安価で誰にでも使いやすい新薬を作りたいというクラリスは翌日からより精力的に動きだした。
獣師団の獣人たちも協力して自分たちの知るいろいろな草花や実などを仕事のかたわら採取してくるようになる。
そして予想外にも騎士団本部の経理からもキースの知らないうちに薬草を仕入れるための補助金が渡されていたのだ。
どうやらクラリスが空いた時間に騎士団員のケガや病気の簡単な診断をして薬を提供していたのが原因らしい。
「なんでもポーションで済まそうとする団員たちの無駄な使用が減りました」
と満面の笑みで協力体制を取っているとのことだ。
騎士団員たちも、若く可愛らしい、しかも品のあるクラリスが自ら診察してくれることが嬉しくないはずがない。
誰にでも扱いを変えないクラリスは、獣師団だけでなく知らないうちに騎士団員からの信頼と好意を受けるようになっていった。
しかし、そんなクラリスの存在を苦々しく思う者も当然のようにいるわけで――。
「どうしよう。お守りがないわ……。確かにここに置いておいたはずなのに」
可愛らしい装飾で彩られたドレッサーの上、何度探してみてもクラリスのお守りは見当たらない。
もしかして床に落としたのかと思い探したが結果は同じだった。
(あの時の炎で袋が焦げてしまったから、新しい袋を作り直して……それから、どうしたかしら?)
危険薬草栽培者の摘発時、クラリスは証拠のトリブラを守るために炎が舞う花畑の中に入った。そこでベルトに付けていたお守り袋が焦げてしまったのだった。
危うく炎に包まれるところだっただけに、お守り袋と本体が少しくらい焦げたくらいならば逆に喜ばしいことだろう。
むしろお守りがクラリスを守ってくれた。ルバック邸で彼女や領民たちを守ってくれていた〝お護り様〟の入った守り袋。クラリスはそう考えて新しいお守り袋を作り直した。
その大事なお守りが、午前の調合を終えて部屋に戻ってきたらなくなっていた。
実はその前から細かいものが少しずつ部屋からなくなっていることには気がついていた。
ただそれはクラリスの髪飾りのピンだったり、ハンカチだったりと、どこかに置き忘れたのかもと思えるほどのものだけだった。
それが今日はとうとうお守り袋がなくなってしまい、クラリスは戸惑ってしまう。
どうしたらいいのかと考えながら廊下を歩いていると、クスクスと笑いながら話す雑用係の女性たちの声が聞こえてきた。
「だからまた持ってきちゃった」
「やだあ、酷すぎない?」
「いいのよ、あんな汚い袋。あーあ、なんであんな娘が一人で部屋を使ってんのよ。しかも私たちに掃除しろとか、何様って感じよね」
「ほんと、ほんと」
「これも前のみたいに捨てちゃおうか」
そう言ってクラリスのお守り袋を振って見せる。
クラリスは慌てて彼女たちの前に飛び出した。
「すみません、それは大事なお守りなので返していただけますか?」
いきなり現れたクラリスに、雑用係の二人は一瞬怯んだ。しかし彼女一人だと思うとふてぶてしく知らぬ存ぜぬで押し通そうする。
「ええー、何か勘違いしていません? これ私のなので」
「そ、そうですよ。あなたのものじゃありませんから。じゃあ私たち仕事がありますのでえ」
振り返りさっさとその場から立ち去ろうとするのを、声をかけながら追いかける。
「間違いではありません。確かにそれは私のお守りです。ほら、これがその袋に使った布と同じもので……」
同じ小花刺繍のハンカチを差し出したが、ちらりと一瞥しただけで足を緩めもしない女性たち。
クラリスがその後ろを一生懸命についていくと、地下へ向かう階段を足早に下りていった。どうやら厨房へ向かっているようだ。
騎士団本部は貴族の屋敷と似たような設計となっているので、炊事関係は地下へと集約されている。
元々クラリスはルバック邸でもビアンカのお願いで厨房へはよく顔を出していたので、構うことなくその後を付いていった。
「あのっ、それを、返してください」
「何よっ、バカじゃない⁉ あんたしつこいのよ!」
ハアハアと息が上がる。それでも大事なものだからと再度頼んでいると、モーラという厨房担当の中年女性が階段を下りてきた。
