土方の今市撤退に従ったのは、六人ばかりの従者だった。それ以外は、すべて、大鳥圭介に兵を預けた。また、土方と共に負傷した秋月登之助も、やはり兵は大鳥に預け、ごく少数の従者のみで、今市に引き揚げていた。本隊を含め他のもの達は、日光口に居る。日光ならば、僧房が多い為に宿舎にも事欠かないと考えた大鳥圭介は、日光に拘ったが、さすがに、二百五十年の德川家の霊場を、戦火にさらすわけには行かない、ということで大鳥たちも一度今市に引き揚げている。
土方は、宇都宮城戦の翌二十四日には、会津に向けて出立した。やはり、島田に背負われた。傷の調子は芳しくなかった。四月ともなれば、気温も上がる。化膿し掛けている。土方は、薬にも詳しいが、土方本人の意識が、熱の為にやや混濁している。まめに様子を見ていたが、やはり、医者に診て貰うのが一番良いだろうと島田は思った。
土方一行は一路会津を目指して北行きした。二十六日になって、やっと、会津領の田島陣屋にたどり着いた。ここで、秋月と別れた後、翌日には又移動を再開し、二十九日には会津城下の七日町にある清水屋という旅籠にたどり着いた。少しは治療に専念して欲しいものだが、と思っていた島田の前に現れたのは、意外な人物達だった。
山口次郎達だった。山口次郎は、元の名を斉藤一と言い、三番隊の隊長を務めていた人物で、沖田総司・永倉新八にも匹敵するほどの剣客だった。新撰組では剣術指南を務めていた程である。山口は、流山や甲陽鎮撫隊の新撰組、百数十名を率いていた。土方は、流山を発つ前に、山口に、別動を命じていた。会津まで行くならば、大抵は、日光街道の沿道を行くのが普通だが、山口達には、全く別の経路を指示した。
永倉新八達、靖兵隊も会津に来ているらしいが、新撰組とは袂を分かった手前、こちらと合流するつもりはないとのことだった。それならば、それで、土方は別に構わなかったが、島田や山口は、なにか不満があるらしかった。
とりあえず、土方は、山口に新撰組隊長を任せることにして、自身は、治療に専念することにした。土方達新撰組は、会津候・松平容保と一応の面識がある。ここで、右往左往しているよりは、まず、体制を整えて、会津候に謁見するのが良いというのが、土方の思いだった。山口も、それで納得した。なにしろ、宇都宮からの山越えは、酷い悪路だった。その上、兵糧も弾薬も殆ど無い。敵との戦闘を避けながら、命からがらの会津行きである。今は、その疲れを回復させる必要があったし、新撰組は、この辺の地理に疎い。そのあたりの準備もぬかりなく進めなければならなかった。
ふと、立ち去り際に山口は「そういえば」と呟いた。「土方
「聞いた? 何の話だ?」
「近藤
淡々と告げた山口の顔を、土方はこわばった顔で見ていた。「……いつの話だ」
「東山道軍の大軍監が、宇都宮城に居たのですから、その時には、すでに……」
山口の言葉を遮るように、「そんなはずはないッ!」と土方は怒鳴りつけていた。
「私も、何度か、人を板橋にやっている。そんな報告は受けていないッ!」
あまりの剣幕で怒鳴られて、山口は引け腰になった。「いや、土方さん、噂です。大軍監の香川は、近藤さんに『仲間になれ』と言ったが断られたという話を聞きました。となると、刑に処せられたという可能性も大いにあるのです」
「山口、それは、どこからの情報だッ!」
「噂です。おそらく、出所は、捕虜としてとらえた、官軍のものです。……我ら、新撰組が参加していると知って、嬲ったものと思われます」
激昂する土方に対して、山口は冷静だった。島田や他の隊士達も、冷静だった。土方一人が動揺している。それに、島田は違和感を覚えた。
「……斬首と言ったな。斬首が本当だというのならば、首を回収してこい。敵に辱められるわけにはいかん」低い声で土方は言った。無理矢理押し殺しては居たが、怒りに肩が震えていた。「では」と山口は一瞬考えてから、「何人かを板橋にやります。ここから板橋まで、往還で二十日程は掛かります」
「……もう少し早くならんのか」
「流山に、まだ、何人か残してきています。動きがあれば、即座にこちらに連絡をするようにと言いつけています。……少なくとも、
山口の中で、近藤斬首は、確定した事実のようだった。土方が、顔を顰めたのに気付いた山口は、「土方さん」と窘めるように呟いた。「近藤さんを出頭させたのは、土方さんですよ。こうなるのは、目に見えていたはずです」
お前が殺したと、指を指された気分になった土方は、頭から、すぅっと血の気が引くのを感じていた。
これを仕組んだのと、結果がわかっていたのと、今のやりきれない気持ちは、どれも矛盾することなく、土方の胸の中にあった。