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第14話 もう少しの間お世話になります

 本日の調合と新しい薬の研究が一段落ついたクラリスは獣師団の獣人たちとお茶を飲んでいた。団長のイグノーは任務のため留守にしているが、非番の獣人とクラリスの護衛をかってでているビエゴが一緒になってテーブルに着いている。

「これ美味しいですね! クラリス様」

「いい匂いがしますー」

「そう? よかったら焼き菓子も食べてみてね」

 これは獣人のお腹の調子に効きそうな薬草を乾燥させた茶葉をブレンドしたもので、焼き菓子もクラリスが焼いた。治験というほどではないが、モニターとしての意味も兼ねていた。

 新しい飲み物や食べ物に興味津々な獣人たちは、クラリスのことを好意的に思っていても必要以上に探るような目では見てこない。クラリスは彼らと一緒にいるときが一番楽な気持ちになりホッと息をする。

 クラリスにはふとした瞬間に男性の目が怖く感じてしまうことがある。貴族子息で構成される第一から第三中隊までの団員は特にそうだった。

 彼らは特別意識しなくてもクラリスのことを貴族令嬢と見ていることが、団員たちへの診療協力をしている時など、言葉の端々から感じてしまう。

 以前ならいくら田舎出身といえども貴族なのだから当然だと思っただろう。けれども今となってはその少し視線が気になり、つい気を張ってしまうのだ。

 勿論騎士団員たちが悪いわけではない。それどころか皆クラリスに対して十分よくしてくれていると思う。

 礼儀正しく優しい。先日あった雑用係から受けた仕打ちにも、皆クラリスを心配してくれた。

 クラリスが気を張ってしまうのはおそらく元婚約者から受けた仕打ちが大きいに違いない。一度は結婚を約束した相手から手ひどく捨てられたのだからそれも仕方がないことだ。

 あのことさえなければこんなふうに感じることはなかったはずだと思うと、また余計にフランクが恨めしく感じてしまう。

(でも、そのおかげでこうして思いがけず王都にも出てこられたのだし、獣人の皆さんとも仲良くなれたわ。それに、キース様とも……)

 無意識のうちに首に手を当て、キースを思い出して急に顔が熱くなる。

 クラリスの首に歯を立てたのだから、いくら理由があろうとも本来ならばキースはクラリスからすれば一番警戒すべき対象だ。

 しかも甘噛みしたことによる責任を取ると大勢の前で公言され、恥ずかしすぎて自分のことは気にしないでほしいとまで思った相手。

 それなのになぜか他の騎士団員と同じようには思えない。むしろ——。

「クラリス嬢、ちょっといいですか?」

「はっ、はいっ⁉」

 甘噛みされた首に手を当てているところに突然キースから声をかけられ、クラリスは飛び上がるほど驚いた。ここ最近は顔を見るのも恥ずかしく、つい避けがちになっていたから特に。

 いつの間に調合室へ入ってきたのだろうか。

 クラリスは顔だけでなく首までが真っ赤になっているのが自分でもわかる。

(恥ずかしい……でも……)

「なんの、ご用でしょうか?」

 なんとか返事を絞り出すと、ほんの少しだけ緊張した面持ちでキースがコホンと咳を一つついた。

「実は明日のことなのですが」

「明日……何か用事がありましたか?」

「あ、いえ。用事というか、その。おそらく明日になると思いますが、王宮からの裁決が届くはずなのですが……」

「そうですのね」

 すっかりと忘れていたと、クラリスはポンッと手を叩いた。

 王宮からの裁決が届けばクラリスの冤罪は晴れ、王都を離れることも自由になる。ルバック伯爵家へ戻ることも何も問題はない。

 しかしそれは王国法の問題であって、クラリスが置かれた状況ではとてもではないが問題ないとは言い切れない。

(ビアンカとフランク様が本当に婚約なされるのであれば、私は……)

