「……、我等は根無し草なのです。何卒ご一考を!」
「ああ、わかった」
私は来客の退室に合わせて、小さな溜息をついた。
来客の話は長く、お出したお茶は冷え切っていた。
「どうしたんです? お前様」
代わりに部屋に入ってきたのはイオだった。
「いや、オヴの一族の長老が来たんだよ」
「へぇ、何の用でしたの?」
「ナタラージャを、私の側室にして欲しいんだって」
「まぁ、でも何でです?」
「えっとね、……」
リルバーン家の旧臣派閥にはイオが当主の正室に収まっている。
半面、北部から大量に移民として流れてきたオヴの遺臣たちは、現領主との血縁のつながりが全くない。
当主とのつながりがない地域や民には、理不尽な苦役や重税が課されるのがこの世界の常だった。
つまり一族のためには、何としてでもナタラージャの犠牲が必然との思惑のようなのだ。
「犠牲ですか? 失礼な話ですね」
イオは顔を膨らませた。
「……ぇ?」
「だってそうじゃありませんか。お前様は仮にも王国の将軍閣下ですよ。願ったら結婚できるほど安い存在じゃないですわ」
「……あはは、確かにそうかもね」
確かに言われて見るとそうだが、つい先日まで嫌われ者の傭兵だったのだ。
感じ方は急には変われるものではない。
私はその場を笑ってごまかすしかなかったのだった。
◇◇◇◇◇
統一歴564年10月――。
エウロパの港で新造軍艦が完成した。
この船はリルバーン家が初めて作った専属の軍艦で、大型バリスタや投石器を備えた新鋭艦であった。
「艦名は、リヴァイアサンとする!」
完成式典は、周辺の領民も招かれ、一種のお祭りパーティー的なものとなったのだった。
「いやぁ、これでお家の名声も高まるばかりですな!」
「ありがとう」
毛皮商人のホップに葡萄酒を注がれる。
彼は最近、毛皮取引で大きな財を築いているらしい。
先日も高価な珊瑚の髪飾りを、イオに献上していたのだ。
「これでお世継ぎが産まれれば万々歳ですな!」
「ははは、左様」
旧臣たちは跡継ぎネタで盛り上がる。
どうでもよさそうなこの話、彼等にとっても重要なのだ。
王国のしきたりで、貴族家当主に実子がおらずに当主が亡くなった場合は、その貴族家がとり潰しとなり、家臣たちは路頭に迷うのだ。
戦死でもほぼ例外は無いのだ。
それだけ跡継ぎ問題は家臣としても必至の事案であった。
この制度は不人気であったが、王宮の財源補填の意味合いがあり、改正はほぼ不可能とされていたのだ。
「ポコ~♪」
「風が気持ちいいですわね」
「ああ」
リヴァイアサンの試験航海は順調で、私もイオも船上で気持ち良い風を受けたのだった。
この船の乗員はリルバーン家の者に託す予定だが、訓練教員を兼ねて、暫し海の衆の頭目であるロボスが臨時の船長に就任した。
やはり、急ぎ海上指揮官も育成せねばならないだろう。
◇◇◇◇◇
「将軍お時間ですぞ!」
「ああ、わかった」
私の執務室にナタラージャが訪れる。
今日は私の乗竜訓練の日だ。
教官はナタラージャ。
ケード育ちの彼女に比べれば、私の腕前はまだまだであったのだ。
「はいよ、コメット!」
コメットは私と教官役のナタラージャを乗せ、草原を全速力で走る。
今日の空は晴天で気持ちよく、勢いよく海岸のあたりまで駆けて行ったのだった。
「……あっ!?」
不運にも崖上でコメットが岩に足を取られた。
あっと今に崖から転落。
私達は海に真っ逆さまに落ちたのだった。
海中に落ち、急いで海面方向を確認。
急いで海面に泳ぎ出る。
「ぷはー!」
近くに浮いていた木片を掴み、溺れかけていたナタラージャを急ぎ抱きかかえた。
海流に流されつつも、必死に泳ぎ、海岸へとたどり着く。
ゴロゴロ――。
運悪く空には暗雲が漂ってきて、あっという間に豪雨となった。
「……こ、ここは?」
「ナタラージャ! 気が付いたか? 良かった良かった。あそこに見える洞窟で雨宿りしよう! 歩けるか?」
「は、はい」
ふらつくナタラージャの手を引き、洞窟の中へと入り、暫しの雨宿りをしたのであった。
◇◇◇◇◇
洞窟の中。
外には雷鳴が轟き、雨の音が聞こえる。
私達は濡れた服を脱ぎ、背中合わせになって、焚火の火で体を温めた。
「ごめんね、落ちちゃって」
「……いえいえ、あの時、私も考え事をしていて……。えと、長老様からお話はお聞きになりませんでしたか?」
彼女は元気のない声で応じる。
「……ああ、聞いたよ」
彼女は若い。
そのようなことで悩ますのは酷だと私は思う。
だが、彼女も貴族だ。
自分よりも家や一族郎党に責任を持つ立場でもあったのだ。
「私のこと、お嫌いですか?」
彼女は此方を向き、俯き加減に聞いてきた。
一糸纏わぬ彼女の姿が視界に入る。
「嫌いじゃないよ。でも御家の為にいいのかい?」
「お家の為ではないです。私は……、将軍、殿、いえ、貴方様が好きなのです。今ここで抱いてください!」
私は彼女の突然の告白に面食らう。
なぜなら、彼女は今までそんな素振りを見せてこなかったからだ。
「無理しなくていいんだよ」
「いえ私、敵中に真っ先に突撃する貴方様に、とても殿方を感じるのです! きっと父も戦場ではそのように振舞ったのだと……」
……オヴ殿か。
私より遥かに勇敢であったのだろうな。
私がそんなことを思っていると、彼女は私の方に寄りかかり、スヤスヤと寝息を立てていたのであった。