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第27話 Peaceful Surrender 中編

「始まったか」


 ロルバンディア軍の通信を見ていたコルネリウスは、深くため息をついた。


「なるほど、ロルバンディアを征服したのは伊達ではないな。これでエルネストの艦隊は戦うどころではなくなった」


「戦わずして勝つ。それが、アウルス殿下の信念ですので」


 アイリスはやや自慢げにそう言った。軍人として戦場で戦うのは当然のことではあるが、アウルスは戦争をより高い視点で観察しながら戦略を練っている。


 まだ三十代にもなっていないが、実に老獪な手段を使うものだ。


「お前さんの新しい婚約者も、なかなかえげつないことをやるな」


 若干の嫌味を込めてコルネリウスはそう言うが、アイリスは凛々しく、そしてむしろ誇らしげにしていた。


「それでも、大勢の将兵たちが殺し合うよりは遥かにマシです。アウルス殿下避けられる流血を避けるという、当たり前ですが困難なことを成し遂げます。これがアレックス王にできますか?」


 堂々と尋ねるアイリスに、コルネリウスがっくりと肩を落とす。そんなことはトールキンがポールシフトするか、いきなり超新星爆発が起きることを予想するようなものだ。


 誰もが信じ認めている、あの愚劣な王にできることは国を傾かせることしかない。


「それに、私は閣下との賭けに負けましたよね?」


 アイリスがそう言うと、コルネリウスは苦い顔をした。


「分かってる。女といえども、やはり名将の子だ。無謀な賭けをしてしまった。約束は守る。これ以上無益な血が流れることは望まん」


 既にコルネリウスはアイリスへの敵意を捨てていた。元々、敬愛する上官の娘であるからというのもそうだが、彼女はコルネリウスに「エルネストの艦隊を戦わずして無力化する」と提案した。


 コルネリウスは鼻で笑ったが、気づけばエリオス・ヒエロニムス大将による降伏勧告が始まった。


 本人が考えたかどうかは知らないが、あの放送を見れば戦いに次ぐ戦いで心身ともに疲弊し、家族とも離れ離れになってしまった将兵たちの戦意を打ち砕くには十分すぎる。


「一王子の立場で艦隊を率いて、一国を征服。そして、見事に統治してルーエルラインを突破してミスリル王国へと侵攻してきた。こんなことは誰でもできることではない」


 言動は荒いが、既にコルネリウスは戦意を失っていた。賭けに負けただけではなく、もはやロルバンディア軍相手に勝利することは不可能であるからだ。


「部下の命だけは保証してくれるのか?」


「殿下は約束は守るお方です。それに、それでも信用できないのであれば、私を人質にしてもかまいませんよ」


 笑顔でそう言ったアイリスに、コルネリウスは深くため息をつきながら頭をかきむしった。


「分かった分かった、俺の負けだ。それに、お前さんを人質に取ったら俺は無論のこと、部下たちも殺しかねん。会ったことはないが、あの大公殿下は怒らせるとためらいなく相手を皆殺しにするだろうからな」


 アウルスはエリオスに代弁させる形で、慈悲をもってロルバンディアの脱走兵たちの降伏を促した。しかし、戦いが始まったタイミングでの降伏は一切認めないことも言及していた。


 コルネリウスはアウルスの器の大きさと策士ぶり、さらに言えばいざとなったら相手を皆殺しにすることも辞さない苛烈さと冷酷さを持っていることを理解していた。


「コルネリウス大将、お苦しい立場でありながら決断して頂きありがとうございます」


 未来の大公妃になることが決定しているにもかかわらず、アイリスはコルネリウスに深々と頭を下げた。


 彼の決断はミスリル王国の臣民を救うことではあるが、同時に売国奴と呼ばれかねない行為であるからだ。


「勘違いするな」


 コルネリウスは悪ガキのような、若干ふてくされた態度を取った。


「生きていれば、汚名をそそぐこともできる。だが、死んでしまえば俺はともかく、部下たちは一生負け犬で臆病者、国を売った売国奴のままだ。それに、アウルス大公は戦った者すら寛大に遇するのはあの通信を見れば分かる」


 エリオス・ヒエロニムス大将のことは、コルネリウスも耳にしていた。マクベス軍の侵攻と、エルネストの稚拙な指揮で主力艦隊を失いながらも首都を守り続け、最後には降伏した。


 エルネスト以上にエリオスは、アウルスを苦しめたとも言えるがその提督が大将まで昇進し、厚遇されているのであれば、決して悪い扱いを受けることはないだろう。


「アウルス大公はこのミスリル王国を征服するつもりならば、俺は政権の中でミスリルの民たちを守ることもできる」


 コルネリウスの発言に、アイリスはコルネリウスに厚遇などの条件を付きつけなかったことが正解であったと安堵する。


 コルネリウスは苛烈な言い回しや、言動が攻撃的で荒いが、馬鹿ではない。むしろ、恐ろしく頭がキレる上に責任感を持っている提督だ。


 そして、自らロルバンディアに降伏することで恩を売り、そこで頭角を現しながらミスリルの民たちを決してアウルスに好き放題されないようにするというビジョンまで描いている。


