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2.無理に話せとは言わないけど

 柿原をとりあえずソファに座らせ、着替えてリビングに戻る。

 お茶を淹れようと台所に向かうと。

「ボクが、やります」

 既に準備をしていたしきちゃんに制されてしまった。

「お兄さんは体調が良くないのですから。座っていてください」

「……うん」

 素直に頷いてソファの方に行くと、柿原は勝手知ったる様子でしっかりくつろいでいた。


 しゅんしゅんとお湯が沸く音がする。

 とてもとても長い夢から覚めたこの部屋は、思った以上に居心地が良かった。


 お茶を待つ間に、クリアファイルを指で軽く捲る。印刷されたノートの右上に、講義名と日付が記されている。シャーペンの画一的な線でも分かる、そこそこ整った字が目についた。

 その日付に頭がくらくらして、思わずがっくりと肩を落とした。

「今、何曜日……?」

「曜日感覚も失せてるとは相当だな。今日は金曜だぞ」

「えー……もう週末とか……何日経ってんの……」

 耳に届く自分の声は、やはりというかなんと言うか。酷く疲れていた。

「知らないけど、欠席は四日目だ」

「分かってるようるさい」

 えー、と文句を上げる柿原は無視して、本題を切り出す。

「それで?」

「うん?」

「なんで家まで来たの?」


 単に心配なだけならメールや電話でも寄越せば良いだけだ。さっきチェックした携帯の履歴に、そんなものはなかった。

 試験もレポートも、近いとはいえもう少し先。講義の一コマ程度なら欠席でも問題ない。ノートなら学校に来た時でも良かったはずだ。

 なのに、どうしてこいつはわざわざ「講義のノート」を口実に家までやってきたのか。


 僕の問いの裏を柿原はしっかり読んでくれたらしい。彼は「そりゃあさ」とソファに埋まりながら腕を組む。

「お前ずっと具合悪そうだったから、心配だったのと」

「うん」

「お前を起こしにいかなきゃいけないっていう使命感に突然目覚めたのと」

「ええ……」

「あとは、勘だな」

「勘……?」

 そう、と柿原の人差し指が口に触れる。


「無理に話せとは言わないけどさ。お前が何か誤魔化してる事に気付けない程鈍くないって言うのは覚えておけ?」


「――っ!?」

 思わず言葉が詰まった。

 にやりと笑う彼の指は、唇の端を叩いていた。

 そこにあるのは犬歯。それを示す指の意味は、なんてのは愚問だ。


「覚えてた?」

「……覚えてる」

 思わず溜息をつく。一体僕は、いつどこで何をしくじったのだろう。


「で。正直聞きたくないけど。“正体それ”はいつから?」

「んー、半年くらい前? まあ、今はそんな話置いとこうぜ」

「そうだね。そこは後でじっくりと話してもらうとして」

 どうして気付かれたのかは僕にとって死活問題のような気がするけど。彼の言う通り、今すべき話はそれじゃない。

 きっと彼は気付いているんだ。他にも色々。

 突然増えた頭痛の種に深々と息を付いていると、しきちゃんがやってきた。どうぞ、とお茶を出し、お菓子を並べ。そのままキッチンに戻ろうとする彼女を呼び止めて、座ってもらう。

 彼女は少しだけ不思議そうな顔をして、空いてる席についた。

「そういえば、彼女の名前は聞いた?」

「いや、まだだけど」

「そう、じゃあ紹介するけど。ちょっと待って」

「おう」


 柿原には色々と話をしなくてはならないと腹を括る。

 協力とか巻き込むとか。そういうのじゃなくて。ここまでやってきてくれたのだから、最低限の話はすべきだ。それが義理というものだろう。聞いた後の事は期待していない。聞かなかった事にしてもいいし、僕から距離を取ってもいい。なんなら記憶を消してやってもいい。だって柿原は人間だ。僕の正体を知ってたからって、この話を受け入れられるかどうかは分からない。

