「じゃあ、早速だけどやってみて!」
さすがに公爵家のアシュリーを調合室で迎えることはできず、さりとてクラリスの借りている部屋は問題外だと考えていると、キースが自分の執務室へ招き入れることを提案してくれた。
そうしてキースと共に執務室へ入った途端、アシュリーはそう無邪気に言いながらクラリスへと〝ベル〟を差し出した。
「……あ、はい」
昨日の〝子リス〟のことを思い出して、ごくりと息を呑むクラリス。
(またあんなふうになったらどうしよう……)
嫌がるでもなくキースの〝狼〟に噛まれるままになっていた自分の〝子リス〟の昨日の姿が一瞬自分とキースの姿に重なってみえたことに、カッと顔が熱くなる。
そんなクラリスのことなど気にも留めず、さあ、さあ、と期待に満ちた顔でアシュリーが催促してくる。ただでさえ美しい顔立ちが見るからにキラキラと輝いて見えるので目のやり場に困ってしまうほどだ。
(えーい……なるようになあれ!)
「……〝音鈴〟」
魔力を〝ベル〟に注ぎながら唱えると、前回のようにもこもこむくむくと形をなし、可愛い子リスが現れた。
「うん。次はこちらへ」
くいくいと手を動かし呼び寄せるアシュリーの元へ行くように伝えると、子リスはぴょんぴょんと飛び跳ねながら彼の手のひらの上に乗った。つんつんと指で突きながらアシュリーは微笑む。
「クラリス嬢によく似ていて可愛いね。リスなんてぴったりだ」
『ありがとうございます』
たとえお世辞でも可愛いと言ってもらえることは嬉しいものだ。今まで実家であるルバック家では言われたことがなかったせいでむずがゆくもあるが、この騎士団本部ですごすようになって素直に受け止められるようになってきたと思う。
お礼の言葉を〝ベル〟を通して伝えると、うんうんと頷きながら覗き込むアシュリーとは対照的にキースの表情は真顔になっていく。
「うん、擬態動作は正常。じゃあ次は僕のを起動っと〝音鈴〟」
アシュリーの呪文と共に光の粒が舞ったかと思うとその中心に金色の狐が姿を現した。
「さあ、クラリス嬢のところへ行っておいで」
「まあ!」
アシュリーの声でそう言われた途端、しゅるりとクラリスの首にまるで襟巻きのようにかかる〝狐〟。その行動に思わず声をあげた。
ふふっと、笑いながら頭を撫でると〝狐〟は嬉しそうにクーと声を出す。
『へえー、ちょっと、なんだか……面白いね』
首にからまったまま喋るので耳元近くで聞こえるアシュリーの艶っぽい声に、ドキッとする。騎士団ですごすうちに男の人の声には驚かなくなってきたものの、元気ではきはきとした団員たちとは違う音質に落ち着かなくなる。
(可愛いけれど……少し耳がこそばゆい)
〝狐〟が動くたびにふさふさとした柔らかい毛が首から耳に当たりくすぐったい。もぞもぞと動くのを我慢しながらいつまでこのままなのだろうかと思っていると、突然首から〝狐〟が引き離された。
「え?」
「クラリス嬢への負担を考えてください。いつまで〝ベル〟を張りつかせているつもりですか?」
いつの間にか隣にまで近づいてきていたキースがアシュリーの〝狐〟の首を掴んでぶらぶらとぶら下げている。
『なんだよ、キース。これではテストにならないじゃな……』
キースの手がギュッと力を込めると、話している最中だというのに〝狐〟は光の粒を散らしながら消えてしまった。
「いか……って、あーあ。酷いなあ。そう思うでしょう? クラリス嬢」
「え、あの……うーん……」
キースはアシュリーの手の中の〝子リス〟を奪い取ると、クラリスの手の中にそっと戻した。ちょうど魔力が切れたのか、元の〝ベル〟へと戻ってしまった。
「いいえ、十分でしょう。すでに結果は出ていましたから」
(え? 本当に? あれだけで?)
