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5.座敷童の血の味は

 食事も終わり、テーブルの食器もすっかり片付いた。

 けれども、しきちゃんは食事をとった椅子から動かなかった。僕が話しかければ頷いたり答えたりするけれども、あとはじっと僕を視線で追いかけるばかり。

 彼女なりに考えているのだろう。僕としては落ち着かないけど、考えてと言ったのは僕自身だ。そこは文句を言える所ではない。


 さて、これからどうしよう。本でも読むか。課題を片付けるか。彼女の返事を待ちながらどう過ごせば良いだろう。と洗い終えた最後の皿を水切り籠に入れる。

「……お兄さん」

「うん?」

 手に残った水を拭きながら答えると、彼女はじっとこちらを見ていた。

 言いたい事があるらしい。テーブルの方に戻って、彼女の前に膝をつく。

「何か気になる事があった?」

 こくり、と彼女は頷く。

 なに? と返事を待つと、彼女は少し視線を落として椅子から降りた。反射的に差し出した手が腕に触れる。灰色の毛先が指をくすぐって通り過ぎ、彼女は僕の前に座った。

 僕の手をかすめた指先が、膝に落ち着く。

 じっ、と赤い目が僕を見上げる。

 見定められるような。何かを決意したような。そんな目が僕を真っ直ぐに射る。幼いのにとても強いその目から、視線が外せない。


「さっきは、遊んでくれてありがとうございました」

「あ、ああ。うん」

 どういたしまして、という言葉の前に彼女の口が動いた。

「ボクの事を心配してくれて、なんにも聞かないで遊んでくれて。倒れちゃったのにベッドを貸してくれて。ご飯も……誰かと一緒に食べたの初めてで。とても、嬉しかったです」

 彼女の目が、ふと和らぐ。


 食事の話をした時の反応を思い出した。

 何を言われたのか計りかねたあの表情。あれは、これまで誰かと一緒に食べると言う事をしなかったから。初めて言われた言葉に戸惑った結果なのだろう。


 僕はじっと、彼女の言葉を待つ。

「ボク、お兄さんはいい人だと、思います」

「……ありがとう」


 僕は、どんな判断を下されるのだろう。こんなにも小さな肩で、僕にどんな事を言うのだろう。じっと見上げるその目に、僕はどう映っているのだろう。

 僕は何も言えない。言葉が出ない。ただ、息を詰めて待つ。


「お部屋が空いているっていうお話しも、嬉しかったです。だから」

 だから、ともう一度呼吸を整えるように口を動かして。揃えた指を床に付き、深々と頭を下げた。

「このおうちに、居させてください」

「――」

 言葉が出ない僕に、彼女は頭を下げたまま言葉を続ける。

「ボクは座敷童だから。できる事は少ししかありません。でも、お兄さんを不幸にはさせないし、お手伝いもちゃんとします」

「……え、えっと……と、とりあえず頭を上げて……ね?」

 僕そんなたいしたこと言ってないから、と彼女の頭を上げさせる。肩に伸ばそうとした手は、少しだけ間を空けて止まった。なんだか触れられなかった。

 頬が。指先が。なんだか熱い気がする。気分が高揚するのが分かる。

 ほんの気まぐれ。偶然の産物。その程度に過ぎなかった提案だったけれど、それを受け入れてもらえた事が。単純に嬉しい。同時に、緊張の糸がぷつりと途切れたような感覚もする。

「その……うん。ありがとう。なんか、ほっとしたよ」

 これからよろしくね、と僕も頭を下げる。

「あと」

 彼女の口が再度動いた。僕の身体がぴたりと動きを止める。

「な、何?」

 まだ何かあったっけ、と狼狽えかけた僕に彼女は少し首を傾けて自分の首に掛かった髪を退かして見せた。

「ごはんを」

「へ?」

「後でボクの血をあげると……約束しました」

 ぐっと首を差し出すように僕へと向ける。

「え、あ……ああ」


 そういえばそうだった。と、今更ながらに思い出す。遊んだら後で血をもらうと言っていた事。そもそも喉が渇いていたから外をうろついていた事。なんだか色々と重なってすっかり忘れていた。


 そして、こういうのは思い出すと途端に欲が出る。

 ごくりと喉が鳴る。

 けれども。一瞬、胸がざわついた。


「しきちゃん。別に……無理はしなくていいんだよ?」

「無理じゃ、ないです」

 約束したからちゃんと守るだけです、というのが彼女の答えだった。


 そう言われればその通りだ。僕は一体何を言っているのだろう。条件として先に提示したのは僕だ。そして彼女はその約束を守ろうとしている。なのにどうして、僕はこうも弱気になっている? 自分に問うても答えはない。

 よく分からないまま「そっか」と小さく答えると、こくりと彼女は頷いた。


「ええと……それじゃあ」

 彼女の肩にそっと手を置く。見た目以上に小さな肩が小さく揺れる。やっぱり怖いのかもしれない。が、彼女は目をつぶって首を差し出す。震えそうなのを懸命に堪えているのが、カーディガン越しにも伝わってくる。けれども彼女は何も言わない。

 髪を親指でどけて、血管を探す。日に焼けた事の無いような白くて細い首。残る髪の毛が蛍光灯の明かりを弾く。

 薄暗い訳でも、月明かりの下でもないのに、なんだか艶めかしく見えるのは何故だろう。

 その光景に、頭がくらりとした。

「牙。痛かったり怖かったりしたら、言ってね」

 もう、それだけ言うのがやっとだ。

 彼女の小さな頷きを肯定と受け取り、幼い首をそっと噛む。

 牙が柔らかな肉に沈む。ぷつ、と音を立てて流れ出た血が、僕の舌に触れる。

 一瞬だけ、さっき食べた目玉焼きの黄身を思い出した。とろりと舌に溶けて。甘い。


 ――あ。美味しい。


 そう思ったが最後。彼女を噛む口に力が入った。

 こんなに美味しくて甘い血は、初めてだった。

 彼女が呻くような声を上げた気がする。何か、聞こえる。が、それは僕の耳に言葉として伝わらない。

 もう、どうにもならない。抱きしめる訳でもなく、ただ小さな肩を押さえて流れる血を味わう。相手が子供であることも、小さく震えている事も。きつく握られた袖も。どうでも良かった。

 ただただ、美味しい。それだけだ。


 そうして。

 彼女の肩が、僕の手からふらりと抜け落ちた時、やっと我に返った。

 しまった、と思った時はもう遅い。倒れかけた彼女の背中を抱き留める。

「ご、ごめん……!」

 口に残った血を拭う事も忘れ、慌てて謝ると、彼女は首を小さく横に振った。

「だい、じょうぶ……でも」

 こないで、ください。そう言った彼女の首にはくっきりと牙の跡。流れる血が襟や髪に付く。血の気はまだあったけれども、彼女は手を離した僕からふらふらと離れ、僕の寝室へと入っていく。


 閉まるドアの音。続く、鍵の音。

 つまりは篭城。


「えっと……ごめん」

 僕は閉ざされたドアの前に思わず正座をしていた。

「……ちょっと、痛いです」

 ドアの向こうから、か細い声がした。

「ごめんなさい」

「血、飲み過ぎ……です」

「はい……調子に乗りました……」


 美味しかった。喉が渇いていた。そんなのどうでもいい。

 ただただ、反省。それだけだった。

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