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3.共感するから乗っ取られる隙がある

 部屋に戻って、僕は盛大に溜息をつく。


 今日は昨日ほど上手く誤魔化せなかった。

 明日はきっと、もっとできないのだろう。

 夢を見て。目を覚まして。

 朝、耐えられるだろうか。

 この苛立ちを。不安を。よく分からない感情を。

 自暴自棄になってぶつけてしまったりしないだろうか。


「正直……自信ないなあ……」

 彼女には何の非もないのだ。血をもらうと言ったのは僕だし、それに混じっていた呪いの話を聞いても「気にしないで」と彼女に言って聞かせた。

 だから。僕がどうにかしなくてはならない。


 ――他の血で、薄められたりするのだろうか。


 いいや、と首を横に振る。

 その可能性はきっと低い。これまでも混じり合っているはずなのに、これだけの存在になっているんだ。

「どうしたら……いいんだろう」

 夢の相手の話を聞けば良いのだろうか?

 問いかけてみれば良いのだろうか?

 どうすれば。

 なんて考え込んでいるうちに睡魔が訪れる。時計は日付を変えたばかりだった。

 ベッドに転がると、すぐに瞼が落ちた。

 最近、夜の眠気が早い。朝の疲れだろうか。

 僕の意識はすぐに沈んでいく。


 そして――夢を見る。


 □ ■ □


 あの茶色い瞳は、相変わらず僕そっくりの姿で目の前に居た。

 僕は何も言わない。いつも通り、喋りだすのは茶色の僕だ。


「彼女はね。私の宝物なんだ」

「――なんで」


 僕の言葉に、彼の言葉が止まった。

 僕自身も、自分の言葉に驚く。

 そうか、発言できたんだ。夢の中で主導権を握ろうなんて考えたことなかったけど、やろうと思えばできるもんだ。

「ずっと共に在った。私が、傍に居たんだ」

 けれども答えは変わらなかった。答えにもならない回答だった。

「私の宝物なんだ」

「答えになってない」

「そうかい? これはこれで、十分な理由だと思うが」

 彼は不思議そうに言う。

「ずっと一緒に居たから宝物だ? まるで物みたいな扱いだな」

「物――そのような事はないよ」

 彼は続ける。

「長い時間を共にした。だからこそ、何物にも代えられない大事な存在なんだよ。物のように扱ったことなど一度もない。むしろ、私が彼女に利用されていると言った方が正しい」


 それはきっと、しきちゃんが言っていたことだ。

 彼女を解放する代わりに、その血で彼女の居場所を縛り付ける。

 確かにそれで彼女は自由を得た。

 自由のために彼の血を使っている、と言えるのかもしれない。けれども。


「……でも、それに僕を巻き込むのはちょっと、勘弁してくれないかな」

 僕の言葉で。口元が、にやりと吊り上がった。

「それは。無理だな」

 くつくつと笑いながら彼は言う。

 一歩。

 彼が踏み出し、距離が詰まった。

 すっと指が差し出され、僕の胸元にとん、と刺さる。

 目を伏せ、口の端を上げる。

「随分根付いたね」

「……」

「私はもうここから離れられないし、これはまたとない機会。約束もしたしね。みすみす手放すことなどできないよ」

 彼の目が、僕を真直ぐに見る。

 相変わらず、茶色いのに底の見えない色。

「だが、彼女は誰にも渡したくない。勿論、君にもだ」

「何度も言ってると思うんだけど」

 彼女は僕の物じゃない。そう言っても、彼は首を横に振った。

「私も何度も言っている。私にはそうは見えないんだ」

 彼の手が僕に伸びる。それを力一杯払いのけると、腕が飛んだ。

 どさ、と折れ飛んだ腕を一瞥して、彼は呆れたような顔をした。

「君。その力任せの行動は良くないよ」

「残念だけど……僕、元々そんなに我慢強くないんだ」

 彼はああ、と頷いた。

「今は随分丸くなった。か。そういう事だね」

 丸くなった。まあ、そう言われればそうだろう。頷くと、彼はくつくつと笑った。

「そうか。でも――まだ丸くなり切ってないようだ。ほら」

 そう言うと目の前の僕がずるり、と崩れた。


 胸に穴が空き、首が落ち、心臓が転がる。

 腹部が裂けて。頭が割れて。血のような涙を流し。足元から崩れ落ちたその姿は。

 僕がこれまで夢の中で、彼を否定し続けた結果の全て。


 落ちた首がにたり、と笑う。嗤う。

「私をここまでボロボロにするなんて――なあ」

「――う」

 目の前の光景に思わず目を背ける。そんな資格なんてないんだろうけど。そんな姿になってまで笑う顔だけは、直視できなかった。

「彼女は私の宝物だ」

 いつもと同じ言葉を繰り返す。

「丸くなったなんて幻想だよ」

「う――る、さい!」

 耳を塞いでも、言葉はその手をすり抜けて入ってくる。

「君は変わらない」

 私もまた然り、と声がする。

「私はずっと、変わらないよ。彼女は私の大事な宝物だ。だから誰にも渡さない。それは君も――」

「私も、そう、思っている――」

 僕の口から、そんな言葉が零れた。

 いいや、僕の言葉じゃない。これは、彼の言葉だ。

「そんな事はないよ」

 声がする。

「君も私と同じように思ってる証拠さ。私の言葉に共感する所があるから、そうも簡単に言葉を乗っ取られる」

「違う! 僕は、ただ――」

「違わないね。ほら、明日の朝が楽しみだ」

 ぐ、っと言葉が詰まった。

 明日の朝。僕が目を覚ましたら。どうなるんだろう。

 寝る前に抱いていた不安が僕の膝を崩す。

「楽しみだね」

 ぎり、と歯を鳴らして言葉だけは堪える。何か言えばすぐにその言葉を乗っ取られるのではないか。そんな恐怖。

 僕の意志ではない言葉。けれども彼は、それこそ僕の意志だという。

 違う。否定したい。だが、口を開くのが怖い。

 言葉を飲み込んで喉で押さえつけている僕に、彼はバラバラのまま頷いたようだった。

「うんうん。堪えるだけ堪えるが良いよ――ああ。楽しみだ」


 後どれくらい耐えられるだろうねえ。

 そんな言葉を最後に、ふつり、と。

 視界が真っ暗になった。


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