ロルバンディア軍がヴァレリランド方面へと進撃した報告は、即座にトールキンへと通達されていた。
「ヴァレリランドにロルバンディア軍が侵攻か」
真っ先に報告を受け取った宰相ディッセル候は、部下からの報告に訝しんだ。
「いかがいたしましょう?」
「タルカス侯爵に任せておけ。これは脅しだ。ロルバンディアのように我が国は陥落しない」
ルーエルラインに絶対的な信頼を持っているだけに、ディッセル候はそう判断した。
ヴァレリランドはルーエルラインが存在する中で一番の難所。
防衛システムも構築されているために、ロルバンディア軍の行動をディッセル候は牽制であるとし、無視した。
優先するべきは、絶対航行不可能領域内にて反乱を起こしているエフタル公だ。
エフタル公はミドルアース、そしてエンドールを支配下に置いている。
これを放置すれば国全体を揺るがしかねない。
取るに足らない相手よりも、内側の敵へと戦力を向ける必要性があるために、ディッセル候はエフタル公への対処を優先した。
この判断自体は決して間違っているとは言い切れない。
だが一番の問題は国内と国外、両方に敵が存在していることであり、それを生み出してしまったことにある。
そして、ロルバンディア軍侵攻から二日が経過した現在、ディッセル候はヴァレリランドからもたらせた凶報に歯噛みし、胃を焼き焦がすような痛みと戦うことになるのであった。
*****
「ヴァレリランドが陥落した?」
御前会議にて、ミスリル王国国王であるアレックスはその情報に茫然としていた。
「奴らはルーエルラインを突破してきたというのか?」
「情報が錯綜しており、詳細は不明ですが、ヴァレリランドの司令部も壊滅し、総督府も制圧されたのは間違いないとのことで……」
軍務大臣のトラスト元帥が、自信なさげにハンカチで汗をぬぐっていた。
暑苦しい体型が、その仕草をさらに滑稽に見せつけていた。
「何故援軍を送らなかった?」
アレックスが怒鳴りつけるが、全員が内心辟易しながら反論したい気持ちを抑えていた。
ロルバンディア軍侵攻の前に、正式にロルバンディアから宣戦布告をされているため、その対処について問いただされた際に、アレックスは宰相ディッセル候に丸投げをしたのである。
そして、ロルバンディア軍が侵攻してきた際には、タルカス侯爵に任せればいいとして、特段命令を出すこともなく、自身はフローラとの逢瀬を楽しんでいたほどだ。
「殿下、今は責任問題よりもまずはロルバンディア軍への対処が先かと」
ディッセル候にそう言われると、アレックスは仕方なく椅子に腰かけた。
「それで今後の対策は?」
「それはムダート元帥が説明至します」
トラスト元帥に唐突に振られたムダート元帥は、やせぎすな顔で困惑しているが、仕方なく立ち上がる。
「おそらく奴らはヴァレリランドを突破し、わが国を占領するつもりではないかと……」
自信なさげに語る
「そんなことは分かっているわ、戯け!」
アレックスの罵声が飛んでくるのも無理はない。
そんなことはここにいる全員が理解していることだ。
「問題なのは、奴らがわが国に侵攻し、どこを目指しているかだ。もしかしたら、エフタル公と連携を取っているのではないか?」
ムダートとトラスト両元帥は、国王の主張にハッとした表情を見せるが、ディッセル候はため息をついた。
「宰相、他人事のつもりか?」
呆れた態度が気に入らなかったのか、主君の怒りに触れたことを察したディッセル候は襟元を正すかのように「めっそうもございません」と凛々しく答える。
「どいつもこいつも無能ばかりではないか! 貴様ら、この国難をなんだと思っているつもりだ!」
アレックスの叱責は国王として当然の発言ではあるが、発端は彼自身による不貞と、朝敵エルネストを匿ったことにある。
それをきっかけにエフタル公は、王家に見切りをつけて反乱を起こし、ロルバンディアは引き渡しを要求し、それを拒否した結果、戦争となった。
すべてがアレックスの判断の結果、引き起こされたものであり、御前会議に出席している者たち全員が「
「とりあえず、ロルバンディア軍はおそらくトールキンに攻めてくるだろうな」
険悪な雰囲気を読まぬかのように、ロルバンディア・トゥエル・エルネストは平然とそう言った。
「何故そう思う?」
「奴らの行動は極めてシンプルだ。ヴァレリランドを攻め落としたのは、トールキンに近いからに他ならない。他のルートではいずれも遠回りだからな」
