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第5話

 それから暫くして、山崎は、同僚の島田魁が土方の脇差を持っていることに気がついた。島田は、三十六歳で新撰組に入った。元々、大垣藩士ということだったが脱藩したらしい。理由はわからない。身長六尺、体重四十貫というから百八十センチ、百五十キロもあった大巨漢であった。相撲取りに間違えられることも多かったという男だった。


 その島田が土方の佩刀を持っていたとすると、考えられるのは、ただ一つだった。島田は、土方に心酔しているところがあったし、土方から『義を結びたい』と言われれば、一も二もなく受けるだろう。


 二人がどんな遣り取りをしていたのか、想像も付かないし想像したくもないが、島田と土方が密になったのは間違いがないだろう。そして、それは、山崎と近藤に対する牽制のはずだった。


 成り行きとは言え、義を誓ってしまった山崎は、近藤との義を貫く覚悟を決めていた。土方の気持ちはわからないが、島田の方は、本気で『土方の為』と信じれば、どんなことでも平気でこなしただろう。






「………山崎。俺はお前に、謝らなければならないことがある」と近藤は言った。「最期に、それだけは言わねばならないと、思っていた。お前を、新撰組なんかに巻き込んで、済まなかった。俺が誘わなければ、お前は、まっとうな人生を生きただろうに」


 山崎は「いいえ」と言った。涙が零れそうになったのを、山崎は必死で堪えた。近藤の衣をぎゅっと握りしめた。「新撰組には、私が望んで入ったのです。近藤さんと、義を結んだのは、……確かに、成り行きでしたが、近藤さんのお側にいることが出来て、私は、嬉しかったのです」


「俺は、お前に、慕われるような男ではない。いざとなったら、お前を盾にして、逃げるつもりだったんだぞ?」


「構いません。本望です。いまも……近藤さんを、逃がすことが出来るなら、そうしたいほどです」


 ついに、山崎の眦から涙が零れた。白い頬だった。おそらく、近藤捕縛の情報を知ってから、眠っていないのだろうし、食事もまともに喉を通らないのだろう。頬が、痩せこけていた。近藤は、山崎の涙を拭ってやってから、「俺は、お前が、そうやって慕ってくれるのに、心を和ませていた。お前の側では、気を休めることが出来た。隊の中で、安堵できるのは、お前の所だけだった。本当に、感謝している」と告げて、声もなく泣きすがる山崎の肩を掴んで、山崎を引きはがした。


「お前には、なにも形見をやることは出来ない。―――だが、お前には、もう、俺からの形見を渡してあるようなものだと、思っている」


「この誓いの脇差しですね」と山崎は脇差に手をやった。これが、誓いの刃であり、別離の形見であるというのは、切ないものだと思う。


「いや。伏見の戦いの際に、俺はお前の命を救った。俺がやったのは、お前の命だ」


 ぎくり、と山崎は肩を震わせた。「お前が、俺に義を捧げてくれたことは嬉しいが……相伴はいらん。俺の救った命だ、生きて生きて生き長らえてくれ。それが、俺の望みだ」


 山崎は「酷いです」と呟いた。「私は、近藤さんが逝くのを見送ったあとを追うつもりだったのに。ご相伴もさせて下さらないんですか」


 必死に訴える山崎に、「最期の頼みだ」と近藤は頭を下げた。「俺の生き様を、見届けてくれ。そして、俺の分も、生きてくれ。ちゃんと、女を娶って子供を作って、………立派な医師になるのだな。まっとうに働いて、生きてくれ」


 酷いです、ともう一度山崎は呟いた。こんなに懇願されたら、後を追えなくなる。けれど、後を追えなくなったら、どうやって、『義』を貫いていけばいいと言うのだ。


「……そういえば、江戸城が開城されたらしいが……、新撰組の動向で、なにか知っていることがあれば、聞いておきたい」


 新撰組は『甲陽鎮撫隊』に名前を変えたはずだったが、近藤始め主だった幹部達は、皆、『新撰組』を使いたがった。彼らにとっての、一番輝かしい時代であったのだろう。そして、それを、誇りに思っているからに違いない。


「実は、相馬主計君が、捕らわれました。相馬君は、からの手紙を持って、決死の覚悟で板橋総督府に向かったところを、近藤さんの『仲間』ということで捕縛されたと言うことです。……手紙の内容は、勝安房守かつあわのかみ様からの書状との噂です。近藤さんが投降されたその夜、土方さんは、江戸に入りました。翌日には勝安房守様のご自宅を訪ねて居るようです。そこで、何らかの、近藤さんの救助案が出たのでしょう。相馬君は、書状をもって板橋にひた走り、投獄されたと言うことです。ちなみに、土方は、相馬の無事も確認せずに、幕府軍に合流しました。十一日の事だったと思います。鴻之台に集まった幕府軍の総督は、大鳥圭介殿。この人物は、播州赤穂の出で、西洋式の軍術を学んだ人物であります。先鋒第一大隊から第七連隊まで……土方は、先鋒で伝習組の秋月登之助と共に、新撰組や甲陽鎮撫隊のもので土方に付いてきた何人かの支隊を作って指揮をするようです。幕府軍の、実質上の参謀ですよ。偉くおなりになったもんです」


