目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

3.煩ってしまったその病は、そのまま罹っておけばいい

「僕は今、自分の感情が分からない」

「と、いうと?」

「そこで更に深く聞くか」

「もちろん」

 柿原はさも当たり前のように言う。

 まあ、それはそうだ。これで分かれって言ったって、言葉が足りない事は重々承知だ。

「そうだよね。うん。そうだな……夢の中のあいつは、彼女に執着……いや、恋慕してた」

「恋慕て」

「いいだろ言葉の選び方くらい」


 そう、恋だ。愛と言うには歪みすぎている。

 かなり極端だけど、夢の中で微かに感じた、深く静かに寄せる想い。近い表現はこれだろう。

 それが分かるって事は、僕もだいぶ影響されている。

 なんか癪だ。やっぱりいつか消してやろうと改めて思う。


「ともかく。今の僕は彼に感化されたのか……その、同じ感情を持っている、と。思う」

「よし、しきちゃん。須藤から離れた方が良いぞ」

「えっ……」


 しきちゃんを真面目な顔で呼ぶ柿原。

 それに困惑した表情の彼女。

 なんか危険人物みたいで不本意だが、事実だからしょうがないと渋い顔の僕。

 三者三様。


「しきちゃん。とりあえずそいつの言う事は聞かなくていいよ」

 座っててと促すと、彼女は頷いて椅子の上に落ち着いた。

「まあ、あいつの感情はそれも越えて常軌を逸してる気はするけど。そいつが僕の身体を乗っ取ろうとしているのが、今回の原因」

「ふむ。まあ、話は何となく分かった」

 柿原はうんうんと頷く。

「彼女の魂の同居人が、お前の魂の同居人になったって事だな」

「魂の同居人て」

「いいだろ言葉の選び方くらい」

 さっきの僕の言葉をそのまま返して、柿原は言葉を続ける。

「そうだな……根本的な解決、ってなると、須藤自身がどうにか頑張るか、そいつが諦めてくれるのを待つか、じゃないか?」

「持久戦か……」

 辛くない? と柿原は言う。

 辛いな。と僕は頷く。

「まあ。大事なのは、自分自身を見失わない事だろうな。なんか、昔の持ち物とか、思い出とか。そう言うのを一層大事にして繋ぎ止めておけ」

「昔の物……」

 考える。夢に見た友人を思い出した。いや、あいつはもう居ない。居ないはずだ。

 持ち物は殆ど捨ててきてしまった。持ってきた物も、壊れたり捨てたりしてほとんど残っていない。自分を繋ぎ止められるもの……普段かけているペンダントが視界に入ったけど、これは少し違う気がした。他に何か残っているだろうか。

