四日日前の四月十一日に、江戸城無血開城が為ったという話を、近藤勇は、見張り役を務めていた壮年の男から聞いた。いかにも手練れの剣客らしい、鍛え上げられた体をしている。一挙一動に無駄な動きが一切無いし、もし、ここで近藤がいきなり抜刀したとしても、瞬時に反応して、近藤を返り討ちにすることは出来るだろう。隙が無い。かといって、ピリピリと始終張り詰めた空気を醸し出しているわけではない。
見張りの男の名は、
かつて、
伊東甲子太郎を近藤の妾宅に誘い、帰り道を暗殺した。死体は、油小路の辻に捨て置いた。伊東の遺体の回収に来た、御陵衛士たちを、切り捨てた。躊躇いなくこんな作戦を口にする土方を、近藤は薄寒い思いで見ていたが、結局、土方の作戦に乗った。
このときの御陵衛士の生き残りが、板橋の総督府にいた。そして、『大久保大和』の正体を見破ったというわけである。
そして、尋問を受けていたが、あるときから尋問が中止になった。近藤の身柄は、脇本陣である岡田家に移送され、その時から、横倉喜三次が見張りに付いた。横倉は、岡田家の剣術指南を勤めていた者だった。かの凶悪な『新撰組局長』である近藤の見張りを出来るのは、それなりの剣客でなければならなかったということでの、横倉喜三次抜擢だった。
この横倉喜三次という男は、見張り番には不適格な男であったと言える。囚われの身である近藤を気遣い、拷問で受けた傷の手当てや、飯なども手配して、近藤に話しかけもした。岡田家に移送されたのは、一昨日の事だが、近藤は、横倉喜三次に対する警戒を解いていた。その横倉喜三次が語った話は、近藤を驚嘆させた。
『四月十一日に、江戸城無血開城が為った』
いよいよ、幕府が終焉を迎えたのだ、と近藤は、折角幕臣に引き立てて貰ったというのに、そのご恩に一矢も報いることが出来なかったという無念で一杯の気持ちになった。城を明け渡した、德川慶喜は謹慎生活を送ることになっているという。逆臣の汚名を着せられたわけではなく、德川家お取り潰しということも現状ではないようなので、それだけが、近藤の救いではあった。
将軍さえ謹慎ということで済んだのだから、近藤も暫く、このような監禁生活をして然るべき時に、釈放されるだろうというのが、横倉喜三次の見立てだったが、近藤は、そんなにも簡単に済むとはとうてい思えなかった。
やり残したことはたくさんある。だが、すでに心は決まっている。腹を切れと言われれば、見事に腹をかっ捌いて見せようという心意気だった。