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第2話


 近藤は横倉喜三次に請われて、様々な話をした。


 新撰組の結成の経緯から、起こった様々な事件。隊士達の生活の様子、戦いの記憶。近藤の道場・試衛館の話に、天然理心流。田舎の武蔵国の話、近藤周作の養子になるまでの経緯など微に入り細に入り聞いてくる横倉を、最初は、命令を受けて訊きだしているのではないかと思った近藤だが、そうではないようだった。何者かの命令で話を聞いてくるものが、新撰組の戦いや、隊士達の様子に目を輝かせることはないからだ。


 その横倉が、周囲を伺うように近藤に近づいた。周りに他のものが居ないことを確かめてから、横倉は声を潜めて告げた。


「……近藤殿。近藤殿にお会いしたいという方が居るが……お連れ致そうか?」


 近藤は、(誰が、こんな危険を冒してまで……)と思った。『どんな手段を使っても、必ず救い出す』と言ってくれた土方だろうかとも思ったが、(あいつは、そんなことをする奴じゃない)と微苦笑した。土方を信じたい気持ちもあるが、やはり、土方は、信用してはならない男なのだ。


(芹沢さんや、伊東さんも、そう言っていたな)と思った。土方に処分された二人からの警告だ。間違いではないだろう。


『近藤先生。土方君に気をつけろ』


 土方歳三は、、という。一応、いまでこそ、道場主である近藤を立て、その補佐をしているように見えるが、そもそも、試衛館道場での序列は、近藤筆頭に、沖田、永倉の次席だ。浪士組として残留した十四人の中ではさらに、序列は下がる。しかし、沖田・永倉は『副長助勤(隊長)』となり、土方は『副長』となる。封建的身分制度で、沖田・永倉は『武士』であり、土方は『農民』である。どう考えても、副長の座に納まるのは、おかしな事だが、話し合いの結果、この無茶な体制が整った。


 そもそも、土方と近藤は、同郷と言っても幼い頃からの交流があったわけではない。知り合ったのも、実は、ここ十年の話だ。天然理心流は、多摩地域全土に門弟を広げている。この中に、日野の佐藤彦五郎が居た。土方の姉の婚家である。佐藤彦五郎は、自宅に道場まで備えており、土方はここで天然理心流を学んだ。近藤は、そんな佐藤彦五郎の道場に出稽古に来た。それが、土方と近藤の出会いである。土方が天然理心流に入門したのも、土方二十五歳というのだから、随分遅い道場入門である。


 いつのまにか、幼い頃からの知己だと言うことが定着し、近藤の方も、同じ武州出身の農民出身と言うことで、沖田や永倉達よりは、土方の方が話しやすかったこともあったし、佐藤彦五郎という男は、日野の実力者である。そこに出稽古に行けば、金になる。その義弟を無碍に扱えるはずもなく、気がついたら、近藤の傍らには常に土方が居る、土方は近藤の片腕だ、というのが定着した。


 土方の方は自分が『片腕』だという自覚があったらしく、細々と気を配っていたし、近藤を立てていたので、風よけには丁度良かった。けれど、完全に気を許せたわけではなかったのだ。近藤は、京洛に何人かの妾を持ち、それぞれ家を与えて住まわせた。そこは、数少ない近藤の安楽の土地だった。女達に寝首を掻かれる心配は無い。だが、用心はした。一人の妾にとどめておかなかったのは、帰るところをいくつも持ちたかったらに他ならない。毎日、外泊先を変えるのは、近藤に出来た、ささやかな護身だった。


「近藤殿、お連れ致した」と横倉喜三次の声で我に返った近藤は、「お気遣い感謝する」と頭を下げた。暫く待ってみたが、横倉喜三次が連れてきたという人物は、中々姿を現さなかった。正確には、近藤の蟄居部屋のすぐ前には来ている気配があるが、中に入るのを躊躇っているような様子だった。


「近藤殿、失礼致します」と声がして、男が入ってきた。十徳に総髪を結い上げた束ね髪の男だった。十徳は、医師などが着用する正装だった。だが、十徳姿にしては、妙なものを腰に佩いている。武士のように、大小をしっかりと佩いていた。しかも、流行の、長尺物である。このご時世では往診も危険を伴うものだろうかと近藤は思った。声は若いようだったが、震えていた。近藤は、その男の震える声に聞き覚えがあった。そして、男の持っている脇差しにも、見覚えがあった。この脇差しは、近藤がかつて、与えたものだ。


「山崎ではないか………お前、なぜ、こんな所に……」


 近藤の声も震えていた。男―――山崎烝やまさきすすむは、ささっと近藤の膝元に寄った。


「私は、新撰組の医師ですから」と山崎は近藤を見た。「……松本良順先生の所で厄介になっております。今、私は、医学を志し、松本先生の弟子と為りました。今月の末には、松本先生共々、会津に下る予定で御座います。その前に、最後に一目、お会いしたく、こちらに参りました」