彼女は時間がある時はクラリスの世話もしてくれていたので顔見知りだ。
「あらまあ、お嬢様。どうしてこんなところへ? ご用がありましたらお呼びくださればよろしいのに」
「あ……その、実は」
クラリスが言いよどんでいるうちにモーラが一人の手の中のお守りを見つけた。
「まあ、あんたたち! それはお嬢様のものじゃないか!」
「うるっさいわね! 私のだって言ってんじゃない! ああ、もういい。こんなもの!」
モーラの言葉にカッとなり、手に持ったお守りをギュッと握りつぶすと、竈の熾火の中に思いっきり投げ込んでしまった。
「あっ!」
「何やってんだい!」
慌てて竈に駆け寄ると、モーラは火かき棒を使い熾火の中からクラリスのお守りを引っ張り出してくれた。
お守りを手渡されると急いで両手でパンパンと叩く。
ところどころ焦げてはいるものの、燃え尽きてしまうほどではなかったことに「よかった……」と安堵した。
そんなクラリスの横ではモーラが若い二人を叱責していた。
「よくもまあ、中隊長様のお客様に対して盗みを働けたもんだ。今日のことは全部報告させてもらうからね。手癖の悪い者を置けやできないから、あんたたちはもうこのまま家に戻っていいよ」
「そんな! 父さんに叱られちゃう!」
「これくらいのことで首なんておかしいわよ!」
血相を変え食ってかかる二人を、モーラは聞く耳を持たないというようにあしらい、あきらめきれず一人がモーラの袖を引っ張った。
バランスを崩した二人が竈の上の鍋を引っかけてしまう。
「危ないっ!」
ガランガラン。と大きな音を立てて鍋がひっくり返る。その勢いで沸いていた熱湯も飛び散った。
クラリスがモーラの腕を引いたおかげで熱湯の直撃は避けられたが手の甲に少しかかったようだ。
しかし雑用係の二人は派手に熱湯がかかってしまったようで、腕や足を抱えうずくまっている。
スカートの裾が濡れるのも構わずお湯まみれの床にしゃがみ込み、クラリスは二人のやけどの状態を診た。
「大丈夫だから、少し我慢してね。〝水流〟」
痛い、痛いと泣きながら首を振り乱す二人をなだめつつ、患部に流水をかけるための呪文を唱えた。
クラリス自身あまり魔力が多い方ではないが、医師に診てもらうまでは冷やし続けた方がいい。額に汗をかきながら、一生懸命魔力を注ぐ。
そうしているうちに、騒ぎを聞きつけた団員たちが地下の厨房へと様子をうかがいに集まってくる。
中でも水魔法が得意だと手を挙げてくれた団員と手分けをして続けていると、集まった騎士たちをかき分けながらキースがクラリスの元へやってきた。
「クラリス嬢! 事故があったとうかがいました。ケガはありませんか?」
「キース様、私は大丈夫です。けれどもお仕事をされている方々がやけどをしてしまいましたので、お医者さんをお願いしたいのですが」
「すぐに手配をします。おい! 彼女たちを診療所まで今すぐ運ぶように」
片手を挙げテキパキと指示を出す。
軽いとはいえモーラにもちゃんと診療してもらうように伝え、すぐに全員運ばれていった。
残った団員たちが水まみれになった床を拭くのを手伝おうとしたが、キースに止められてしまった。
「ここは彼らに任せてください。それよりも本当に大丈夫ですね。ん? これは?」
「あ、それは私のです」
そういえば魔法をかける時に持っているわけにもいかず台の上に置いたままにしていたと思い出した。
キースはお守り袋を手に取るとクラリスへと差し出す。
「ありがとうございます。とても大事なものなので……」
と、お礼を言ったその時、キースの頭がクラリスの方にコツンと乗った。
(……え?)
危険な既視感が頭を駆け巡るが時すでに遅し――がぶりと首に歯が当たった感触がした。
(うそっ⁉ どうして? なんでこうなるの?)
見なくてもわかる。キースがクラリスの首に噛みついたのが。
熱い吐息とキースの硬い歯が首筋をなぞるように動く。
はくはくと口を開けながら(誰か、助けて……)と、周りを見回すことしかできないクラリスだった。