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第140話……ファーガソンの地

 統一歴569年8月――。


 山々の緑も映え、夜は虫たちの協奏曲が鳴り響く。

 昼は刺すような日差しが強く、汗の玉が流れるような陽気だった。


 私はチャド公爵への使者として西方に向かっていた。

 コメットに、時折水を飲ませながらに駆けていたのだ。


 私はソーク地方の都リドリーに立ち寄り、食料と水を買い込む。

 この街もやはりいくらか治安が悪化していた。


 住民たちはあまり外に出ず、街に以前の活気がなかったのだ。

 早く、安定的な統治者が誕生しなければならないな。


 最良の統治者とはどんな人を言うのだろう。

 ただ人に優しいだけでは、周辺諸国に蹂躙されてしまう。


 安易に独裁者を選んでも、反乱が絶えないかもしれない。

 まぁ、王家は世襲制なので、私が選べるわけではないのだが……。



「……それはよい!」


 使者の件、満場の賛成で私になった。

 案件を断ってもよかったかもしれないが、イオのご指名とあればやはり断れない。

 彼女も家のためを思って、私を指名したのだろうから。


 私はそんな考え事をしながら、チャド公爵が実効支配するファーガソン地域に入ったのであった。




◇◇◇◇◇


 緑が映える街道を海沿いに進むと、城壁に囲まれた大きな街が見えた。

 海沿いの街ロックハート。

 私はここで水と食料の補給を試みることにした。


「顔を見せろ!」


 街に入ろうとすると、大きな城門で革の鎧をまとった衛士に止められる。

 それもそのはず、私は顔の酷い火傷を隠すために仮面を被っていたのだ。

 人を怯えさせないように被っているのだが、怪しい奴だと思われることも頻繁にあった。


「すまん、行っていいぞ!」


 私が仮面の下の火傷を確認すると、衛士は悪かったと謝り、城門を通してくれた。

 中に入ると賑やかな街並みが広がる。


 治安も良好なようで、道に落ちているゴミも少ない。

 その賑やかさは王家が治めるリドリーの比ではなく、王家よりチャド公爵の方が良い統治をしている証左であった。


「親父、部屋は空いているか?」


「へい、こちらにどうぞ」


 私は今回、裕福な商人を思わせる服を着ていた。

 まさか、王家の服を着ていては関所も通れないし、逆にみすぼらしい服を着ていても、面倒なことが多いのだ。

 私は宿の裏側の厩にコメットを預け、宿の食堂に入った。


「親父、冷えたエールをくれ!」


 ここロックハートの街はファーガソン地域のハブを担う都市で、多くの旅人や多くの商人たちが訪れる場所だったのだ。


 当然に、この宿の食堂も様々な人々でごった返し、活況を呈していたのであった。


 私は前金で小銀貨を六枚払い、脂ののったヤギのTボーンステーキと、温かいトウモロコシの粥をたのんだ。

 白くふっくらしたパンを温かい粥の中に浸して食べるのが私の好み。

 赤身の強い葡萄酒をお代わりし、その晩は心地よく部屋で眠ったのであった。




◇◇◇◇◇


 翌朝――。

 小さなノックの音がドアに響く。


「どうぞ!」


 そういうと、音もなく入ってきたのは間諜のまとめ役のエクレアだった。

 私に先行して、ファーガソン地方の様子を調べてもらっていたのだ。


「で、どうだった?」


「御屋形様。チャド公爵の統治はなかなかのもので、これといった悪政は行われておりません。兵役の負担は若干重めですが、治安もよくこれといった隙がありませんでした」


 チャド家の支配に弱点があれば外交のカードになるかと思ったのだが、どうやらないらしい。


「そうか、ありがとう!」


 そういうと、彼女の姿はどこかへと消えてしまった。


 ……弱みがないとすると、どうしたものかな。

 私は美しい海岸線が見える窓のドアを閉め、宿屋を出立。


 一路チャド公爵の本拠であるゴールドバーグの街を目指したのであった。




◇◇◇◇◇


 ゴールドバーグの街。

 そこは豊かなイシュタル小麦の畑に囲まれた古からの城塞都市である。

 以前は商国を攻めるための王家の重要な補給集積地であり、そのために度々防御施設が強化されていたのであった。


 遠くの丘から見るに、街を取り囲む城壁も高く、街の中央にある公爵の居城はさらに高くそびえて立っていた。


 私は城門をくぐり、比較的大きな宿に部屋をとった。

 街並みはロックハートよりは栄えてはいないが、長い歴史からか落ち着いた雰囲気を醸し出す良い街並みであった。


「これを着ればよいのかな?」


 私は宿の部屋の中で、背負い袋の中から、外交用の一張羅を取り出す。

 王家とは雰囲気を異にした、漆黒の生地にリルバーン家の紋章が大きく入った服であった。


「馬車を頼む!」


「はい、毎度あり」


 私は宿屋の親父にチップを渡し、馬車を仕立てて貰った。

 仮にも公爵家の使者が、一人で徒歩はまずいだろうと思ったのだ。

 私はその馬車に乗り、チャド公が住む居城に向かったのであった。


「ほう、リルバーン公爵家の方ですか?」


「左様にございます」


 私は門番の手に大銀貨を一枚握らせる。


「うおっほん。お通りなされ」


 私の乗る馬車は水堀にかかったつり橋を通り、堅牢な城門をくぐった。

 そして、木々が美しい中庭を抜け、城主の大きな館の前まで進んだのであった。


「チャド公爵にお目通り願いたい」


「少々お待ちを」


 私は要件が書かれた書状をメイドに渡す。

 その後、館のメイドに案内され、チャド公の執務室に案内されたのであった。

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