新撰組には、門限がある。幹部達は、私邸を持つことを許されていたので、外泊も許されていたが、基本的には、朝までには戻らなければならない。この門限について、一切、咎められなかったのは、監察部だけである。調査などを行う必要のある監察部は、様々な特権を土方から与えられていたのである。
従って、外泊をすることになっても、島田は別に何者からも咎められることはなかったのだが、島田自身は、(帰った方が良いのではないだろうか)と考え始めた。
つい先刻、島田は土方と共に、君菊に夕餉を出された。君菊が普段夕餉を出す時には、酒を勧めないのだが、今日は勧めた。土方が、呑みたいような気分であると思ったのだろう。実際に、土方は、君菊から酒を注いで貰い、何杯か、呑んだ。めっぽう酒には弱い土方が、何杯か空けたというのが、まずおかしな事だった。かくて、土方は、したたかに酒に酔い、君菊の膝の上で、上機嫌に微睡んでいる。
土方の頬を触れながら、君菊は笑う。「このお人は、酔わはると、眠ってしまう」
君菊の方も、膝枕で眠ってしまった土方の甘え方が、気に入っている様子で幸せそうな微笑を浮かべている。こんな二人の様子を見ていた島田が、自分がこんな所にいてはいけないのではないかと思い始めるのも仕方がないところだろう。
「……でもな、最近は、魘されることが多いみたいどす。土方はん、上手く眠れてないんと違います? ……少し、痩せはったし、お顔の色も、幾らか悪い気がしますえ?」
君菊の指摘に、島田は即答することは出来なかった。毎日毎日顔を合わせている土方が痩せたかどうかなど、よく解らない。島田から見れば、土方は実にいつも通り、変わらない。島田が入隊したのは四月だ。それから半年にもなるが、土方は変わらない。変わらないように見える。
「島田はん、新撰組に入らはったんは、春先の募集のときですやろ? そうやな……土方はんは、変わらはったわ。よう、見てれば解ります」
君菊は、優しく土方の頬を撫でる。細くて白い指だった。
「土方はんは……」と君菊は一度言を切ってから、躊躇いがちに言う。「土方はんは、ここに居るのに……時々、えらい遠くに居るような気がします。優しゅうしてくだはりますえ? 抱いてもくだはります。……でも、時折、この方は……えらい遠くに行ってしまわれる。ここに居るのに、どこにも居ない。だから、女たちは、この方に夢中になってしまうんですわ」
君菊の言葉に、島田は思い当たるところがあった。ふと、土方はどこか遠くを見つめる。島田には解らない、どこか、どこか遠くだ。世の中のすべてから、一切の関わりを失ってしまったかのように、
「……解ります」と島田は言った。君菊は一瞬驚いたような顔になったが、「島田はんが、土方はんの念者でしたのね」と微苦笑した。
念者、と言う言葉に島田は思い当たることはなかった。念者・念弟とは、男色関係にある男同士の話だ。島田は、脇差しは受け取ったが、肉体関係はない。
「私は、土方さんとは、なにも……」と、島田はしどろもどろに言うと、君菊はさらに驚いたように、目をまん丸くした。
「あら……そうやったんどすか? ここには、島田はんもお連れになるし……、こうして、眠ってしまうんやから、よほどの信頼があるんやと……」
「いや、信頼はあります。ただ……そういうことではないのです。私は、ただ、土方さんに、終生、義を誓っただけで……それは、この、脇差しに掛けて、確かに。武士が、刀を預けられれば、義をもって、答えるほかないのです」
君菊は不思議そうな顔をした。畳の上に投げ出されていた土方の手に目をやった。毎日毎日、朝稽古を務めるのは、土方だ。何十人の隊士達と共に竹刀を振るう。おかげで、太い腕だった。君菊の視線の意味が、島田には解らなかった。
「……なぁ、島田はん」と君菊は囁くように言った。「このお人から、離れないで下さい。うちは、男はんと違いますから、側に居ることは出来まへん。そのうち、この方は、雁みたいに北へ北へと帰ってしまわれるんでしょうなぁ。そうなったら、見捨てんで、側に居てやって下さい」
君菊は、不思議なことを言う、と島田は思った。「なぜ……北へ?」と聞くと、君菊は笑った。
「だって、このお人は、雁みたいなものやもの……。冬の短い間だけ、
「はい。元々、江戸におりました」と島田は応えた。「私は、江戸の心形刀流の道場で剣術修行をしておりました。その時に、新撰組の二番組の永倉新八隊長と出会い、試衛館道場の方々と、幾らかの面識が出来ました。実を言うと、江戸牛込の試衛館道場で、土方さんには確かにお会いしているはずですが、不思議と土方さんの記憶が無いのです。………これまで、剣術修行ばかりしていました。一度、まだ、大垣藩に居た頃に、名古屋城で尾張様の御前試合を務めたことが御座います」
「まぁ……お相撲さんみたいな格好で、剣もお強いの」
巨漢の島田が、意外に敏捷に剣を繰り出す姿を見て驚く者は多い。君菊の反応も、当然のことだと言えた。
「……お江戸には、花はあるんやろか……」