その後、限界を突破し気絶寸前だったクラリスを助けたのは、あまりの騒がしさに起こされたダイムと、彼の要請で飛んできたイグノーだった。
今回はキースが正気を保っていたことから無理やり引き剥がすというところまではいかなかったが、それでも多くの団員たちがキースの行動とクラリスを見ていたため、現場の収集に時間がかかったようだ。
ダイムは全てを片付け終わったところで、すやすやと眠り今回の騒動を知らない第五中隊の面々と、原因となったキースに対して呪詛のような言葉を吐きながら倒れるように宿舎のベッドに落ちた。
そして結局クラリスはというと、キースの圧に半分押し負けて騎士団本部にて逗留させてもらうことにしたのだった。
「しかし本部ではクラリス嬢のお世話もままならないだろう?」
「いいえ、そんなことはありません。元々ほとんどのことは一人でできますから」
「とはいえ専属侍女の一人もいないというのも申し訳ない。やはり今からでも遅くはないので、家に……」
「と、とんでもない! それに専属侍女なんて、そもそもルバック家でもいたことは……」
と、そこまで言ってしまってから口をつぐむ。
幼い頃世話になっていた乳母が職を辞してからというもの、クラリスには専属の侍女というものが付いたことはない。大抵の者はビアンカの世話に忙しかったため、ほとんどのことは自身でできるようになってしまった。
キースとイグノーはクラリスの扱いを察したのか、それ以上は口を挟めなかった。
「こちらでお世話になれるのであれば、私もとても助かります。祖母に心配をかけることもありませんので」
クラリスが両手を体の前で合わせ、軽く頭を下げる。
キースはまだまだ納得していないようだが、彼女がそこまで言うのであればと頷いた。
本部内でも一番日当たりの良い、そして団員たちの部屋から一番遠い部屋を用意させようとキースが立ち上がると、クラリスはお願いがあると言い出した。
「ああ、何でも言ってほしい。クラリス嬢の頼みならば聞きかせてもらいます」
「それではお世話になっている間、騎士団内でのお手伝いをお許しできますか? せめて私ができることをさせていただきたいのですが。魔法薬を作るとか、雑用の仕事などでもあれば……」
「さすがに貴女にそこまではさせられない!」
考えてもいなかったお願いに、キースは反射的に断ってしまった。
例えば、部屋に置きたいものだとか、こちらで過ごすための服やアクセサリーだとかを思い描いていたにもかかわらず、全く想像すらしていなかったことを伝えられたのだ。
「でも、ただでお世話になるというのも心苦しいのです」
「いや。それも自分の責任の内です。せっかく王都にきたのですから、貴女には少しでも楽しいと思うことをしてほしい」
キースの言葉に、眉を下げ複雑な笑みを浮かべる。
楽しいと思うこと。それがクラリスには今ひとつピンとこない。
今まではずっと、妹のビアンカが楽しめることだけを考えてきた。
少しでも呼吸が苦しいと言われれば看病しながら魔法薬の改良を重ねた。
季節外れの花を飾りたいとねだられれば魔法で促進肥料を研究し育てた。退屈だと口を尖らせれば面白い話を聞かせたいとたくさんの本を読んで覚えた。
全部、全部、クラリスがしてきたことといえば、ビアンカが願ったことだった。
(私が楽しいこと。というのはなんだろう……)
キースに言われて初めて考えた。
黙り込んでしまったクラリスの姿にキースの方も戸惑い、なんと言葉をかければいいのかわからなくなってしまった。
静かになってしまった二人を交互に見比べると、イグノーは少しだけ呆れたように声をかける。
「まあ、なんだ。キースも、嬢ちゃんがいいって言ってんだから、それで納得してやれよ。嬢ちゃんだって、やれねえことまで無理はしないだろう?」
「はい、勿論です。お邪魔になるようなことはいたしません」
クラリスがぐっと手に力を入れる。彼女がしたいことならばと、その意気に押されるようにキースはため息をついた。
「それではポーションや魔法薬の生成をお願いできますか? 場所と材料はこちらで提供します。無論、適正価格で買取りをさせてもらう約束で」
