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第25話 暗君の憂鬱

「まだ決着がつかないのか?」


 首都トールキンにある王城で、ミスリル王ミスリル・ディル・アレックスは焦りを隠さずそう言った。


「現在、膠着状態とのことです」


 ヴァンデル伯がそう返すと、アレックスは深いため息をついた。


「何故だ? 何故奴らは攻め込まない……?」


 瞬く間にヴァレリランドを突破したロルバンディア軍は、理由もなく進軍を停止していた。一方、エフタル公の内乱も一進一退のままだった。


「ザーブルは何をしているんだ! 倍の艦隊を持ちながら、老いぼれ一人を倒せないのか!」


「全く頼りになりませんね。名将と呼ばれる者が何をしているのやら」


「お父様の言う通りです。ザーブル元帥も大したことありませんね」


 他人事のように語るヴァンデル伯とフローラに、アレックスは冷ややかな視線を向けた。


「この期に及んで他人事か? ディッセル侯の後継として宰相になろうとする貴公が、何を甘いことを言っているんだ」


 主君の突然の叱責に、娘のおこぼれで外務大臣の地位を得たヴァンデル伯は首をかしげた。


「しかし、軍事は私の専門ではありませんので」


「では、どうすれば解決するんだ?」


「そ、それは……」


 口ごもるヴァンデル伯。そもそもディッセル侯が無能だったから外戚に推薦したに過ぎず、彼には妙案など浮かばなかった。


「陛下、父上をいじめないでください」


「ではフローラ、その大切な父親に頼んでみたらどうだ? 一刻も早く戦争を終わらせろと」


 いつもより辛辣な口調に、ヴァンデル伯はうなだれ、フローラは涙を流した。


「ひどい! お父様は真剣にお仕事してるのに……」


 フローラは抱きつき甘えたが、アレックスは彼女の顔を思い切り叩いた。乾いた平手打ちの音が玉座の間に響く。


「真剣だから何だ? それは当たり前だ。次は泣いて済まそうというのか?」


 既に泣きそうだったフローラは、いつもと違うアレックスの態度に困惑した。


「どいつもこいつも無能ばかりだ。特に貴様が一番愚かだ、ヴァンデル伯! 適当にやれと言ったが、それは時間を稼げという意味だったのに、ロルバンディアに侵攻を許すとは何を考えている!」


「それは陛下の指示に従ったまでのことで」


「戦争になっても構わないなどと言った覚えはないぞ!」


 アレックスとしては、あくまで時間を稼ぐつもりだったが、ヴァンデル伯の拙い対応に頭を抱えていた。


「これでは私の岳父になってもらうわけにもいかんな」


 思わず口にした言葉に、ヴァンデル伯とフローラは慌てて膝をつき懇願した。


「どうかそれだけはおやめください!」


「何卒挽回の機会をください!」


 哀れに思えたが、泣きたいのはこちらだとアレックスは自覚し、二人の手を無下に払った。

「ならば何ができるか、三日後に答えを出せ。それだけの猶予を与えてやる」


 アレックスの条件にヴァンデル伯は一礼して退出したが、取り残されたフローラは哀願しながら彼を見つめた。


「殿下、私は……」


「もういい。部屋で休んでいろ」


「やはり陛下はお優しいですね」


 うっとりした表情でアレックスの寵愛を得ようとするフローラだったが、彼の目は冷え切っていた。


「フローラ、私が今不機嫌だと分からないのか?」


 他者には向けても自分には決して見せなかった怒りの表情に、フローラは体がすくんだ。


「君も自室で休め。私は忙しい」


 有無を言わさぬ口調に、フローラは完全に萎縮して退室した。その姿を確認すると、アレックスはテーブルにあった水を飲み、怒りのままにコップを床に叩きつけた。


「どいつもこいつも無能ばかりだ! 何故私の役に立たない!」


 好転どころか国家の危機に直面していることは、アレックスも認識していた。しかし、その原因が自分にあることを都合よく忘れ、周囲に当たり散らすしかできなかった。


 思えば、アイリスとの婚約破棄が大きな躓きだった。かつてはファルスト公の後押しと先王、そしてエフタル公の取り決めで成立した婚約だった。


 だが、アイリスは知恵と学識でアレックスを凌ぎ、家柄に頼らずとも活躍できる女性だった。それゆえ、彼は彼女に劣等感を抱いていた。


 アレックスは自分の凡庸さを自覚していた。幼い頃から共に過ごしたアイリスは、彼が答えられない問題を軽々と解き、多くの賞賛を得ていた。


 そんな彼女が妻となれば、嫌でも比較され、地獄のような日々が始まるだろう。


 そう思う一方で逆らえず悩んでいた時、声をかけてきたのがディッセル侯だった。


 ディッセル侯はアレックスの幼馴染であり親友のエルネストを極秘裏に任せていた人物だ。アレックスは彼にアイリスとの婚約破棄を相談したところ、こう返された。


「いずれ好機が訪れますよ」


 そんな機会など来ないと思っていたが、先王が亡くなり、ファルスト公も逝去した。


 そしてディッセル侯が宰相に就任したことで、アレックスは玉座に就き、ミスリル王国の頂点に立った。


 ディッセル侯は軍部の影響力を排除するため諸侯優遇政策を望み、アイリスとの婚約破棄を簡単に実行した。その代わりにヴァンデル伯と娘のフローラを後釜に据えることも、反発はあったもののスムーズに決まった。


 フローラとの生活は想像以上に快適だった。彼女は蒙昧だが、その愛嬌にアレックスは何度も癒され、嫌なことを忘れられた。


 だが、今の国難の中ではヴァンデル伯もフローラも役に立たない。ディッセル侯はそれなりに働いているが、ファルスト公やエフタル公ほどの才はない。


 下手をすればアイリスの方が数倍有能であり、非効率で手間のかかる手段ばかりを選び、無能な諸侯を厚遇するディッセル侯に、アレックスは見切りをつけ始めていた。


「やはり頼りになるのはエルネストしかいない」


 幼少期から対等に接し、活躍してくれたエルネストに、アレックスは全幅の信頼を寄せていた。


 だが、若き国王はまだ知らない。その信頼するエルネストが既にこの世にいないことを。


 そして、自身の破滅が迫っていることも。

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