目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

4.これ以上ないくらい安心できる気がして

 久しぶりの夕食は穏やかだった。

 会話はほとんどなかったけれど、ひとりで食べる外食よりも、夢の中の味気ない食事よりも、ずっとずっと充実しているように思えた。


 食器を片付けてしまったらやることはないけれど。僕もしきちゃんも部屋には戻らず。二人揃ってソファに座り、ぼんやりとテレビを見ていた。


「お兄さん」

 しきちゃんが、声だけで僕を呼ぶ。

「うん?」

 僕も、声だけで答える。

 二人ともテレビを見たまま。お互いを見ることなく、言葉だけを交わす。

「外に居た間。ごはん、食べていましたか?」

「……まあ、少しは」

「ちゃんと、眠れていましたか?」

「夢を見るから眠りは浅かったけど。それなりには、眠れてたかな」

 しきちゃんは「そうですか」と小さく呟いて膝を抱えたようだった。

「お兄さん」

「うん?」

「ボクは、お兄さんにたくさん謝らなくてはいけません」

「しきちゃ――」

「でも」

 彼女は珍しく、力強い声で僕の言葉を遮った。

 思わず彼女の方を見る。

 しきちゃんは膝をぎゅっと抱えたまま、まっすぐ前を見ていた。

「ボク。もう今回のことで、ごめんなさいと言いません」

「……」

「ボクは座敷童なんかじゃないって、偽物だって。体調が悪いのも、ボクの血を飲んだからだって。そう怒ってもいいです」

 そんな事、言うつもりはない。

 言うつもりはないけど、彼女はそんな反論も受け付けてくれなさそうな程、まっすぐに前を見ている。頑なに僕の方を見ることなく、言葉を続ける。

「お兄さんは優しい人です。だから。ボクはできる限りの事をしたいです」

「……」

「ボクは、座敷童は。家に幸せを運ぶ存在として在るはずです」

「うん」

 頷くと、彼女の睫毛が揺れ、視線が陰ったように見えた。でも、すぐにそれを振り切るように小さく首を振る。

「ボクは、この家の座敷童で在りたいです。だから、お兄さんが幸せになれる何かが来るよう、できることはやります」

 だから、と。彼女は少しだけ強い声で繋いで。

 ソファの上に正座をして。僕の方に指をついて。

 あの日の。初めて会った日のように。深々と頭を下げた。

「ボクを、ここに居させてください。胸を張ってこの家の座敷童だって、言えるまで。お兄さんが、幸せになるまで。ボクは絶対に」


 離れません。


 その言葉に。

 僕は。

 無意識に手を伸ばしていた。


 小さな身体はいとも軽く抱き寄せられる。

 彼女の顔は見れないけど。

 僕は彼女をしっかりと腕の中に閉じ込めた。


 そこにあるのは、どうしようもない安心感だった。

 小さく頼りないその身体のどこに、それだけの強さがあるのか分からない。

 けれども、僕には見つけられなかった決意を確かに持っていて。

 それがとても、とても胸に痛くて、心強かった。


「ごめん。謝るのは僕の方だ」

 彼女を腕に埋めたまま、僕は呟く。

「感情に振り回されて。強く当たって。辛い思いをさせてるのに……何も、話さないで」

 視線を落とすと、白い首筋が髪の隙間から見えた。

 ぐ、っとわき上がる衝動を堪える。腕に食い込む爪が少し痛い。

「そう……血を、もらい過ぎたことも。なんか、うん……」

 たくさん。いくら謝っても足りない程に。

 なのに、腕の中の彼女は首を小さく横に振った。

「お兄さんは、なんにも悪くありません。吸血鬼ならば、血が欲しいのは当たり前です。むしろ……」

 自分が呪いを持っていたせいだと彼女は呟いたけど、聞かなかったことにした。

「だからもう、謝らないでください」

「……うん」


 それからしばらくして。僕ははっと我に返った。

「あ。えっと……!」

 彼女を抱きしめていた腕を慌てて放す。

 乱してしまった髪を、そっと。指先で整えてから距離を取る。

「その……うん。ごめ……じゃない。えーっと……」

 苦しくなかったか。痛くなかったか。というか、急に抱きしめたりしてごめん、とか。そんなのしか出てこない。何を言えば良いのか分からなくなって。ぎくしゃくとテレビの方を向く。

「その、大丈夫? 苦しく……なかった?」

「はい、大丈夫、です」

「そっか……」

 なんだか気まずい。髪に彼女の香りがわずかに残ってる気がして、心臓がうるさい。

 テレビではそんな僕の気も知らずに、今日のニュースや天気予報をぱたぱたと切り替えている。


 どうやら明日も晴れらしい。

 特に何をする予定もないんだけど。ここしばらくは疲れすぎた。

 まだ、彼女と一緒に居るのが楽かと言われると分からないけど。

 明日になればまた、部屋に引き籠もってしまうかもしれないけど。


 今なら。今のうちならば。

 話せるような気がした。


「しきちゃん」

「……はい」

「少しだけ、僕の話をしてもいいかな」

 昔話だし、うまく話せないけど。

 そんな前置きに、彼女は「はい」と頷いてくれた。


 柿原の言葉が、なんとなく思い出される。

 昔の持ち物とか、思い出とか。そういうのを大事にして、繋ぎ留めておく。

 物はほとんど残っていない。思い出も経験も、明るく笑って話せるような物は多くない。

 けれど。

 そんな過去でも、誰かに。しきちゃんに共有しておけば。

 これ以上ないくらい安心できるんじゃないかって。

 そんな事を思ってしまった。


 ずっと僕ひとりで持ってたはずなのに、こうして誰かに分けてみようと思うなんて。

 牙も爪も、すっかり丸くなったな、なんて自嘲して。

 それでいいんだと、少しだけ肯定もして。


「僕は、最初に話した通り、吸血鬼で。イギリスで生まれた。日本に来たのは――」

 そうして僕は、思い出話を始めた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?