「まあ、お金なんていただけません。お世話になるお礼ですから」
「いいえ、それだけはこちらも譲れません。そもそも騎士団では慢性的な魔法薬不足ではあるのです。そこへ在庫確保が可能ともなればこちらの方にも十分利がありますので」
「でも……それならば余計に」
「いやしかし」
延々と続く二人の善意の押し付け合いにいい加減焦れたイグノーがパンッとテーブルを叩いた。
「いいか、材料費を持つんなら価格は仕入れ値の七割をクラリスに支払う。これなら市販のものより一割安くらいですむから市場の価格破壊ってことにはならねえ。騎士団も得をするし、嬢ちゃんも金が稼げて一石二鳥だ。そして稼いだ金は自分のために使え。わかったな」
妥当な提案を受けてキースは頷く。しかしお世話になるのに、とクラリスはまだ納得できないようだ。
「クラリス嬢、貴女が今回王都で聴取を受けることになったのも、間違った告発が元でした。その後の危険薬草栽培の摘発にまで貢献してもらったのだから、騎士団からもこれくらいのことはお詫びとお礼をさせてください」
キースにそこまで言われ、ようやくクラリスも二人の提案を受け取った。
騎士団からの金銭の支払いも関係するということなので、簡略だが書面にもした。
現在騎士団が支払っているポーションや魔法薬の金額が思いのほか高く、クラリスはとても驚いたが帳簿を手にした経理の人からも間違いありませんと言われてしまう。
田舎と都会の相場の違いに、やはり少しはお金を手に入れる機会があってよかったのだろうと思った。
キースとクラリスのサインを入れた書面を、経理の担当がホクホク顔で持って出ていったところで、ようやくほっと落ち着いた気がした。
(これでキース様の言われる責任も取っていただいた形になるでしょうね。気をつかっていただけることは嬉しいことだけれど、あまりにも恥ずかしくて……)
キースと接触が起こるたびに状況が明後日の方へと飛び火する。特に〝責任を取る〟という言葉はやっかいだ。
言葉を発するキース本人は真剣でも、耳にしただけの方はなんとでも取れる。
(キース様が真面目な方だからこそ、私がきちんと否定しなければならないわ)
騎士団本部へやって来て、キースの立場を垣間見た。
立派な執務室をもらい王宮の役人とも対等に話し、騎士団員からも獣師団員からも敬われている。
クラリスは、冤罪をかけられ一方的に婚約破棄をされたような娘が、そんな美しく有望な騎士中隊長に迷惑をかけてはいけないと思う。
「では早速だが、クラリス嬢の部屋の用意を頼んでおいたので案内しましょう。団員たちが普段利用する部屋から一番遠いところを選んだので三階まで上りますが大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です」
「それはよかった。念のために結界魔法を組んであります。女性以外は貴女の許可なしに部屋は入れませんので安心してください」
(え、そこまで……?)
とはいえやはり未婚の貴族令嬢のため最低限の自衛なのかとも思い素直に頷く。そうして、勧められるままに部屋の扉を開けた。
すると、部屋の中はピンクとフリルの洪水と化していた。
右を見てもピンク。左を見てもピンク。そしてフリルで満載のベッドとカーテン。
一瞬ここが騎士団本部であることも忘れるほどだ。クラリスは目まいがするのをグッと抑えた。
「お気に召しましたか? もしも他の色がよければ変更しますので、いつでも言ってください。それから服などはサイズもあるでしょうから後ほど服飾店から呼び寄せますので好きなものを作ってください」
「いえっ、いいえ。あの、先ほどの契約で十分責任は取っていただけたと思うのですが……」
「あれは、騎士団からのお詫びとお礼であって、自分のものではありませんから」
あっさりと言ってのけるキースに、クラリスはがっくりと肩を落とす。
キースの肩越しに部屋を覗いたイグノーの口から「うわぁ」と呆れたような声が出た。
クラリスにはそれが「あきらめろ」と言われたように聞こえてしまった。