漬けにされて、京にも晒されるらしい。役人の話だと、粟田口だろうということだったが、おそらく、俺の勘では、三条河原だろうと思っている。どうせなら、京洛に近い、三条河原の方が良い。


 懐かしいだろう。トシさん。三条河原。覚えているかい? 池田屋の時だったかな、三条大橋の上でも斬り合いになっただろう? もの凄かったなあ。無我夢中で斬ったな。ちゃんと、斬り殺せたのは、数人かそこらだったと思うが、指を肩を突いたり、もの凄かった。あの時、誰かが三条大橋の欄干に斬り付けてねぇ。敵に避けられたんだろうけど、昼に行ってみたら、橋に刀傷がしっかり残っていてね、みんなで笑っただろう? あの傷を見上げながら、晒されていた方が、良いんじゃないかと思うんだ。


 トシさん。俺の予感は当たっただろう? 何のことかって? 伏見の戦いに行く前に、トシさんは、『もう、京に戻ることはない』といったが、俺は、『なんとなく、戻るような気がする』と言ったよ。俺の勝ちだ。俺は、京に戻ることが決まったようだ。トシさんは、来なくて良い。北に向かったんなら、北で戦ってくれ。


 俺は、最初、トシさんに裏切られたんだと思っていたよ。流山で、出頭を勧めたのは、トシさんだ。トシさんは、俺が、きっと邪魔になったんだろうと思った。トシさんは、『内藤隼人』を名乗っただろう。トシさんは、武蔵野の石田村や日野宿に居場所が欲しいんだと思っていた。だから、『隼人』なんだと思っていた。自分が……土方家の当主だと、そう言いたいんじゃないかってね。トシさんの土方家では、代々当主が『隼人』を名乗るそうじゃないか。甲府出兵の時も、佐藤彦五郎殿が春日隊を作って、参加してくれたが、あれも、トシさんの策謀で、佐藤彦五郎殿が戦死することを心のどこかで願って居たんじゃないかと思ったんだ。トシさんが、好きだった故郷に、トシさんの居場所を作る為に………そんな、恐ろしい策謀を巡らしたんじゃないかと、そう思っていたんだ。結局、佐藤彦五郎殿は死ななかった。だから、今度は、せめて新撰組を手に入れようとしたのかと、そう思っていたよ。


 だが、そうじゃなかったんだな。………いや、もしかしたら、俺が、本当に邪魔だと思ったこともあるのかも知れないが……、トシさんに、居場所を作ってやれなかったのは、俺が悪かった。俺が、トシさんに、信じて貰えなかったのが悪かった。


 ああ、そうだ。忘れていたんだ。大切なことを忘れていた。………小島鹿之助殿と俺と佐藤彦五郎殿が、義兄弟の盃を交わしていることは、知っているだろう。それは、俺が、日野に出入りして間もない頃に交わしたものだ。


 だが、俺は、忘れていたんだ。トシさんと、誓いを交わしたことを、ついこの間まで忘れていた。何があっても、信頼しなければならないはずなのに、真っ先に、トシさんを疑って掛かったのは俺だ。だって、芹沢さんとお前は仲が良かった。芹沢さんが乱暴狼藉した時だって、相手の芸妓の髪を切ったのはお前だったじゃないか。よく、芹沢さんと話していたようだったし、勤王や攘夷についての……あれは、芹沢さんの学んできた、水戸学なのだったのかな、議論も良くやっていたじゃないか。


 その、芹沢さんを誘い出して、酔わせて眠らせてから寝込みを殺すなんて、正気じゃないと思ったよ……俺には、解らなくなった。あんなに、慕っていたように見えた芹沢さんでさえ、お前は躊躇いもなく殺すんだ。じゃあ、俺は、どうなる? 俺だって、お前の作った法度に一つも背いていないかと言ったら、それはよく解らない。へりくつでも捏ねられれば、法度に触れていると言うことになる。


 トシさん。俺は、トシさんに殺されるんじゃないかと、ずっとおもっていた。俺だけじゃない。他の幹部達もそうだ。隊士達もそうだ。お前が怖かった。だから、お前の様子を探るのに、山崎君を巻き込んだ。あの時、俺は、忘れていたんだ。


 トシさんと誓いを交わしたのは、トシさんが、試衛館道場に入った時だから……安政六年か。たしか、上巳の日だったな。上巳の日は、華やかで良い。春は、トシさんの好きな季節だし、上巳の節句の為に、諸大名が登城する行列を見ているだけで、目の保養になる。


 たしか、その日だ。トシさんと誓ったのに、それを忘れていたんだ。


 ああ、あきれた顔をしないで呉れよ、トシさん。俺も、酷い男だと思っていた所なんだ。トシさんは、ずっと、覚えていてくれて、俺を信じてくれたんだろう。あの朝……山崎君に声を掛けたトシさんの気持ちが、俺は今まで解らなかった。俺は、トシさんと山崎君の遣り取りを見ながら、トシさんは、なんて細かいところまでしつこい男だろうと思っていたよ。黒い袴についたちょっとした血の跡なんか、解るものか。もしかしたら、トシさん。カマをかけていたのかい? ……でも、あの時、トシさんは、俺と山崎君が、誓いを交わしたと知ったんだね。たしかに、それは事実だ。


