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第1話

 土方という男は、人によって随分印象や評価が変わる。


 色白で、体も、そうは大きくない。美男子であったと何人かは言う。役者のような顔立ちとも言われる。だが、眼光は鋭い。冷静沈着で他者との交渉毎も抜け目が無く、多少、猫背気味だったこともあったから、商人のようだったともいう。洒落ものとも言われて、自分で工夫を凝らして、身なりを整える事を楽しんでいたようなこともあるせいか、気障だという人もある。気障と言うのは、褒め言葉ではない。字を見ての通り、のだ。したがって、その人物は、土方を『私は嫌いだったから、口も聞かない』ともなくいう。温厚柔和だったという人も居るが、一度怒り出すと止まらない性格なのか、徹底的にやり込める。


 京洛のものからは、『きちがい』と呼ばれた。新撰組に血の法度を持ち込み、その通りに淡々と粛正していく土方は、きちがいに見えただろう。新撰組は、敵を殺した数よりも、味方を殺した数の方が遙かに多いという。町中を往く新撰組は、不逞浪人を片っ端から引っ捕らえていく。敵を斬る。仲間を斬る。それで、『温厚柔和』な姿をしていたら、見た目に厳つい近藤よりも、底知れぬ恐ろしさがある。


 土方について、島田魁が感じる印象と言えば、子細まで良く気が回る人で、計算高い。全軍の大将と言うよりは、軍師というところか。土方の采配に、間違いはないと思っている。伏見の戦いの時も、錦旗さえ翻らなければ、淀城が開門すれば、津藩が裏切らなければ―――勝ったのは幕府側だった。


 歴史の中では、時折、不可思議なことが起こる。


 後世の者が布陣を見た時、圧倒的勝利を収めるはずだと思われた側が、なぜか、惨敗すると言う時がある。そういう戦いは、大抵、時代が大きく変わる時であると言える。


 関ヶ原の戦いは、布陣だけ見れば、石田三成らが率いる西軍の。裏切りの小早川秀秋が有名だが、小早川秀秋以前に、西軍は、総大将の毛利秀元は日和見を決め込み、大坂城から離れようとしなかったことにより、味方内に疑心暗鬼が広がった。誰が敵で、誰が味方か解らない状態で、戦えるはずがない。


 鳥羽伏見の戦いも、まさにその通りで、どちらか『賊軍』になるかが解らなかった。だからこそ、様子見をして時間を稼ぎ、西軍に錦旗が翻るや、幕府軍に攻撃を仕掛けたわけである。このときの錦旗は、西郷隆盛の『偽造』という説もあるが、すくなくとも『勝てば官軍』という世界だ。西郷が、偽造をしようがしまいが、錦旗を翻した者の『勝ち』である。天下の決する鳥羽伏見の戦いに、『錦旗』を用意できなかった幕府の負けだった。


 島田魁は(つまり)と思った。軍略に対する基礎知識など、おそらく、土方は無い。だが、ざっと見回して、どこに人を配置すれば、上手くを考えることが上手い。つまり、戦は出来るが、政治は出来ない。もし、土方に、まともな政治力があれば、薩摩軍の考えそうなことは読めただろう。それが出来れば、錦の御旗を立てられる前に、出来た行動はあったはずだ。


 だが、島田は、(土方さんはそれで良い)と思っている。土方は、人によって様々な印象を受ける人物であり、その時々にあわせて、演技しているのだという者も居たが、それは違うと言うことを、島田魁は知っていた。


 残忍な拷問を行ったり、血の粛清を行う土方も土方だが、小さな花や朧月を愛するのも土方だし、真面目一徹に公務にいそしむ土方も、どれも、その時々、土方が本気でそう思っての行動だと言うことを、島田は知っている。


