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2.ドッキリ系少女の要求

「――!?」

 思わずベンチから飛び退き、距離を取る。

 声を上げるのだけは堪えた。ずざざっ、と靴の底が砂を擦る音が響く。崩しかけたバランスを取るため地面についた手のひらに小石が痛い。

 申し訳程度の街灯で照らされた闇の影。そこに目を凝らす。


 いつの間に現れたのか。ベンチの後ろに人影があった。

 灰色の髪を肩で揃えた女の子だった。髪を揺らして身を引くその指は白い。色白の肌は闇の中でもくっきりと輪郭を見せる。僕の反応に驚いたのか、ぱちぱちと瞬く目は赤い。白いブラウスにオーバーサイズのカーディガン。闇に目が慣れないと分からないような黒のスカート。年は大きく見積もっても中学……いや、小学校の高学年くらいだろうか。


 正直怖かった。いつになったってどっきり系は慣れない。いや、そうじゃない。心臓がバクバクと音を立てているのが分かる。

 こんな時間に突然現れた少女。ボールに気を取られてたとはいえ、言葉が届くまで気配がなかった。彼女は一体。


「お兄さんは、何をしているのですか?」

 彼女は問いを繰り返す。

「こ、こんな時間にちびっ子が言う台詞じゃないよ……?」

 その言葉にこてん、と首を傾げた少女に対し、僕の心臓は相変わらず騒ぎ続けている。ただでさえ喉が渇いて力が少ないというのにこのどっきりだ。

 お兄さんは寿命が縮まりそうなんだよ。なんて、よく分からない言葉は飲み込んだ。


 僕の様子を見て、少女はようやく状況を理解したらしい。しゅんとした様子で俯き「ごめんなさい」と頭をこくりと下げた。

 その姿を見ていると、なんかこっちが悪いことをしたような気分になる。

「えっと……うん。僕こそ、ごめんね……」

 謝る必要なんてないのに、なんかそんな言葉が出た。

 そしてお互いの言葉は自然と途切れる。


 動かずに向かい合う二人。お互いが相手の出方を待っているような、言葉を喉に支えさせているような空気。なんだか気まずい。公園に沈んでいる空気は冷たい。それが一層気まずさを増す。


「えっと」

 先にその空気に負けたのは僕の方だった。

「それで、僕が何してるか、だっけ……」

 少女の問いを確認しながら立ち上がる。彼女は追うように顔を上げて、こくんと頷いた。

 僕は目を伏せる。彼女から視線を外したかったのかもしれない。軽く笑い、手の砂を払いながら返す。

「特に何もしてないよ。ちょっと散歩してて……休憩にベンチで寝てただけ」

「散歩……家に、帰らないのですか?」

 首を傾げた拍子に前髪から零れた視線が、彼女に再度向けた僕の目を射貫く。

 痛い所を突かれた気がして、思わず呻いた。僕だって帰れるならば帰りたい。

「いや、帰るつもりはあるんだけどね……もうちょっと、と思って」

 食事を探して彷徨って、収穫無しな所をへこんでいただけです、とはさすがに言えない。そもそも何も知らない少女に言う必要はない。僕の目的としてはむしろ、今この瞬間が絶好の機会なんだろうけど。そんな事より、僕をじっと見つめる彼女の身がなんだか心配になっていた。

 一通り答えた僕は、今度は彼女に問いかける。

「それよりも、君は? 小学生が居ていい時間じゃないよ?」

 お家に帰りな、という意味を込めた声に、彼女が少しだけ視線を逸らしたのが分かった。

「……ボクは、帰れません」

「帰れない?」

「家を、出てきました、から」

 出てきた。

 小さく首を振り、彼女は確かにそう言った。

 その声は寂しそう……違う。何かを諦めた声だった。

 家出? いや、違うと僕の何かが囁く。

「出てきたって……家出、とか?」

 僅かな可能性を信じた問いにも彼女はううんと首を振る。

「もう誰も居なくなってしまったので……出てきました」

「いやいや家出は良くな――」

「家出、じゃ。ありません」

 静かなのに強い声に、僕の言葉が詰まる。

「いいのです。あそこは、ボクの家じゃありません、から」

 それより、と彼女は僕――ではなく僕と少女の間に転がっているボールを指差した。

「そのボール。ボクのです」

「あ、ああ……これ」

 そうなんだ、と軽く蹴って飛ばしてやると、彼女は器用にそれをキャッチした。


 ぶかぶかのカーディガン少女には不似合いだな、なんて感想が浮かぶ。そもそもこんな時間にこんな年頃の子が居るだけでも十分不似合いなんだけど。

 諸々の違和感ですっかり怪訝な顔をしている僕なんか気にした様子もなく、彼女は一度だけ大切そうにボールを抱きしめ。それをずい、と前へと突き出してきた。


「お兄さん。遊んでください」

「――え?」

「遊んで、欲しいのです」

 突然の言葉に反応ができなかった。ダメですか? と言いたげに首が傾くと、灰色の髪がさらっと揺れた。

「いや。遊んで、って……」

 無茶な事を言う。僕は思わず身構える。


 遊んでと言われて、いいよと簡単に言える状況ではない。

 誰が考えたって、軽く返事は出来ないだろう。こんな時間に小学生の女の子とボールで遊んでるなんて、誰かに見つかってみろ。タダじゃ済まない。


 降って湧いた厄介事に、僕の回答はしどろもどろになる。

「なんで……?」

 違う。そうじゃない。と自分の口から出た言葉にぼやく。普段ならそんな反応しないだろうに。けど、口にしてしまった物は仕方がない。心の中で自分に悪態をつきながら、彼女の答えを待つ。

 小さな唇が少しだけ結ばれる。差し出したボールをそっと引っ込めて、口を開く。

「ひとりで遊ぶのに、飽きたから、です」

「いや。飽きたって……」

 正直呆れた回答だった。だからって夜中に遊び相手を求めるなんてどうかしている。親は一体何をしているのか、なんて文句も出てくる。

「いや、さ。こんな時間に……だよ? 子供が」

「ボク、子供じゃありません」

 何を諭そうとしたのかもよく分からないまま出た僕の言葉は、少しだけ強く遮られた。その拍子に喉で言葉が詰まる。

「ボクはもう、子供じゃありません」

 彼女は繰り返す。

「あの家の子供でもありません。家も、ありません」

 だから、と彼女の赤い目が僕に訴えた。


「“遊んでくれませんか”?」

「――っ」


 たった一言。

 されど一言。


 静かで小さな声だったけれども、そこに込められた強さに、僕は思わず身を引きかけた。

 否定という選択肢を選ばせない言葉の強さに、冷たい空気も、暗闇も、風で揺れる木の音も。何もかもが、僕の感覚から消え失せる。

 それは、僕にひとつの確信を与えた。

 ごくり、と喉が鳴る。


 どうして気付かなかったんだろう。

 長い飢えの結果、頭の回転どころか気配の察知感覚まで落ちていたのか。サッカーボールや不意にかけられた言葉、時間と存在の違和感なんていくら並べたって理由になんてならない。本当に情けないの一言に尽きるこの体たらく。


 この子は僕の同類――人とは相容れない存在だ。


 彼女が何かは分からない。外見だけでは判断できない。

 けど、悪意はなさそうだ。僕をじっと見て返事を待つその姿に、健気さすら覚える。

 はあ、とため息が出た。警戒を解いて、両手を軽く挙げる。

「なるほど、そういう事ね……。良いよ、遊ぼう」

 挙げた手を下ろして「ただし」と続けると、少女がぱちりと瞬きをした。

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