 試衛館道場に入った時、剣の道を志した時、トシさんはやっと、居場所を見つけられたと思ったんだろう。だからこそ、俺たちの居場所を守る為に、芹沢さんを斬ったというのに、俺は、それが解らなかった。山崎君の傷を見つけた時、トシさんは、平然としていたように見えたが、悲しんでいたんだね。トシさんが信じた、居場所を奪ったのは、俺だ。


 だがね、トシさん。誓いなんか無くても、誰を斬っても……斬らなくても、トシさんの居場所は、新撰組あそこだったじゃないか。壬生でも、西本願寺でも、不動堂村でも、どこでも、俺の近くが、トシさんの場所だったじゃないか。みんな、そう思っていただろう? 俺は、別に石田村の出身じゃない。日野の出でもない。玉川を挟んだ向こう側なんか、俺は、近藤家に養子に入る前まで、行ったこともない。なのに、みんな、俺と、トシさんは、子供の頃からずうっと一緒だと思っていたじゃないか。それくらい、俺の隣には、トシさんが居るのが当たり前だったんだよ。


 当たり前だったのになぁ。俺も、当たり前に、トシさんが近くにいることに慣れていたよ。増長した俺を、トシさんは何度も諫めようとしたのも覚えている。嫌な思いをして、俺の説得に来てくれたというのに、俺は、トシさんの諫言を素直に聞くことが出来なかった。俺の側近のくせに、永倉達の言うことを聞いて、何と言うことだと思っていた。思い上がっていたんだよ。俺に説得が届かないと知った時の、トシさんの落胆した顔にも、俺は、心が動かなかった。


 こんなんじゃ、トシさんが居場所を新撰組に求めるのは、無理な話だ。トシさんは、命がけで俺を守ろうとしてくれたのに、俺は、トシさんが命を取りに来るんだと思っていたんだ。みんなに対しても、そうだ。新撰組の副長殿は、新撰組の為に力を尽くしているというのに、隊士達からは、恐れられて嫌われていた。


 トシさん、いつも、一人だったな。島田君や、小姓くらいはトシさんの側に居たけれど、いつも、一人でぽつんとして、みんなを見ている印象だった。それが思っていたよ。トシさんは、と思っていた。


 なあ、トシさん。すまんなぁ。居場所を作ってやれなくて、済まなかったなぁ。トシさんが、必死で守ってきたはずの、新撰組も、なくなってしまった。それも、守ってやれなくて、済まなかったなぁ……。いまさら、謝って、トシさんに許して貰えるとは思えんが、本当に、済まなかった。トシさん、今、宇都宮か? ……北の方にはあまり詳しくないんだが、そんな遠いところから、来てくれたのだから、さぞかし、俺に恨みがあるのだろう。だがね、トシさん。現身うつせみを離れた生霊いきすだまでも、来てくれてありがたかった。トシさん、これで良いんだ。最後に、トシさんに謝ることが出来て、俺は、もう思い残すことはない。この首一つで、新撰組百人の命が救えるのだとしたら、良いではないか。


 俺は……、トシさんの居場所さえ守れなかった男だ。せめて、トシさんの命は守りたい。トシさん。北に北に、戦っていった先に、トシさんの居場所はあるのかな。


 トシさん。侍の時代は、もう終わった。だから、トシさんも、俺に断髪した髪を送ってくれたのだろう? 横倉喜三次殿から、受け取った時には、胸が熱くなった。いまも、懐に入っている。明日も、首を斬られる時も、懐に、トシさんの髪を入れて逝くつもりだ。トシさんは、もう、侍じゃない。無様な姿を晒しても良い。トシさんが、自分の居場所を見つけたら、そこで、生きていってくれ。


 俺の分も、とは言わない。俺は、もう、十分だ。十分生きた。トシさん、剣も好きかも知れないが、本当は、花とか雪とか、そういうものが好きだろう? だったら、そんなものを愛でながら、生きていけばいいじゃないか。


 トシさん。今まで、本当に済まなかった。俺が、気付いていれば、トシさんを一人にすることはなかったのに、済まなかった。今まで、本当に……」






 涙混じりの声だった。本当に、そこに、土方が居るのではないかと、横倉喜三次は何度も何度も、部屋を覗いた。だが、やはり、土方の姿など、そこにはなかった。近藤は、今まで済まなかった、と何度も詫びて、何度も有り難うと礼を言ったという。


 土方は、その文を読んで、ドキリ、とした。近藤の処刑は、四月二十五日。その前夜ならば、四月二十四日だ。その頃、土方は宇都宮城を敗戦し、今市から会津に向かっている途中だった。足を怪我している。自分で歩くことも、馬に乗ることもままならなかった為、島田魁に背負われての移動だった。その、真っ最中、たしかに、土方は意識が混濁していた。生霊になって、近藤の所に遊離していたのかもしれない。


 近藤は土方の髪を受け取ったと書いているが、それは別所に送ったので、近藤が、何か勘違いをしているのだろうと思った。もしかしたら、生霊の土方が渡したのかも知れない。


 土方は、近藤に、こんなにも詫びられる資格など無いと思っている。居場所を作ってやれなかったと、詫びられる資格は無い。


(俺は……、斬ってはいけないものを、斬りすぎたんだよ。近藤さん。斬ってはいけない者を斬るということは、人を喰って生きていくようなものだ。しか方法がないと言う時もあるかも知れないが、それは、人として道を離れると言うことだ。のりの道を外れれば、人ではない。鬼だ。人を食らう鬼だ……)




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