島田の背は、暖かかった。熱もあったし、疲れもあって、うと、と土方は睡魔に襲われた。戦場で気が張っていたのが、敗退で緩んだのもある。島田には悪いなとは思ったが、襲い来る睡魔には勝てなかった。
誰かにしがみついていた。たしかに、今、土方は島田魁にしがみついているのだが、島田ではなかった。だれだろう、と夢うつつに思った。総髪を結って曲げをつくった髪型で、しっかりとした肩幅をもつ、男だった。島田は、総髪ではなかった。
今まで、男に背負われたことがあっただろうか、と土方は思った。確かに、酒にしたたかに酔った時などは誰かに背負われた。負傷した時も、肩を借りたり、背負われたりしたような気がする。けれど、これは、違う気がした。
「誰なんだ……?」と土方は聞いた。男は、答えなかった。肩が少し揺れた。笑っている、様だった。
(もしかすると、子供の時か?)と思うが、そうなると、余計に記憶はない。子供の頃、近所の子供達などとは喧嘩をしたが、背負ってくれるような人は居なかった。例えば、土方の兄たちは、年が離れていたので、喧嘩をした記憶がない。それならば、佐藤彦五郎か、とも思ったが、さすがに、姉婿に対して、そこまでの無礼は行っていないはずだ。では誰だろう、と土方は考えた。島田は、出来るだけ揺れないように、と気を配りながら土方を背負っている。この背負い方が、どことなく、懐かしい気がした。
頬を背中にあてる。温かい背中だった。目の前にある肩口と襟元を見た。見覚えがある。誰だったか……と思っている土方に、『トシさんは仕方がないなァ』と声が掛けられた。
(えっ)と土方は驚いた。土方を、『トシさん』と呼ぶものは限られている。このような体躯の男ならば、近藤一人だ。だとすると、近藤に背負われたことはあっただろうか。いや、それとも、これは、夢なのか。土方は、おそるおそる、
「近藤さん?」と問いかけていた。その瞬間、ぼんやりと霧が掛かったような眠気に包まれていたのが、急に覚醒した。びくり、と土方の体が跳ねた。島田が驚いて、
「土方さん、どうしました?」と聞いてくる。「魘されておいででしたが……傷口が痛みますか?」殊更心配している島田に、土方は「いや……」と言葉を濁す。そういえば、全身、汗だくで、シャツが肌に張り付いている。気持ちが悪い。土方が断髪したのは、三月十五日だ。洋装に変えてから、まだ一月足らずだ。まだ、洋装は慣れない。
(熱で魘されていたか……)と土方は幾らか安堵した。近藤に背負われた記憶はないのだ。きっと、そんな事実もない。
「……近藤
島田に、何と返答して良いのか、土方は思案しながら、「近藤さんが、目の前に立ったような、気がした」と返した。島田は土方の言葉を聞いて、小さく「夢枕のようですね」と呟いた。
夢枕、と言う言葉は、なにか縁起でもないことのように感じた。まるで、今から近藤が死ぬかのようだ、と思った。が、(ばかばかしい)と思い直す。(近藤さんを、総督府に行かせたのは、俺じゃないか)
そうだ、例えば、近藤が本当に死ぬとする。けれど、それは、土方の想定内の出来事のはずで、驚くことも無いはずだった。ましてや、もし、夢枕に立たれたのだとしたら、
(近藤さんは、俺を恨んでいるという事じゃないか)
土方は自嘲気味に笑った。土方が笑ったのは、島田にも伝わって「土方さん、どうしました?」と再度聞いていた。
「いや」と土方は、一度言を切った。「近藤さんが、俺を恨んで化けて出たかと思ったよ。俺は、恨まれても仕方がないからな」
「今市まで、まだ掛かります。休んでいて下さい」
土方の弱音には応えずに、きっぱりと言い切った島田に「君に背負わせて、のうのうと休んでいるわけにもいかんだろう」と土方は苦笑したが、島田は「今市に付いたら、土方さんは休む暇もなくなります。今のうち、休んで下さい」と言い切った。島田の判断は、正しいな、と土方は思った。
「……敗軍の隊長には休む暇なんか無いと言うことか。被害の状況と、今後の進行を考えると、確かに、気が重いな。奥州の様子も何もわからん。暗中模索しているような有様だ」
「ですから、休んで下さい。気を失った振りでもしていて下さい」
上官に対する態度ではないが、今、土方を叱咤激励することが出来るのは、島田において他にいなかった。そして、今、ここで土方が退けば、土方隊は、間違いなく離散する。宇都宮城の戦いでは、伝習組も痛手を受け、秋月登之助も負傷していた。先鋒隊である、伝習組・新撰組がこの様子で、大鳥本隊が上手く戦えるとは思えなかった。
「……敗軍の隊長の汚名は、宇都宮で雪ぐ事が出来たと思ったが、三日天下とは、情けない話だ」と呟いて、土方は島田の背中に顔を埋めた。
『策士』とさえ言われた土方ならば、新しい策を巡らせているだろう。新撰組の副長として恐れられた土方ならば、ここで体力を少しでも回復させ、次の戦いに備えるだろう。
だが、島田は、土方が泣いているような気がしてならなかった。