 初めから決めたことではないだろうが、それを瞬時に思いつける時点で思考の閃きは間違いなくずば抜けているのが分かった。


「大公殿下は聡明なお方です。決してミスリルの民たちを奴隷のようにすることはありません」


「分かっている。でなければロルバンディアを征服して、たった四年でミスリル王国に侵攻することはないだろう。それに、あれだけの名将を揃えている上に使い方も上手い。戦う気が失せたわ」


 決してコルネリウスの戦意は高いとは言えなかったが、それでも国家への献身と、ザーブル元帥からの頼みもあり、宇宙艦隊の半数を率いてモリア星域に向かったのだから。


「アイリス、一つだけ頼みがある」


「なんでしょう?」


「ザーブル元帥とそのご家族のことも……」


「分かっております。決して危害を加えることはいたしません。ザーブル元帥以外の方に対してもです。諸悪の根源は全て、アレックス王とその取り巻きにありますので」


 ハッキリと言い切ったアイリスに、コルネリウスは不思議な感情が生まれていた。


 間違いなく自分は負けたと敗北を悟っていたのだが、それが決して不快などではなく、安堵とも違う、畏敬の念とも言うべき感情が芽生えていた。


 本来ならば未来の大公妃として、ロルバンディアにいてもいいはずのアイリスは、自らミスリル王国へと攻め入る宇宙艦隊に同伴した。


 そして顔見知りとはいえ、自分のことをいい意味でも悪い意味でも知っている聡明な公爵令嬢アイリスが自らロルバンディア軍に下るよう説得にやってきた。


 屈強な軍人ですら嫌がる危険な仕事を、聡明とはいえ婦女子に過ぎない彼女が侍女だけを連れてやってきたのは並みの胆力ではできない。


「ちなみにだが、お前さん、あの大公殿下もそうやって口説き落としたのか?」


 やられっぱなしではいられない、生来の負けず嫌い、というよりも皮肉屋からコルネリウスは尋ねたが、アイリスは首を横に振った。


「いいえ、殿下は私を話を聞いただけに過ぎません。殿下はおそらく、初めから戦うつもりでいた。そして、私の情報を元に大義名分を得て、父の反乱に呼応しただけです」


「ということは、口説かれたのか?」


 コルネリウスが揶揄すると、アイリスは顔を真っ赤に染めてしまったが、どうやら思い合ってはいるらしい。


 アレックス王の婚約者であった時には決して見せなかった表情に、コルネリウスはにやりと笑った。


「国一つ征服する覇王だ、そりゃ女一人攻略するなどわけないか」


「違います! 殿下は私を征服していません!」


「なら、お前さんが征服したのか?」


「思い合っただけですわ。コルネリウス大将も、奥方を征服されたのですか?」


 アイリスはさらりとコルネリウスの数少ない弱点を突いた。コルネリウスは傲岸不遜で有名であり、時には尊敬するエフタル公やザーブル元帥にすら、真っ向切って意見を言う。


 だが、唯一の弱点は彼が自他ともに認める愛妻家ということだ。コルネリウスがロルバンディアに下ることを決意したのは、トールキンにいる愛妻とその間に設けた子たちのことを危惧したからだろう。


「……痛いところを突いてきたな」


「閣下も、奥方をからかう者がいたらどうします?」


「決まっている! まずは拳を顔面に叩きこんで、ふざけたことを言う舌を引きちぎって……」


 そこまで言うとコルネリウスは思わず額に手を添える。自分がまさに、アイリスに対して同じことをやっていることに気づいたからである。


「すまん」


「いえ、分かっていただければ十分です」


 礼儀正しく話すアイリスだが、コルネリウスは彼女には今までなかったオーラのようなものを感じていた。


 そもそも、ただの公爵令嬢であれば、婚約破棄の代償としてあの覇王アウルスの元に向かい、侵略の手助けなどしない。そして、自分相手に降伏するように説得に来ることもないだろう。


 彼女には聡明さと共に行動力が備わっている。その結果、気づけばミスリル王国はロルバンディア軍に大義名分まで与えて侵略を受けることになったのだ。


 後にコルネリウスは取材に来た歴史家に次のような言葉を残している。


「この戦争は彼女が初め、そして彼女が終わらせた。彼女が参戦を促し、決定的な勝利を収めたのも彼女によるものであった。ミスリル王国は一人の公爵令嬢を激怒させ、その結果彼女の報復を受けることで滅んだ」


 こうして、アイリスはコルネリウス・ウル・ハーマンと彼が率いる八個艦隊を、ロルバンディア軍へと寝返せたのであった。

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