軍事に注力しすぎて祖国を滅ぼしただけのことはあるのか、エルネストの言っていることには説得力があった。
実際、ヴァレリランド方面はルーエルラインから最短ルートで行き来できる。
「なるほど、流石はエルネストだ」
「まあこれは奴らとやり合った経験からのことだがな」
エルネストがそう言うが、ディッセル候は怪訝な顔をした。
「ですが、エフタル公と合流する可能性も……」
「軍事の素人である宰相閣下には分からんだろうが、それは無いと断言できる」
自信たっぷりに答えるエルネストに、ディッセル候は蹴落とされそうになった。
「その理由とは?」
外務大臣のヴァンデル伯が尋ねると、エルネストは待っていたかのような態度を見せた。
「補給線の問題だ。ロルバンディア軍は極めて優秀であり、兵站を重視している。ヴァレリランドからエフタル公がいるエンドールまで向かうのは補給線の観点から見てあり得ない」
いくら宇宙空間をワープできると言っても、一から物資を生産できるわけではない。人員や食料、その他物資を供給できなければ戦争はできない。
「それにアウルスはロルバンディアへと侵攻した際にも、ロルバンディア艦隊を蹴散らしつつ、首都を陥落させた。奴らのやり方は四年前と変わらん」
全員が納得しあう中で、エルネストの発言力が増すことを嫌がるディッセル候は場の空気を変えようとした。
「しかし、奴らも同じように動くとは……」
「流石はエルネスト殿ですな。慧眼恐れ入りました」
突然にヴァンデル伯がエルネストを賞賛した。
「確かに、奴らは真っすぐにトールキンへと攻め入ってくるでしょうな。その方が手っ取り早い」
ムダート元帥も賛同し、トラスト元帥もまた黙って頷いていた。
何より、エルネストの発言に一番喜んでいたのはほかでもない彼らの主君であった。
「エルネストの言や良し」
元々、帝国からの通達を無視してまで匿っただけはあり、アレックスはエルネストに絶大な信頼と友情を抱いていた。
「ならば、対策も分かっているな?」
「もちろん。奴らは最短距離でトールキンに向かうはず。であれば、そこで艦隊を派遣して待ち受ければいいだけだ」
「では早速艦隊を……」
「お待ちください!」
席を立って珍しく大声を出したディッセル候に、周囲は驚いているが、それ以上にアレックスが嫌悪を向けていた。
「なんだ?」
「ロルバンディア軍を撃退するのは当然のことですが、それは果たして誰が行うのですか?」
アレックスの露骨な嫌悪にも負けず、ディッセル候は問いただす。
しかし、若きミスリル王国国王はあきれ果てていた。
「今更何を言っているつもりだ? エルネストに決まっているだろう」
「ですが、エルネスト殿は……」
「それなら貴官が指揮を取るか?」
アレックスの質問に、ディッセル候は発言に窮する。
宰相が戦場に赴くことはおかしなことではないが、文官出身の自分にそんなことは出来はしない。
「宰相閣下、国家の存亡がかかっているのですぞ」
自分が外務大臣に任命したはずのヴァンデル伯の態度に、ディッセル候は事態は想像以上に悪化していることを悟った。
「ヴァンデル伯、貴様……」
「陛下、エルネスト殿はロルバンディア軍と戦った経験もあり、奴らの手の内を理解しているはずです。ここは雪辱の機会をお与えにされた方がよろしいかと」
余計なことを言うなと叫びたい気持ちを抑え、ディッセル候はヴァンデル伯をにらみつけるが、ヴァンデル伯はバツが悪い表情をしながらも、怯むことはなかった。
「その通りだな。エルネスト、やってくれるか?」
「お任せあれ。奴らに敗北を教えてやろうではないか」
ディッセル候はがっくりと力なく椅子に座り込む。
恐れていたことが遂に実現してしまった。
エルネストは勇猛ではあるが、有能ではない。
エルネストの軍事手腕が確かであれば、アウルス率いるマクベス軍に敗北することもなく、そもそも戦争が起きることなどなかった。
戦乱の元凶と言うべき男に軍事を任せるなどあってはならない。
面倒は見てきたが、明らかにエルネストは軍人でありながら、軍事を軽んじているところがある。
素人であるディッセル候が思うのだから、玄人であればなおのことだ。
トラストやムダートも、所詮は諸侯枠で元帥になっただけの無能者に過ぎず、奴らは気づけばエルネストに追従していた。
ディッセル候は静かに、ミスリル王国が崩れていくことを実感していくのであった。