「堅牢堅固な要塞であっても、必ず弱点がある。意味は分かるな?」
旗艦ガンディーヴァにて、第一遊撃艦隊に所属する艦隊司令官たちを前に、ウイリス・ケルトー大将はそう言った。
「要するに、ルーエルラインを無視して進むということですね。このワームホールゲートで」
第三艦隊司令官エリオス・ヒエロニムス中将は冷静なままであった。
「なんだエリオス、ずいぶん冷めてるなお前は。これは戦争のやり方が大きく変わるんだぞ。そして、成功すれば俺たちは歴史に名を残す」
「負けても名は残りますな」
エリオス中将がバッサリと指摘すると、ケルトーは深くため息をつく。
「お前は何でそんなに冷淡なんだ? 心躍らないのか?」
「私は英雄としてではなく、一人の夫として、父親という立場で、家族と幸せに暮らせればそれで構いませんよ」
それでも冷静なままなエリオスにケルトーは頭をガシガシとかいた。
「お前がエルネストのクソ野郎と不仲だった理由がよく分かるわい」
元々エリオスは旧ロルバンディア軍の艦隊司令官を務めており、エルネストの部下であった。
しかし、エルネストの強引な手法と無能さを指摘し続け、最終的には退役させれてしまったのである。
「大公殿下には感謝しておりますよ。あの下種野郎を、ぶち殺せるのですから」
無表情のままに、エリオスは憎しみがこもった目をしていた。
「エリオス中将、顔が怖いですぞ」
第一艦隊司令官であるシュリーゼ・ウル・グスタフ中将が、エリオスの肩を叩いて窘める。
冷静沈着な正論家であるエリオスだが、エルネストの退廃後、首都メルキア攻防戦では総司令官として奮戦した。
マクベス軍は想像以上に苦戦したが、結果としてエリオスに降伏勧告をしたことでエリオスは降伏する。
その後、アウルスはエリオスの奮戦ぶりと祖国の復興に尽力してほしいと頼み、その懇願を受けて、エリオスは旧政権下の軍人たちを新生ロルバンディア軍に復帰させていた。
彼らは全員エルネストに恨み骨髄であったが、その中でもエリオスは筆頭ともいえるほどに恨んでいるのだ。
「まあ、卿の気持ちも分かりますが、それはそれとして閣下、改めて説明をお願いします」
年長者であり、人望実績ともに高いシュリーゼに促されケルトーは説明を続ける。
「現在本隊はヴァレリランド回廊へと進軍している。が、貴官らも知っているようにこれは陽動作戦だ」
アウルスと第一遠征艦隊を率いるマルケルスは、ヴァレリランドに向けて攻撃を開始していた。
「マルケルスは無論のこと、大公殿下もここから突破できるなど考えてもいない。まあ、だからこそ我々がワームホールゲートを使い、奴らが備えていないところから奇襲をする」
冷静だったエリオスを含めて、全員が息をのんでいた。
「所詮はルーエルラインに頼った国防だ。ルーエルラインが突破されることなど考えてすらいない」
「完全なる不意打ちですな。そのままここを突破すれば、トールキンまで三日で到達できます。何度聞いても、感嘆させられますな」
シュリーゼの言葉に、ケルトーは豪快に笑う。
「流石シュリーゼ! 話が速い。ようは、ルーエルラインという大河、山脈でもいいが、ここに橋とトンネルを築いて突破するということだ」
「分かりやすい説明ですね」
第二艦隊司令官、バレリス・ウル・イグニスが少し皮肉るようにいうと、ケルトーはイグニスの額をデコピンで弾いた。
「何するんですか!」
ケルトーの木の板すら割れるデコピンに、イグニスは額を抑えて半分涙目になっていた。
「お前の言い方にはトゲがあるからな。仕置きだ」
「無茶苦茶だ」
「閣下、一つよろしいですか?」
額を弾かれたイグニスを心配しながら、最年少の艦隊司令官であるセラーズ・アルマ・アデル中将が尋ねた。
「なんだ?」
「ワームホールゲートを使うというのは分かりましたが、ルーエルラインを越えることは可能なのですか?」
セラーズの主張は当然だろう。
ワームホールゲートは帝国や枢軸国ではまだ開発途上の技術である。
「ルーエルラインは現在のワープ技術ですら突破は無理です。確かに、ワームホールを使えば現状のワープよりも、長い距離を移動することができますが……」
セラーズが言うように、光の早さを越えるのにワープ航法を使うのが一般的だ。
光の速度ですら一年かかるほどの距離を持つ広大な宇宙空間を移動するには、光を越えた空間を捻じ曲げるワープ航法を行う。
こうすることで、一光年かかる距離をわずか一時間で移動することが現在では当たり前になっているのだが、現在の技術では最大4光年が限界であった。
「今までのワープ航法だと、頑張っても4光年。そして、ルーエルラインは最大で10光年というとんでもなく広大だ。ワープしたまま、あの世に行ってしまうからな。ワームホールゲートならば一瞬で、15光年をショートカットできる」