 ただ、その話が僕だけで済むのならいいんだけど。そうはいかない。


 ここしばらくの体調不良。無断欠席。その原因ときっかけ。

 これらの話をするなら、しきちゃんの話も省く訳にはいかない。彼女の許可も必要だ。


 どこから話せば良いか少し悩んだ後、彼女と向かい合う。

 彼女は、僕と彼のやり取りを黙って見ていた。

「しきちゃん」

「はい」

 彼女は僕の言葉を待つように背中を伸ばす。そんな声も耳をくすぐる。僕をまっすぐに見る目から、揺れる髪。首筋へと向けてしまった視線を外す。

 やっぱり彼女を直視できない。少しだけ鼓動が早まるのを感じる。でも、背けてばかりではダメなのも分かってる。心の中で小さく気合いを入れる。

 視界の隅で柿原がこっちを見ている。感情を悟られるのが嫌で、視界から消すように身体の向きを変えて座り直し、彼女に向き合う。


「えっと。彼の事は?」

 聞くつもりはないという意思表示のように携帯を弄り始めた柿原を、視線で示す。

「お名前は、聞いています」

「うん。オーケー。それで、今から柿原に話そうと思ってる事がある」

 だけど、と言葉を繋ぐと、彼女はこくりと頷いて言葉を待つ。

「その前に確認しておきたい事があるんだ。多分、しきちゃんに関係ある話、だと思う」

「はい」

 彼女は何かを待つように僕をじっと見る。

「答えはイエスかノーだけでもいい。知らないふりをしてもいい」

「はい……」

「僕が夢に見た話なんだけど。灰色の髪に茶色い目の男。もしくは、カノっていう名前。知ってる?」

 あの男がなんだかんだで名前を明かさなかったのを思い出した。

 僕の過去である意味一番致命的な所を握られてるのに、僕は明かされた分しか知らなかったのがなんだか苛立たしくもある。


 そして、彼女の反応は分かりやすかった。

 特に後者。名前に目を丸くした。

 驚いたように見開かれたその目はみるみるうちに潤み。大きな粒を零した。


「っ!?」

「あ。泣かした」

「ちょっ……柿原は混乱させるような事言わないで!」

 焦って何か頬を拭う物を探す。こういう時に良いものが見つからない。仕方ないので身を乗り出し、袖で拭う。一瞬、触れて良いものかとよぎって手が止まったけど、その隙間を彼女の雫が繋いだ。

「ご、ごめんね……! 辛かったら答えなくても――」

 僕の声に彼女は小さく首を振った。残った雫が、瞬きで落ちていく。

「いいえ、あまりにも懐かしくて……少し、嬉しい気がしたんです」

 そうして彼女は頷き、顔を上げた。

「はい。ボクは、知っています。その名前。香乃は。昔の、ボクの名前です」


 あの夢の家に囚われていた座敷童は。

 花が香るような、思わず息を呑むような。そんな淡い笑顔で答えてくれた。


「――」

「……お兄さん?」

 は、と我に返る。

「う、うん。ありがとう」

「フツーに見蕩れてたな」

 うるさい。柿原の言葉は無視して話に戻る。


 今の答えではっきりした。僕が夢に見たあの風景は、しきちゃんが話してくれた過去だ。あの男が家を絶やした張本人。彼女に共感し想い焦がれた結果、道を踏み外した殺人鬼だ。

 殺人鬼という表現を使うと、その前に見た過去を思い出すけど。関係ないと追い出す。


「えっとね。その頃の話を、聞いたんだ」

「その頃の話、ですか」

 そう、と頷く。彼女は不思議そうに首を傾けたが、すぐにどういう事か気付いたようだった。

「あ……ごめんなさ、」

「謝らないで。君のせいじゃない」

 そっと制すると、彼女は言葉を詰まらせてこくんと頷いた。

「その話と、君自身の話、僕がしても大丈夫?」

「はい」

「うん。ありがとう」

 頭を撫でたくなったけど、今触れるのは多分よろしくない。なのでそのまま柿原に向き直った。


「話はまとまった?」

 柿原も携帯をポケットに放り込んで、座り直す。

「まあ、概ね。……で。だ。今から事情を話すんだけど。これを聞いたからと言って、君に何かして欲しいって訳じゃない。聞いた後どうするかは任せる」

「おう」

「うん。で、この話は、僕と彼女、二人の正体と彼女の過去が関わってる」

「うわ。お前の過去とかなんか壮絶そう」

「さらっと酷い事言うよね、君」

「まあな。それで、彼女も関係者か」

「うん」

 しきちゃんもこくりと頷き、立ち上がる。それから柿原の前でぺこりと一礼した。

「初めまして。申し遅れました。ボクは、しきと言います。座敷童です」

「座敷童」

 繰り返す柿原に彼女は「はい」と頷く。

「そこのお部屋を借りています」

「へえ……」

 柿原はそうかあ、とただ頷いた。

「それで。お兄さんの体調は、ボクのせいで」

「いや、しきちゃんのせいじゃ……」

「よし分かった。順を追って話してもらおう」

 柿原は「皆まで言うな」と言わんばかりに手で話題を制した。

 それもそうだ。あちこち話が飛び回っては、分かるものも分からなくなる。

 そうして僕としきちゃんは二人で話し始めた。


 僕が吸血鬼で。しきちゃんが座敷童である所から。

 夜の公園で出会った事。彼女の血を吸った事。

 彼女の家の事。解放と引き換えにその血に受けた呪いの事。

 その呪いが、僕の中にもある事。


「それで……」

「それで?」

 流れでさらっと話せるかと思ったけれども、言葉が止まった。

 柿原が首を傾げて続きを急かす。

「ええと……その」

 ちら、としきちゃんを見る。彼女も柿原と同じように、どうして話が止まったのかいう顔をしている。

 つまりこれは、僕ひとりが抱き、知っている感情だ。


 別にこの想いをばらしてあいつが可哀想、という事は欠片もない。

 ただ。僕自身がなんか恥ずかしいのだ。

 考えるだけ、感じるだけならまだ良い。けど、それを人に説明するとなると、なんという罰ゲームだと思う。とはいえ、ここで止まってはいけないのだと、僕は自分自身に言い聞かせる。

 なんで言い聞かせなければならないのか。ちょっと釈然としないけど。意を決して言葉を吐いた。

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