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第2話


 結局、山口は出陣することにした。ただし、理由は、少し事情が異なるものと為った。


 出陣の辞退を申し出る、と土方に告げると、土方もそれを了承した。隊長に戦意が無い状態で、戦い抜けるはずがない、と踏んでいたからだった。それを会津候・松平容保に告げに行ったとき、ついでに近藤の斬首の件を告げた。局長が断首されたのだ。副長も、負傷して動けない。ついに、新撰組も解体ですという流れに持って行きたかったが、近藤の件を聞くや、松平容保は「なんということだ」と涙を流した。


 まさか、人前を憚らずにさめざめと嘆く松平容保の姿を見ることになるとは、夢にも思わなかった山口は、あっけにとられていた。ただ、茫然とするほか無かった。


「予は、近藤はじめ、そなたら新撰組の働きには、感心して居った。この度も、この会津まで駆けつけた忠誠は、誠一文字に恥じぬものと、感じ入って居った。だというのに、近藤が、罪人として処刑されたなど……」


 何というむごいことだ、と松平容保は小さく呟いた。それから、山口は、松平容保の話に付き合った。何度か、近藤は松平容保と謁見したことがあるのだが、その子細を松平容保は覚えており、それを一つ一つ、懐かしんでいた。


「……せめて、近藤に、予から戒名を贈らせてくれ」と言いだした松平容保は、小姓に紙と墨を持ってこさせると、少しの間考えてから、流麗な墨跡で、


『貫天院殿純忠誠義大居士』


 と書かれており、墓地を会津の天寧院という寺院に定めよという言葉まで貰った。墓に埋めるものは何もない。板橋から戻ってきたものが、首を持ち帰ってきたら、首を埋めるようにする、ということで、会津候の申し出を受けざるを得なくなった。


 そして、山口達も、近藤の為に、ここまでしてくれた松平容保に、報恩せざるを得なくなった。気は進まなかったものの、近藤の戒名を高々と掲げて、弔い合戦とばかりに、無理矢理、士気を振るって白河への出張に赴かなくてはならなくなったというわけである。


 墓所に関しては、土方が請け負った。近藤の戒名を彫り込んだ、大きな墓石を建てる、と言う。宿での静養中の土方でも、そのくらいの指揮は出来るということだった。


 土方の心は、山口にはよく解らない。静養中だというのに、毎日、天寧寺に通い、現場で指示をした。それは、一種、異様な光景にも見えた。異様な、執着心だと、現場の工人達は思ったが、口に出すことは出来なかった。あまりにも、真剣だったからだ。






 土方の足の怪我は、結局回復に七月一日までの時間を要した。土方・秋月は共に戦場に出て、各所を転戦した。転戦したが、もはや、どうにもならない状況に陥っていた。会津は孤立し、頼みの綱でもあった仙台もが、降伏論に傾きつつあった。


 九月に入ると、藩祖伊達政宗の長男・秀宗を祖とする宇和島藩や、常陸伊佐荘中村の出自を同じとする、相馬藩中村家からも降伏の勧告があった。


 会津からは、土方を慕って集まってきたもの達がふくれあがり、島田はその数を『およそ二千人』と把握している。


 近藤を喪い、幕府軍の体裁も整わなくなったというのに、である。土方は、とりあえず、兵として集めて、訓練を付けさせては居たが、目下、この先どうなるかなど、まるで解らない。なにか、解るものが居れば、土方の方が教えて貰いたいくらいだった。


 大鳥や、海軍の榎本武揚も仙台に集っていたが、仙台候にしてみれば、もっと早くにここに来れば、もう少し、戦うつもりにも成っただろうと言うところだ。今や、すべてが、もう遅い。


 今ならば、大幅な厳封の憂き目には遭うだろうが、とりあえず、家名は守られるはずだし、命は助かる。それは、退いては、領民を守ると言うことに他ならない。守るべきものが無い土方の軽い肩には、六十二万石の重みは計り知ることなど不可能だろう。


(なぜ、何にも持たない俺の所に集まってくるんだ)


 土方は、兵達に号令を掛けながら、ぼんやりとそんなことを思っていた。最近の土方は、仙台候に謁見を申し入れたり、支離滅裂な論理を軍議で披露したり、集まった兵達に訓練を付けさせてはいるものの、なぜ、そんなことが、今、土方に許されているのか、土方自身も見失っていた。


(新撰組も近藤さんもない。もはや、幕臣ということも意味を成さない。何の肩書きも持たない俺の所に、なぜ、皆が集まるんだ……?)


 しかも付いてきたもの達は、宇都宮以降各地を転戦した来たもの達ばかりだ。死に場所を探して、彷徨っている、亡者達の頭になった覚えはない。それとも、彼らは、土方を、死に場所を求めて彷徨う幽鬼の類だと思っているのだろうか。


 島田達にしてもそうだ。もはや、土方の命令を聞く義理は無いはずだ。永倉のように、別隊を組織して、そこで戦っても良いはずだ。けれど、島田も、土方の側に居る。


(お前は、なぜ、俺の側に居るんだ)と島田に問いかけようとしたが、躊躇われた。島田に去られたくはないと思ったからだった。その質問をすれば、島田が去っていくような気がした。なぜ、自分の元に人が集まってくるのか、まるで理解できない土方ではあったが、一人にはなりたくない。


 少なくとも、島田は、いま、土方が最も信頼している人物であり、すべての事情を知っている者でもある。誰よりも、島田に去られるのは、土方にとって痛手だ。


(島田は……裏切らないのだ)と土方は思う。別に、島田と義兄弟の誓いを交わしたわけではない。ただ、脇差しを与えただけだ。それも、何も言わなかった。解釈は、島田に委ねた。はたして、土方の思い通りに島田は動いた。土方の意を汲み、側に仕えるようになった。『新撰組に付いていくわけではなく、土方にだからついて行く』と島田は言った。宇都宮攻略の前夜のことだ。冥土まで相伴すると言った島田に、さすがに、それは良いと言った。さすがに、そこまで付き合わせたくはなかった。


 島田は、裏切らない。誓いを交わしたわけではないのに、裏切らない。


(俺は、近藤さんを裏切ったのになぁ)と土方は思う。近藤を裏切り、死なせてしまった。最初から、助命など、するつもりはなかった。


(つまり、俺は、近藤さんを、殺したかったんだ)


 けれど、どうしても、自分の手で殺せなかった。だから、他の誰かの手に委ねた。ただ、それだけの話だ。そして、卑怯なことに、近藤の死に様を見届けたくなくて、逃げるように幕府軍に参加した。


「そうだ、俺は、きっと、逃げたかったのかも知れないな。近藤さんから」


 呟いたら、その答えは、しっくり来た。

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