「まあね。まさか本当に僕の〝ベル〟があんなふうに動くとは思わなかったよ。なんなんだろう。本当に不思議だよね」
気になるよね、なんだろうな。ねえ? と呟きながらあらためてクラリスの姿を見つめるアシュリー。あの〝狐〟の人懐こい行動がデフォルトでなかったことにぽかんとしてしまった。
(私にそんなことを聞かれましても……)
「これの開発に獣人たちのパターンを入れたせいかな? でも今までは全くそんなことなかったんだけども……ねえ、クラリス嬢。失礼を承知で聞くけれど、君って
「え、いいえ。……私の父母に獣人の親戚はいないはずです」
家系図を思い出してもその中に獣人がいたという覚えはない。無論隠されていたともなればわからないが。
うーん、と頭を掻きながら唸るアシュリーをキースはくるりと回し、そして扉の方へ背中を押していった。
「ちょ、キース! 何をするの⁉」
「本当に失礼ですね。テストはもういいでしょう。続きはさっさと王宮へお帰りになってご自分の研究室で考えてください」
「いやいや、まだ肝心のクラリス嬢とキースの〝ベル〟の行動テストが終わってないじゃないか!」
(キース様の〝狼〟とのテスト……それは、ちょっと恥ずかしい)
昨日の光景を思い出し、できればやりたくはないと考えて顔を赤らめる。アシュリーの〝狐〟はクラリスの〝子リス〟に興味を示さなかったけれども、またキースの〝狼〟があんなことをしでかしたら、しかもそれを初めて知り合ったばかりの他人に見られるなどしたら今度こそ卒倒ものだ。
まだぶうぶうと文句を言うアシュリーに対し、キースは容赦なく背中を押していく。
「どちらにしてもこれ以上は無理です。そもそもクラリス嬢は魔力量が絶対的に足りていない。ただでさえ午前中に魔法薬とポーション作りで魔力を使ったうえに、何度も新型の〝ベル〟を起動させるのはクラリス嬢にとっては負担にしかならない」
「そうなの? え、クラリス嬢ってそんなに魔力量少ないの? それであれだけの魔法薬を作れるの?」
きょとんとした顔のアシュリーに、クラリスは申し訳なさそうに頷く。実際のところもう二、三回ならばできないこともないとは思う。
けれども絶対的な総量もだが、クラリスは一度に注げる魔力量が圧倒的に少ないのだ。
魔法薬の作成などでは徹底的に効率化を考えて作るようにしたため、それなりの量を作れるようになったにすぎない。
あえて口に出したことはなかったのだけれど、キースはそれに気づいていた。そのうえでクラリスの体調に気づかってくれる。
(キース様って……どうしてそんなにも……)
今まで家族にも労ってもらえてこなかった身に、キースの優しさが染みわたってくる。
クラリスの胸がじんわりと温まる。
「そ、それなら、その〝ベル〟はクラリス嬢に贈らせてもらうから。好きに使っていいよ」
「そこまでは……あ」
扉から押し出される寸前のアシュリーがなんとか告げた後でキースがバタンと音を立てて扉を閉めた。
パンパンッと手を叩きながらクラリスへと近づく。手のひらの中とキースを交互に見ながら首をかしげる。
「こんなに高価なものをいただいてしまって、本当によろしいのでしょうか?」
「彼が言うのなら大丈夫でしょう。どうせ研究室に行けばごろごろと転がっています。片付けが苦手なので、一つ、二つなくなっても気にとめるような性格でもないですし」
「まあ……随分仲がよろしいのですね」
とても真面目そうなキースが、高位貴族でありながら無邪気なアシュリーと仲がいいのがほほえましく感じてしまう。
クラリスがクスッと笑うと、キースは一瞬きょとんとし、すぐにフッと顔を横に向けた。
「……そうでも、ありません。ああ、ところでその〝ベル〟ですが、使い方はもうおわかりですよね」
「はい。だいたいのところは」
「不安があるようでしたら、練習にでも自分に送ってもらえれば」
「……あ、はい。じゃあ、練習、させていただきます」
「いつでもどうぞ。……待っています」
そう言って向けたキースの表情は、今日初めてクラリスが見た笑顔だった。
( いつでも、なんて……嫌だわ、きっと社交辞令に決まっているのよ)
それでも連絡を待っていると言われ、気持ちが浮き立ってしまう。
「あ、あのっ……ところでキース様はどれくらいの距離まで伝えられるのでしょうか?」
「王都内ならばどこでも届きます。おそらくそれ以上でも」
「まあ、凄いのですね」
好奇心で聞いたが驚かされるだけだった。さすがは銀灰の騎士と呼ばれるほどだと感心する。
「クラリス嬢の魔力量だと騎士団本部から周囲一キロといったところが限界だと思います。限界以上の距離であると自然に戻ってきてしまうので気をつけるようにしてください」
「そうなのですね。わかりました」
具体的な距離を教えられ、クラリスはふと実家のルバック伯爵領のことを思い出した。
(もうしばらく王都にいると伝えたら、お父様たちはどう思われるかしら……)
馬車で七日かかるあの場所までこの〝ベル〟が届くことはないけれど、一度自分の現状を連絡しなければならない。
冤罪は晴れた。むしろ功労を認められた。もしかしたら……と期待してしまうクラリスだった。