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1.ある朝の来客は包丁とともに現れた

 一日サボれば取り戻すのに数日かかる。

 誰がそんなことを言ったのか分からないけど、痛感する事は多々ある。

 今週がまさにそうだった。


 朝は夢から目を覚まし。しきちゃんを直視できないまま朝食を済ませ。

 学校で柿原と軽口を交わし、もらったノートと照らし合わせて授業を追いかける。

 昼はお弁当に手を合わせ。図書室に行って。「バスケやろうぜ」と誘われて、何ひとつ役に立たなかったりした。力を制御してるとまあ、そんなものだ。

 そして夕方は、冷蔵庫の中身を思い出しながら買い物を済ませ、家へ帰る。


 あの夢から目覚めて以来、しきちゃんへの態度は多少軟化したと思う。

 色んな衝動はある。血が欲しくなるのはもちろん、不安になったり、触れたくなったり、不安定な事この上ない。だけど。原因が分かったからか、感情の整理はある程度つくようになってきた。彼女にも、離れておくように言い含めているので何とかなっている。

 おかげで以前よりは、憂鬱じゃ……ないはずだ。


 少しだけ、夢に出る彼の事を話したりもした。

「しきちゃんは、あいつの事知ってるの?」

 そんな質問に彼女は「はい」と頷いた。

「ボクはあの家をずっと見てきましたから、その人も、小さい頃から知ってます。でも、お話をしたのは、大きくなってから……ボクが家から出たあの日だけです」

「そっか」

「あの人は、小さい頃から離れでひとりでしたから」

「……そっか」

 そんな会話だった。


 そうして過ごす一週間。平穏と言えば平穏。

 というか、これまでの不調が緩和されたような気がした一週間だった。

 そして迎えた土曜日。


 夜型の僕は、朝が苦手だ。休みの日はできる限り寝ていたい。

 苦手なんだけど。最近はちょっと事情が変わって。


「7時、前……」

 すっかり朝早くに目が覚めるようになってしまった。

 正直もっと寝ていたい。けど、身体のダルさがそれを許してくれない。


 夢の中では相変わらず灰髪が笑っている。

 起きたら顔は忘れてしまうけど。少しずつ、少しずつ。あいつは僕に似てきている気がする。

 前に外見が同じになったのとは違う。立ち姿とか、表情とか。ちょっとした仕草とか。内側からの侵食を感じさせる似せ方だ。

 これが、いずれ外見まで僕と同じになったらと考えると、ちょっとゾッとする。対策を考えないといけない。

 しきちゃんのように、血を何かに移せばなんとかなるだろうか。いや、僕にとって出血は割と死活問題だ。可能性があっても、試したくはない。

「……起きよう」

 目覚まし時計に溜息をついて、布団を出る。

 着替えて、ドアの前に立つ。

 ドアの向こうには人の気配。それから、音量控え目の情報番組と、朝食の匂い。これは味噌汁だろうか。

 深呼吸をひとつ。そして、イメージをする。


 ドアを開けたら台所にしきちゃんが居て、「おはようございます」と挨拶をしてくれる。

 僕も「おはよう」と返事をして、顔を洗って。彼女の手伝いをする。


 よし。いける。多分大丈夫。

 根拠ゼロの自信に頷いて、僕はドアノブに手をかけ――。


 □ ■ □


 朝。外からちゅんちゅんと雀の声がします。

 カーテンの隙間から入ってきた日差しで目を覚ましたボクは、布団を畳んで着替えます。

 時計は6時を指していました。

 隣の部屋ではお兄さんがまだ寝ているはずです。

 だから、そっとドアを開けて、音を立てないように朝の支度をします。


 今日は土曜日なので、お兄さんは起きてくるのが遅いかもしれません。

 お魚はお兄さんが起きてから焼くことにして。お味噌汁だけ作ってしまいます。

 一通り終えた所で。


 こん、こん。


 どこからか、ノックの音がしました。

「……?」

 お兄さんの部屋、ではありません。ボクの部屋でもありません。

 どこからだろう、と耳を澄ませます。


 こん、こん、こん。


「……玄関?」

 どうやら廊下の向こうから聞こえます。その先は、玄関です。

 玄関を覗くと、ノックが変わらず聞こえてきました。

 背伸びをしてドアスコープを覗きましたが、よく見えませんでした。その間もノックの音は続いています。

「……」

 少し悩みましたが、チェーンをかけたままドアを開けてみると。

「朝早くに、ごめんなさいね」

 外国のお人形さんのような女の子が立っていました。

 緑色のスカートに、金色の髪がとても綺麗です。

「こちら、スドウさんのお宅?」

 日本語はボクが聞き取れるくらい上手で、ちょっとほっとしました。

「はい。その。どちら様、ですか?」

 ドアから覗いたまま訊ねると、その女の子はぺこり、とお辞儀をひとつしました。

「古い知り合いなのだけれど。居るかしら?」

「あの、お兄さんは……まだ、起きていなくて」

「そう、じゃあ、また来るわ」

「はい」

 それじゃあ、と女の子は手を振って帰って行きました。


 リビングに戻って、お兄さんの部屋を伺ってみました。物音はしません。まだ朝も早い時間です。眠っているのでしょう。

 可愛らしい女の子でした。一体どなただったのでしょう。

 お兄さんが起きたらしっかり伝えないといけません。特徴を思い出しながら窓の外に目を向けていたボクは、気付いていませんでした。


 ちゃりん、というチェーンが外れた小さな音に。

 いつの間にか廊下に立っていた影に。

 ボクの頭めがけて飛んできた何かの塊に。


「――っ!?」

 ごすっ、と鈍い音がしたことだけは、分かりました。

 頭が揺さぶられた衝撃に、立っていられません。

 膝をつくと、横に電気ポットが落ちてきました。床にぶつかる直前、ぴたりと一瞬だけ浮いて、それから音もなく転がります。

「あ――」

 頭がくらくらします。頬を流れてきた温かい液体が、床に赤く滴り落ちて。目の前が真っ暗になってきて。腕に力が入らなくて。

 ぐらぐらと暗くなっていく意識の中。


「こんな子供を飼ってるなんて。さすが吸血鬼。予想外だったわ」


 そんな声が、遠く、とおく。

 きこえたような。気が。

 しました。

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