ルーエルラインがワープ航法があっても突破ができないのは、この死の空間が、とてつもなく広大であるからだ。最大10光年の場所ならば、現代ならば最短で三時間程度で移動できる。
だが、一回のワープ航法の距離の関係上、ルーエルラインの中に転移しかねないために、ミスリル王国は堅牢堅固な要塞に守られる国として、どの国からも占領されたことはなかった。
「それは承知しています。実証試験もクリアされているんですよね?」
「もちろんだ。これは元々義兄上の企画だったからな」
ケルトーの義兄にあたる、ヴァルナス・エル・カミッロ侯爵は物流の専門家である。
その研究の中で大規模な流通を効率化を求めた結果、大々的なワームホールゲートの研究開発を行っていた。
「実験ではそれこそ一度に20光年は移動できていますが、果たして、四個艦隊も安全に通過できるのですか?」
「できるに決まっている。というか、すでにできるできないではなくやるしかない。今はもう、議論する時間は終わっている」
セラーズをたしなめるようにケルトーはそう言った。
「実証試験はクリアしたが、流石にここまでの艦隊を一気に使えるかどうかまでは、実践できていない。だからこそ俺はこれを用意した」
ケルトーは懐から従卒に黒い鞘と柄しかない、武骨なナイフを取り出す。
「閣下、それはもしかして……」
「うむ、自決用の短刀だ。失敗したら、これで自決する。この作戦が失敗すれば我々は大恥をかく。汚名返上などできないほどのな。殿下は笑って許すと思うが、殿下に取り立てられた俺としては、殿下の名を貶めてまで生きたいとは思わん」
普段はふざけておちゃらけているケルトーであるが、根っこの部分は武人である。
そのための覚悟は誰よりも激しい強さを有していた。
「そこまでのお覚悟を?」
「そもそも、アイリス様の件はきっかけだ。殿下は初めからミスリル王国を取るつもりでいた。それに、次期大公妃となられるお方のご家族が今戦っている。しかも、かの名将エフタル公とそのご子息たちだ。我々が負けることの意味は分かるな?」
「殿下に恥をかかせ、アイリス様を悲しませ、エフタル公の一門も全滅、何よりも将兵たちまで失い敗北したとする。俺はそこまでして生き永らえるつもりは毛頭ない。だからこそ、失敗したら責任を取って自決する」
従卒に目を向けると、従卒は黙ってケルトーと同じナイフを四本持ってきた。
「だからこそ、貴官らもこれを持っておけ。自決しろとはいわん。それに矛盾しているようだが、俺は死ぬつもりはない」
「どういうことですか?」
一番冷静なエリオスが尋ねると、ケルトーは笑顔を作る。
「貴様らがいるからだ。ロルバンディア軍の中でも、選りすぐりの提督四人とその精鋭四千隻を運用する将兵たちがいる。失敗する要素がどこにある?」
思わずシュリーゼ中将も笑顔になった。
「そこに闘将であるウイリス・ケルトー大将までいるのですから、失敗する可能性はさらに低下しますね」
「それに、この作戦を考えたのはバレリス参謀総長ですしね」
「イグニス! 余計なことを言うな!」
「本当のことではないですか」
「まあともかくとしてだ、これはあくまで失敗した時の覚悟。そして、同時に成功させるための覚悟でもある。俺も、生きて家族と再会したい。エリオス、貴様もそうだろう」
「もちろんです」
「シュリーゼ中将もご息女の結婚を控えているし、セラーズ、お前も武勲を上げて婚約者と再会したいだろうが」
二人は黙って頷いた。
「イグニスは……お前はまあアレだな、独り者だし、後継ぎはいるし、うーん……」
「ちょっと! 私だって無事帰還したいですよ!」
「そうか、なら頑張れ」
イグニスに対してやや厳しめにケルトーはそう言うが、兄の友人としてマルケルスと共にもう一人の兄として家族づきあいしているケルトーに、イグニスはわざと不貞腐れた。
「ということだ。セラーズ、やってくれるな」
「やらせていただきます」
「よし、では早速準備を行う。先鋒はエリオス、貴官が一番槍だ」
「承りました」
丁寧に返答するが、声にはどことなく闘志がみなぎっている力強さがあった。
「そしてシュリーゼ中将、貴官には殿を務めてもらう。万が一の時は頼むぞ」
「承知いたしました」
「そして、セラーズとイグニス、貴様らはワームホールゲートの準備を頼む。すでに工作隊が動いているが、何分、軍事的には初めてことをやる。頼んだぞ」
「任せてください!」
「派手な武勲を立ててみせますよ」
こうして第一遊撃艦隊は、ルーエルラインを越えるべく準備を開始した。
そして同時刻、ロルバンディア軍はミスリル軍との最初の激突が始まっていたのであった。