 山崎の報告は、一体どこから仕入れてきた情報だろうかと思うほどの内容であったが、もともとのこの男の仕事を考えれば、容易いことだったのかもしれない。そして、松本良順も会津に向かうであろうから、幕府軍の状況は掴みやすかったのかもしれない。


「……相馬君が、そうか。捕まったか」と近藤は呟いた。がっくりと、肩を落とした。相馬を犠牲にしてでも、土方は幕府軍に参加した。大鳥圭介にしても、フランス式の軍事は勉強していたが、所詮机上の話である。そこに行くと、土方歳三の名前は、『新撰組』の悪評と共に、不気味な存在感を増す。


「人斬りをしたことのない武士達が、今から人斬りに行くって言う時に一番頼りにするのは、『今までに人を斬ったことがある』ものだからな」と近藤は呟いて、ハッとした。


 まるで、浪士組の中にいた、芹沢鴨のようだ。


 ただし、土方は芹沢とは異なる。芹沢は、粗暴で、周りと折衝すると言うことをあまりしなかった。その点、土方は周りとの折衝などは得意中の得意だった。新撰組で、容易く『副長』の座に納まったことと言い、土方には、自分の望む方向に話を進める能力に長けていたと言って良いだろう。そして、先鋒隊の支隊隊長・同時に指揮官として采配を振るうのだろう。


「相馬君の分の助命は、俺がしよう。……しかし、そうか、アイツめ……。相馬君の無事を確かめることも助命もせず、か。俺の首斬りも、見届けないのか、アイツは」


 近藤は苦々しい顔で言った。同じような感想を山崎も抱いていたので、山崎も何も言わなかった。土方の行動は、素早かった。土方に何人ほどついて行ったのかは山崎は知るよしもなかったが、その中に、島田魁がいることは確かだった。


 会津に行けば、なんとかなる――――。


 幕府軍最後の希望の砦は、会津だった。大鳥圭介率いる、幕府軍の中には、会津藩のものも何人か居た。この者達は、幕府軍の命綱でもあった。会津藩と渡りを付けられるのは、この者達しか居ないからだ。いや、この時、もう一人、会津藩に渡りを付けられそうな人間が居た。土方である。何しろ、新撰組は『会津藩お預かり』だった縁があるし、松平容保とも一応の面識があった。土方の押しの強い性格で、会津藩に掛け合えば良い。


 少なくとも、会津に向かった佐幕派は、皆、『なんとかなる』と思っている面があった。悲壮な覚悟で、死に場所を探しに行ったのではないと言うことだ。勿論、中には、最後まで戦って死のうというものも居ただろうが、少なくとも、この時点で、まだ、政情は決定していなかったのだ。


「……山崎。俺は、首を切られるだろう。俺の首は、きっと、晒しものになって、それから、妻の所に引き渡されるか、新撰組に引き取られるかだろうよ」


 と近藤は淡々と言った。そんな話など、聞きたくないと山崎は思ったが、静かに聞いた。


「妻に引き取られるならば良い。生家の宮川家でも良い。だがな……新撰組には、引き取られたくない。特に、土方の手には渡りたくない」


 近藤は、きっぱりと言い切った。涙声だった。「あいつの手に渡れば、俺の首は、どこぞにうち捨てられるだろう。………アイツは、俺に詰腹さえ、許さなかった男だ。出頭しろなどと言ったが、あの時、この結果は読めていたはずだ。俺も、出頭して、うまくいかないとのことを考えて居た。切腹ならば、武士の名誉は守られる。武士として死んでいくことが出来るが……アイツは、それを許さなかったんだよ」


 山崎は唇を噛み締めた。近藤の姿は、痛ましかったが、それでも、山崎は近藤を見つめた。近藤の姿を、その目に焼き付けるような、強い眼差しだった。


「山崎。最後の頼みだ」と近藤は静かに言った。「俺の首は、お前がどこかに隠してくれ。お前だけが知る場所に埋めて呉れればそれでよい。俺には何の縁もゆかりもない場所が良い。誰かに掘り起こされるのは、我慢が為らない」


「解りました」と山崎は瞑目した。「この山崎、一命に変えましても、そのお役目、果たしたいと思います」


 恩に着る、と近藤が、深々と頭を下げた。今生の、これが別れになるのだと、胸が締め付けられたが、山崎も近藤も、無言で、ただ、静かに、儀式のように離れ、それきり、視線も合わせることはなかった。


 近藤は、手を握りしめた。堪えていたが涙が零れた。

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