 近藤は「そうか」と呟いた。「松本良順先生には、新撰組も良くして頂いた。甲府出陣前は、三千両も用意して下さった。俺が、礼を言っていたと伝えてくれ。直接礼に伺えない非礼も詫びて欲しい」


「三千両……松本先生、そんなに新撰組の為に……」


 思わず感激して眦を潤ませていた山崎に、近藤は本当のことを言うのを止めた。この三千両には裏がある。浅草の弾左衛門というものが居た。この者は、被差別民である、『穢多』や『非人』と呼ばれたもの達を束ねる役割を持っていた。


 代々、『弾左衛門』の名前と役目は継承されていった。全国の穢多・非人達に命令を下す権限まで与えられていたので、幕府では『穢多頭』とよばれていた。皮革・灯芯などの職人や、から発生した歌舞伎・傀儡などの芸能者など、すべての職業的穢多までをも支配下に置き、徳川家康により、浅草に住まうことを命じられた為、『浅草弾左衛門』と通称される。差別を受けていたものの、先に挙げたような皮革加工などは、すべて穢多・非人達が独占することを許されており、それに加えて、幕府からの保護も厚いものであり、潤沢な資金があったという。


 この浅草弾左衛門および、すべての穢多・非人達は、差別を受けることのない、平民になることを望んでいた。この、天下の大動乱の時期である。穢多・非人も、剣を取って戦い、自らの手で道を切り開こうとしていたのである。実際に、長州征伐や鳥羽伏見の戦いでは、戦場で敢然と戦った。近藤は、鳥羽伏見の戦いの後、幕府の上層部に工作を依頼されたのである。というのも、慶応三年六月、新撰組全員が幕臣に取り立てられた近藤は、『御目見得以上』であるため、身分制度上では、将軍の謁見が許されているからだった。勿論、近藤のような者が、将軍に会う事が敵うはずもなかったが、それほどの権利があるという事だ。重臣達に近づいて、工作をするくらいならば、近藤にも出来る。


 浅草弾左衛門を近藤に引き合わせたのが、松本良順であり、浅草弾左衛門から松本良順に対して、一万両が渡されていた。松本良順の金の出所は、浅草弾左衛門からの献金だ。そのうちの三千両を新撰組に、成功報酬として出したと言うのだろう。浅草弾左衛門は、近藤の工作の後、慶応四年一月末には、平民へのお取り立てがあった。


「……山崎。元気なようで良かった。伏見の戦いでは……死んだものと覚悟を決めたものだ。あの時は、胸が締め付けられるような思いだったよ」


 そっと、近藤は山崎の頬を手で包んだ。山崎が、確かにここに居ると言うことを確かめのような、そんな所作だった。近藤の眼差しを見つめ返した山崎が、近藤の衣の端を掴む。「もう、傷は良いのか?」


「はい。……幸いなことに、この通りです。近藤さんは、肩は大丈夫なのですか? ……銃弾に打ち抜かれたはずですが」


「ああ。良く覚えているものだな。右肩をやられた。刀を振り回すのは、もう出来ないだろう。もっとも……」と近藤は微笑した。「ここから出る日は、死ぬ日だということも解っている。田舎剣法と揶揄された、この俺が、斬首だ。首も晒されるんだろう。大悪党としてな。まぁ、田舎の百姓上がりが上様にも拝謁したこともある。その上、首を落とされるんだから、たいした出世だろう」


「何を、仰有いますか。近藤さんは、このようなところで死んではなりません。上様に倣い、徹底的に恭順を示して下さい。敵も、無抵抗のものを斬るわけには行かないはずです」


 切々と訴える山崎の必死さが近藤の心を和ませた。あたりの空気を伺う。横倉喜三次は、戸の外の方に居るようだったが、中の様子をうかがっていたり、山崎と近藤の会話に聞き耳を立てているような雰囲気は無かった。近藤は、山崎の頬に唇を寄せた。小さな声で「近藤さん」と山崎が呟くのを、近藤は聞いた。


 山崎の肩を抱いて、近藤は「無事で良かった」と呟いた。今生、再び逢う日が来るとは、近藤も思っていなかった。二度と会うことはないかもしれないが、命だけは助かって欲しいと、鳥羽伏見の戦いの後、銃弾を受けて倒れた山崎を、密かに逃がした。


 山崎は、近藤が新撰組に巻き込んでしまったようなものだった。だから、逃がしてやりたくなった。法度違反だと言うことは解っていたが、構わなかった。山崎の戦死を、疑うものは居ないだろうし、前線で『退けば斬る』などと金切り声で叫びながらの戦場に、誰が戻りたいものか。そして、山崎を、そこに戻したくはなかった。


 最初こそ、打算的な思惑があってのことだったが、山崎の献身は、ささくれ立っていた近藤の心を甘く和らがせた。何度か夜を過ごせば、情も湧く。


 山崎を抱きしめながら、近藤は、文久三年九月十六日の夜を思い出した。忘れもしない、芹沢暗殺の夜だ。この日は京の角屋で、隊士全員参加の酒宴を催していた。その席で、芹沢は、近藤に耳打ちした。


『土方君に気をつけろ』


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