「うん。探して、みる」

 あとさ。と付け足すと彼は分かってると頷いた。

「大丈夫。他言なんてしねえよ」

 かなり突飛な話だったし、気味が悪いなら離れても構わないよと念を押したかったのだけど。柿原の態度は少しも変わらなかった。

「え。あ、うん。よろしく……」


 ちょっと意外なような。想像通りのような。

 何とも言えない気持ちで、曖昧に頷いた。


 □ ■ □


 日も暮れてきたし帰るという柿原を見送るべく、玄関に立つ。

「そうだ。ノートありがと」

「いえいえ。どーいたしまして……あ、そうだ」

「?」

「お前吸血鬼ならさ。十字架とか持っとけば? 恐怖感煽っていいんじゃないの?」

 突然物騒なことを言い出した。いいこと思いついた、みたいな顔で指差してこないでほしい。

「残念、僕は十字架より信仰心の方が怖いタイプなの」

 手を振って否定すると、それは残念だ、と微塵も思ってなさそうな声で頷かれた。

「あとは、なんかあるかちょっと家探してみるかー」

「探すって……そういえばさっきから不思議だったんだけど」

 ノブに手をかけた柿原は、その動きを止めて僕の声に応える。

「勘とか、こういう相談事受けても何も動じないとか。君、何なの?」

「俺? 正体を聞いて驚くなよ?」

「え。何。そんな壮大な何かがあるの?」

 僕の問いに彼はあっさりと首を横に振る。

「いや。ご期待に添えなくて申し訳ないけど、爺ちゃんが神父やってるだけの一般人だ」

 信仰心はばっちりだぜ、というサムズアップは、それはないと即座に斬り捨てた。

 僕が吸血鬼だと知った上で半年以上仲良くしておいて、信仰心とか言うな。

「ま、今回の話はお前にしか影響ないみたいだし、気にすることないさ。まあ、がんばれ?」

「それもそうだね……」

 彼の言葉に溜息で答える。色々杞憂だったことに、ほっとした。

「玄関まで送っといてなんだけど、夕飯食べてかなくていい?」

「ん? 家にまだ一昨日のカレーが残っててさ。うどんでトドメさすつもりだから」

「そう」

「それより」

 彼の言葉に首を傾げる。

「明日はちゃんと学校来いよ?」

「え。土曜に?」

 何か予定あったっけ、と焦りかけた所で柿原が小さく舌を出した。

「嘘か! 一瞬焦ったじゃないか。ああもう帰れ。さっさと帰って寝てしまえ」

「カレーうどん食うんだけど」

「じゃあ夕飯食べて寝ろ」

 柿原は、はいはいと笑いながら玄関を開けた。流れ込んで来た湿度のある空気に目を向ける。随分と見ていなかった気がする空は、夕暮れを過ぎて夜になっていた。

「あ。そうだ」

「まだ何かあるの」

「あとひとつな」

 耳を貸せ、と指で呼ばれる。言われた通りに頭を寄せる。

「呪いの感情は恋だって言ってたよな」

「うん」

「じゃあ、お前のその症状は恋煩いだ。そのまま罹ってていいと思うぞ?」

「は?」

 思わず声を上げた。リビングの方を見そうになったのを堪える。

「ちょっと、それどういう……」

 声のボリュームを思いっきり下げて詰め寄る。彼は「どういうことも何も」と同じ調子で答える。

「言葉通りだけど?」

「ええ……」

 どうしてそんなことを言い出したのか掴めない僕に、彼は納得したように頷いている。

「いやー、お前見ててずっと思ってたんだよ。いい機会だと思うぞ。俺は」

「いい機会って。僕は――」

 違う、と言いかけた声は、柿原の視線に封殺された。

「急ぐな急ぐな。絶対に否定したいなら止めないけど、別に悪い感情じゃないんだから」

「そうかもしれないけど……」

 言葉を濁す。


 柿原が言うことはわかる。

 でも。

 あいつの歪んだ感情を、僕に重ねたくないとか。

 僕自身の感情じゃないのに、これを彼女に向けるのはどうだろうとか。

 言葉にするには複雑なモヤモヤが胸に溜まる。


「ま、色々言いたい事があんのは分かる。ゆっくり考えりゃいいって」

「うん……」

 曖昧に頷いた僕に満足したのか、彼はさっぱりとした笑顔で手を振って帰っていった。


 □ ■ □


「あれ?」

 晩ご飯を作ろうと冷蔵庫を覗いた僕は、首を傾げた。

 僕の記憶が確かなら。野菜、肉、魚牛乳卵。僕が買ってきた物がそのまま入っている。

 それが何を示すか。なんて、考えるまでもない。

「しきちゃん、もしかして」

 ごはんを食べずにいたのだろうか。そんな僕の予想は、彼女の頷きによって肯定された。

「ボクは元々……ごはん、食べていませんでしたから」

 それは「おはようございます」と同じ位、日常だと言わんばかりの声だった。

「そっか」

 僕は彼女に背を向けたまま食材を取り出す。顔は上げない。今見てしまうと、柿原の言った「病」に答えを出さなきゃいけない気がして、上げられなかった。


 手伝うという彼女と並んで、夕食の準備をする。

 二人で野菜を切って、下ごしらえをして。

「しきちゃん」

「はい」

 鍋に調味料を入れながら、僕は彼女に声をかけた。

「ご飯はね、できるだけ食べるといいよ。たとえ僕達の身体が食事を必要としなくても、心には必要なんだって」

 魚を鍋に並べる。火にかけながら独り言のように続ける。

「しきちゃんは僕……うちの座敷童だって、言ってくれたよね」

「はい」

「家に、幸運を運ぶと。言ってたね」

「……はい」

 ちょっと自信なさげなその声に、「それなら」と言葉を繋ぐ。

「僕は君に元気であって欲しい」

 誰に向けた言葉なのだろう。そんな事をふと思う。

 自分の感情と向き合えてもないのに、何を言ってるんだろうという気もするけど。

「この家を幸せにしたいなら、まずはしきちゃんが元気な事が条件だ。だから、僕が居なくても、ご飯は食べて欲しい」

 そう、彼女が心身共に元気であってくれたら良い。

 これが僕の感情なのか、彼の感情なのかは分からないけれども。

 この言葉は、僕の本心でありたかった。


 ふと、夢で笑ってた友人が、僕の世話を焼きに来ていた理由に触れたような気がした。

 それを今になって。この短期間で気付くなんて。これまで生きた長い長い時間、どれだけ無為にしてきたのだろう。

 そんなことを考えながら鍋を見つめる僕に「ほら、ひとつを甘くみてはいけないよ」と、嘲笑う言葉が聞こえた気がした。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?