 元婚約者だった姉がいては妹のビアンカもフランクも気分のいいものではないはず。

 正式に裁決が出たのならどうしようか。今度こそ祖母のところへ行くべきだろうか。

 そんなことを考えているとキースが口を開いた。

「もしクラリス嬢がよろしければもうしばらくの間、騎士団本部にいていただけないでしょうか?」

「え、よろしいのでしょうか?」

「はい。むしろこちらからお願いしたいのです。クラリス嬢に作っていただいている魔法薬やポーションが大変優秀で助かっているのです。団員たちの診療もしていただいているのでしょう? 皆、クラリス嬢に感謝していますし、いてほしいと願っています」

〝感謝している〟その言葉に胸がじわりと温かくなる。

 行くところのない自分を置いてくれただけでなく、感謝という言葉をもらえるなんて。

「そんな……お世話になっている間にできることをしただけなのに」

「いいえ。本来ならこちらがお世話しなければならない立場です。……それなのに、貴女はあんなことをされてもなお、自分たちの身になってくださる。素晴らしい女性です」

 あまりにも良い言葉ばかりをかけられて耳がむずがゆくなってくる。そうでなくても美しいキースの顔を正面に受けて落ち着かない。

「あの……本当に、甘えてもよろしいのでしょうか?」

 行く当てが全くないわけでもない。祖母とて少しの間ならば置いてくれるだろうし、両親にしても追い出す様な真似はしないだろう。

 しかしケンカ別れではないが似たような状況で、出てきてしまいまだ日も浅い。領地へ戻るにしても、ルバック家の様子を知ってからにしたい。

 それに——調合室でのんきにお菓子を頬張る獣人たちやキースの顔を見回して思う。

(もう少し。皆と一緒に過ごす楽しさを、もう少しだけでも感じていたい)

 クラリスの言葉に頷くキースに向かい「それではしばらくの間よろしくお願いします」と頭を下げた。

 ぱあっと顔を輝かせ両手を差し出したキースの美しい姿に一瞬ひるんだが、握手を求められただけだとわかり素直に手を出した。

「よかった。断られたらどうやって責任をとればいいのかと思っていました」

「……ふふ。キース様、こちらの方がお願いする立場ですよ。あ、そうでした。よろしかったらキース様もお茶を飲んでいかれませんか?」

 テーブルの上の皿を持ってキースの前に差し出す。ビエゴが「あっ」と物欲しそうな声を上げたがもう十分に食べたはずだ。せっかくお腹の調子が良くなる薬草入りとはいえ食べ過ぎれば害にもなる。

「勤務中です、が……いただきます」

 一瞬迷ったような仕草をしたが、すぐに長い指で焼き菓子を一枚取ると口へ運ぶ。サクッとこぎみいい音がした。

 モーラにも手伝ってもらい作ったのだが、慣れない厨房のため薪に火を入れた時に火花が散り借り物のエプロンを少し焦がしてしまった。しかし焼き菓子の方は大丈夫だ。味には自信がある。

「うん。美味しいです。それに、この香り……とても、いいですね」

「そうですか? ポリポレの葉を乾燥させたものを細かく刻んでいれたのです。人にも獣人にも優しい胃腸薬としてどうかなと思いまして」

 効能を説明しているとキースの口の端が柔らかく上がる。それを見てクラリスも安堵したようににっこりと笑う。

 なんとなく二人で見つめ微笑み合うような形になっていると、徐々にキースの目元が赤く緩んできた。クラリスはそれを見て瞬間的に一歩後ずさった。

(まさか、またっ……⁉)

 キースの口の端から真っ白い牙がちらりと見えたその時、突然金色の小鳥が目の前に飛び込んできた。

(えっ! 何、これ可愛い……でも⁉)

 その小鳥は可愛らしくパタパタと羽を動かしながらキースの周りを飛び回り始めたかと思うとなぜかダイムの声で『中隊長ー!』と彼を何度も呼び続けた。


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