(土方さんは、素直すぎる人なのだ。だから、ヘンに、政治だのなんだのとやらないで欲しいものだ)と島田は思っていたが、時代の流れは、土方を大舞台へと導いている。いまや、土方は、幕府軍の幹部だ。それは喜ばしいことなのかもしれないが、終始こわばった顔をしている土方を見ると、気が気では無くなる。


『島田』と土方が呼びかけたのは、昨夜だった。幕府軍第一大隊土方支隊は、筑波颪の吹く、下妻藩宗道そうどう村に宿泊していた。土方は目配せして、外に出るように島田に命じた。


 外に出ると、朧月だった。(そういえば、土方さんは、春の月を殊更愛でていたな)と島田は思った。せいぜい、月見にでも誘ったのだろうという気持ちだったが、土方は眉間に縦皺を寄せた厳しい顔で言った。


『幕府軍は、頭が切れる連中は揃っているが、戦場に出たことのない奴らばかりだ。『こうすればこう動く』なんて簡単に言うが、俺たちが動くには何が要る? 飯が要る、銭が要る。武器もない。こんな状況じゃ、先は知れてる』


 土方の言うことは、まさしくその通りだった。と実戦は違う。会津への進軍を初めてまだ五日。四月十六日である。その道中で、土方は、ほとほと、嫌気がさしたらしい。


 土方歳三という男は、剣一本で田舎百姓の末息子から、幕臣、さらには幕府軍の幹部にまで上り詰めた男である。今まで多くの死線を潜り抜けてきたが、その裏には、万全に準備があってのことだ。準備のない行軍など、自殺行為に等しい。鴻之台を出立してから、小金、布施、水海道と宿を重ねてきたが、その度に、幕府・德川家に大恩があるだの、大層らしい理由を付けて、新しい隊士が増えていく。


 手持ちの金など、タカが知れている。このままでは、会津に着く前に、自軍が力尽き果てるだろう。さらに、土方はもう一つ冷静に状況を見ていた。


(会津様が、すんなり、幕府軍と手を組むか……)


 松平容保は幕府と朝廷の御為にと、自国の民に苦しい思いをさせてまで、京都守護職を務めた方だったが、今や一転、朝敵である。将軍は完全に恭順路線を貫いて水戸弘道館に蟄居を決め込んでいるし、松平容保も嫌気がさすだろう。


(この人が愚痴をこぼすのは珍しいな)と島田魁は思った。以前は、沖田や永倉と一緒に愚痴をこぼしているようなこともあったと聞くが、島田が入隊してからは、殆ど、愚痴のようなものは聞いたことがなかった。


『武器が足りんな。人も足りん。金も足りん……少々、調するしかないだろう』と土方は言った。『ここ、宗道村から下館城を目指す。秋月殿にも、こちらに来て貰うように、使いを出す。下館の城下で落ち合い、そのまま、下館城下に兵を配置する』


『下館と、戦ですか?』


 島田が真面目な顔で聞くと、土方は、小さく吹き出した。『こんな所で戦をしても仕方がない。調だ。無駄に兵を疲弊させるわけにもいかない。俺は、下館城大手門の前に本営を置く。俺の隊は二百五十人。秋月殿のところは、ざっと四百人には為るだろう。下館は小さな城だ。本気でやっても仕方がない。大砲も用意して、城側に向けておくと良い』


 島田は、『解りました』と受けた。秋月の所に伝令に行くのは、子細を語った島田と言うことだろう。土方は『調達』と言うが、やろうとしていることは、完全に強盗である。こんな事に、土方が手慣れているようで、島田は驚く。それは顔に出ていたらしく、


『……こんなのは、昔良くやったんだよ』と懐かしむように言った。『新撰組が、まだ、壬生浪士組と言った頃で、身分も処遇も決まっていなかった頃、禄も出ていないものだから、銭が無くてな。裕福そうな商人の所なんかに押しかけて、銭を奪ったものだよ。もっとも……近藤さんは、やらなかった気がする。やっていたのは、芹沢さんとか、新見さんとかだな』土方は目を細めた。

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