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第3話

「近藤殿」と声を掛けられて、近藤はハッとした。眠っていたわけではなかったが、つい、考え事をしてしまう。しかも、大抵は、新撰組のことであり、土方のことだ。


「これは、横倉殿」と近藤は鷹揚に応えた。「なにか、ありましたかな」


「実は、香川大軍監より、密使がまいりまして……言伝をされております。ただいまより、東山道軍は、宇都宮城に入ると言うことですが、道中で斥候が、緋色の『誠』一文字を見たと言うことで御座いまして……」


「なんと!」と近藤は驚いた。新撰組は、もう、解散したも同然だった。甲陽鎮撫隊となり、その後は解散した。まさか、未だに『誠』一文字を掲げて征くものが居るとは、と胸が熱くなる気持ちでもあったが、それは一体の仕業であるのかと言うことが気になった。


「横倉殿。新撰組を率いるのは、誰か、ご存じか?」


「香川様の所にも、詳しい情報は入っていないと言うことですが、幕府軍の先鋒に、土方殿が居ると言うことで、どうやら、新撰組も、そこにいるのであろうと、香川様からのお話で御座います」


 土方、の名前に、近藤は胸の中が、ザラつくのを感じた。


(トシさんの指揮ならば、みんなついて行く)と近藤は思った。甲州での大敗を指揮した、近藤には付かなくとも、土方には付くだろう。実際、付いたのだ。卑屈な気持ちになった。新撰組の隊長は、あくまでも俺だ! と叫び出したい気持ちになった。局長不在に、副長が勝手をやって良い道理はない。ましてや、近藤は、会津行きを指示していない。すべて、土方の勝手ではないか。


(トシさん、アンタ、新撰組が欲しかったのか? それで、俺に出頭しろと言ったのか? 必ず助け出すという話は、嘘だったのか? 裏切ったのか? ―――芹沢さんの時のように)


 胸の中で問いかけるが、当然、答えなど返ってくるはずがない。


「それで……」と近藤は何とか、平静を装いながら横倉に聞いた。「……香川様は、何を仰有りたいのか」


「香川様は、近藤殿に、新撰組もろとも、東山道軍に付くよう、再度の要請に御座います。近藤殿、悪い話ではありません。お受け下さい」


 横倉は、頭を下げた。横倉に、頭を下げられるいわれはない。


「横倉殿、頭をお上げ下され」と近藤は語りかけた。「お心はありがたい。が、それは、私の義に背くことだ。相容れぬものと、お察し下され。何を百姓上がりのにわか武士が、偉そうにと思われるかも知れないが……この近藤、ここで武士の義を通さねばならぬのです。それが、この近藤の生き様と、見届け下され」


 頭を下げた近藤に、横倉喜三次が小さく呟いた。「明後日ですぞ」


 意味はわかった。処刑の日取りの話だ。


「私に、近藤殿の、首を……斬らせないで頂きたい」


「太刀持ちは……横倉殿に決まっておりましたか」と近藤は微笑した。横倉は、眉根に縦皺を寄せて、苦悩している。斬りたくない、ということだった。


「横倉殿。致し方のないことです。うむ、他のものの手に掛かって死ぬよりは、横倉殿の手に掛かって死ぬ方が良いかもしれんな」


 近藤は、はは、と笑った。笑い事ではないのだ! と横倉が激昂する寸前で、近藤はやんわりと聞いた「……横倉殿。刀は、選ばせて貰えるのかな」


「……出来ると、おもいますが」


「では、この、仁王清綱を。脇差しではあるが、一尺八寸。首斬りには問題のない長さだと思う。横倉殿の腕ならば、問題無い。そして……もし、出来るのであれば、この仁王清綱。横倉殿に貰って頂きたい」


 思わぬ申し出に、横倉は驚いた。このようなものを、受け取って良いものかと、横倉は思ったのだ。


「横倉殿には、終始世話になった。……山崎を手引きしてくれた。香川殿からの言伝を伝えてくれた。東山道軍に付いてくれとまで言ってくれた。世間の話を教えても下さった。飯の世話にもなった。その上、最期の世話まで頼むことになるのだから、このくらいは当然だ。私の血で穢れることになる刀だが、悪い刀ではない。是非、受け取って欲しい」


 深々と、近藤は頭を下げた。横倉喜三次は、唇を噛んだ。


「……山崎殿と言いましたか。あの方は、度々、ここを訪れて、近藤殿のご様子を聞いて行かれます。なにか、山崎殿にも、言伝は?」


「いいや、山崎には、もうない。ただ、生き長らえた命を、大切にして欲しいだけだ。これ以上、私が何かを言えば、未練になるだろう」


「あの方は……近藤殿の、念弟ではなかったのですか?」と横倉喜三次は不思議そうに聞いた。


「確かに、、念弟ですがね……。最期まで相伴させるつもりはないのですよ。それに、私は、意外に、はだらしがなくてね。義兄弟の契りを交わしたものなど、一人や二人ではないのです。山崎一人、相伴させたら、後追いで大変な数になる」


 思わず横倉喜三次はあっけにとられてしまった。普通は、そういう誓いは、一人と交わすものではないか。それを何人もと言い切るのだ。疑問が、顔に出ていたらしく、近藤は、


「山崎の場合は、少々理由があったから、あれは別格なのだが……。親しくなると、契りを交わしたくなる。その時々は、今誓おうという者を、離したくない一心で誓いを立ててしまうのだ。こういう性質であるから仕方がない」


 仕方がないと言い切る近藤に、横倉喜三次は苦笑した。その時々、本気にさせて、誓いまで交わした相手の方は、で割り切れるかどうか、と思ったからだ。女関係ならばともかく、男同士の義の誓いは、潔癖なものである。近藤のこの態度を、許さぬ者も居るだろう。


「……義兄弟の誓い、か」と近藤は懐かしむように言った。その時々の相手でも思い返しているのだろう。何人くらいの相手と誓い合ったのかとは、横倉は敢えて聞かなかった。


「若いころから、随分、誓いを交わしてきたな。まぁ、勿論……」


 こんなことは、ただの誓いだ。その時々、女に囁く睦言のようなもので、近藤は本気で誓ったわけではない。山崎の時もそうだった。あの時は、必要があって、山崎を引き入れる為のものだった。とりわけ、そのあと、山崎が甲斐甲斐しくて、すさんでいた近藤の心が甘く癒されたから、山崎は特別になったが、それ以上ではない。


 ふいに、近藤は、胸の奥に、なにか、引っかかりのようなものを感じた。いつも、感じている、視線。気配。純真一途に、追いかけてきた視線。当たり前のように、そこにいるようになった気配。落胆。侮蔑。憤り。


(ああ……、俺は、なんていうことを……)


 近藤は、背筋が、ぞくり、と震えるのを感じた。顔色が青ざめていく近藤に、横倉は、


「近藤殿?」と聞いた。近藤は横倉を見た。


「……横倉殿……。、取り返しの付かないことをしていた……」


 生気を失った近藤が、絞り出すように言う。横倉喜三次は、「近藤殿、お気を確かに」と呼びかける。近藤は、突っ伏して、畳をどん、と一度叩いた。あまりにも激しい所作に、横倉が驚いて飛び跳ねる。


「最初に、裏切ったのは、俺の方だったんだ」


 絞り出すような言葉が、横倉の胸を射た。近藤は、小さな声で「畜生」と呟いて、もう一度、畳を殴った。


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