テーブルを囲むソファにはクラリスの知らない数人の男性たちがすでに座っていて彼女を待っていた。
彼らは王宮内で刑法に携わっている役人や、魔法薬に詳しい者たちだった。
「まずはルバック伯爵令嬢の作られた魔法薬について説明をいただけますか?」
「はい。これらの魔法薬についてですが、現行薬師ギルドより承認を受けた――」
クラリスが作り押収された魔法薬を目の前に並べ、一つ一つ丁寧に話をする。
そうして話が危険薬草栽培のことになると、トリブラが見つかったときに最初に書いて薬師ギルドに提出したはずの書類を、できるかぎり思い出し書き直したものと一緒に説明した。
それからキースが今回の危険薬草の違法栽培者たちの摘発にクラリスの助言がとても役に立ったということを告げると、前もって調書を取っていた容疑者たちの話とも一致すると確認する。
結果、クラリスの容疑についてはほぼ完全に晴れたということで落ち着いた。
「それでは、本日取らせていただいた聴取はまとめて報告させていただきます。おそらく十日ほどで裁決となりますので、その間は王都に留まっていただけるようにお願いします」
「かしこまりました。そのようにいたします」
「容疑をかけてしまい、迷惑をおかけしましたね。けれどもルバック伯爵令嬢のおかげで危険薬草栽培への摘発が進みました。大変感謝しております」
最後にそう告げられ、クラリスは目を見開いた。
自身のしたことを認められ感謝されるなどこの数年の生活ではほとんどあり得なかったことだった。
魔法薬を作りビアンカを助けることは家族として当たり前のこと。感謝をほしがるなど恩着せがましいと言われた。
けれども思うようにビアンカの助けになれなかったのならば、妹が可愛くないのか? 姉も頼れないビアンカが可哀想だと蔑まれた。
それもこれも全て自分がダメな姉だから。そうクラリスは嘆いたが、あの日を境にそうではないのだと知ることができた。
奇しくもあの、お前などもう必要とないと追い出されるようにして家から出てきたあの時から――。
もう一度深々と頭を下げる。そうして役人たちが部屋から出ていったところで、ほうっとひと息はいた。
「お疲れになったでしょう?」
「はい、って、え⁉ あ……いいえ」
てっきり役人たちと一緒に部屋を出て行ったのかと思ったら、クラリスの後ろに立っていたので軽く飛び上がるくらいには驚いた。
「ここは自分の執務室なのです。どうでしょう、お茶を淹れますので飲んでいかれませんか?」
「……はい。ごちそうになります」
二人っきりでなんて……と一瞬考えたクラリスだったが、キースの少し揺れた青色の瞳を見たら断れなかった。
(一杯だけいただいていこう)
もう一度ソファに座り、キースがお茶を淹れる姿を眺めている。
あらためてこうしてキースを見ると、その美しさに圧倒される。
こんなにも美しく、さらに若くして騎士団の中隊長という役職にも就いているキースが、冤罪を仕掛けられ婚約破棄された田舎の娘など相手にするはずがない。
だからあの甘噛みも何かの間違いだったのだろう。
本気でそう思えるようになると変な緊張感も薄れてきた。
「十日、裁決までかかるようですが、その間はどうする予定ですか?」
お茶の葉を山盛りにしてティーポットに入れながらキースは尋ねた。
「そうですね。母方の祖母がずっと王都のタウンハウスに住んでいますので、そちらを頼ろうかと考えています」
「お祖母様ですか。それはお喜びになるのでは?」
「どう、でしょうか? 実はものごころついてから私は一度も会ったことはないので。歓迎してくださるかどうかもわかりませんが」
え? という顔をしてキースはクラリスの前にお茶を出した。
こんなふうに目を丸くした姿も美しいのだなとクラリスは感心してしまう。
「私が小さな頃に一、二度、祖母の方からルバック家まで顔を見にいらっしゃってくださったことはあったようなのですが、ビアンカが生まれてからは両親も忙しくて……」
家族の話をする時はつい伏し目がちになってしまう。
そこまで話したところでキースの動きが止まったことに気がついた。顔を上げると眉間に皺を寄せなんとも不機嫌そうに見えた。
「あ、でもずっとお便りはいただいていたのです」
「そうですか」
キースはゆっくりと腰を下ろすとカップを口に運んだ。クラリスはカップの中の琥珀を眺めながら語り出した。
「婚約を伝えた時も、一度フランク様と一緒にタウンハウスへ顔を出しに来なさいと。ただ今となっては、こんな状態でお邪魔するのもかえって気をつかわせてしまうのかなと、思わないではないのですが」
「クラリス嬢……」
「やっぱりお邪魔ですよね。婚約者に嘘を吐かれただけでなく、婚約を破棄されるだなんて、貴族としてこんな欠陥のある娘なんて……」
いくら少し認められたからといって、長く染みついた自虐的思考は簡単には変わらない。
キースはあの場で一部始終を見て知っているからと、ついフランクとのことをこぼしてしまった。
「クラリス嬢には欠陥なんてありません」
「え……?」
すると、キースはその場に立ち上がり、拳を握りしめ力説し始めた。
「宮廷薬師たちもクラリス嬢の魔法薬には感心していました。特別なものではないが丁寧な処理と細やかな魔法の扱いがわかるものばかりだと。独学であれだけのものを作れるようになるには大変な研鑽を積んだのでしょう? そうでなくてもあのような酷い扱いをされても乱れることなく対応するなど、ただの令嬢にできることではありません」
「あ、あ……ありがとう、ございます」
こうして認めてもらえることは嬉しいが、あまりにも勢いがありすぎる。特にクラリスのように褒められ慣れていないと逆に困惑してしまう。
「だから、そんなふうに貴女自身を卑下しないでください」
キースはクラリスの前に膝をつくと、彼女の両手をぎゅっと握る。
それから顔をぐっと近づけ、真剣な眼差しで見上げ「貴女はとても素敵な人なのですから」と言った。
海のような瞳とキラキラと輝く星のような銀髪がクラリスの瞳の中に飛び込んできた。
(ち、近いですっ! 顔が……キース様、まさか、ま、ま……またですかっ⁉)
キースの顔を真っ正面に受け、クラリスはあの求婚行動を思い出した。
首筋に当たるキースの唇を想像して、背筋にゾクッとした何かが走る。
(あああ、もうっ、ダメです。ダメ……っ!)
握られた手にギュッと力を込める。少しでも体を縮めようと肩をすくめた。が――。
「もしも他に行く当てがないようでしたら、よければ自分の家で過ごすというのはどうでしょうか?」
「…………え。なん、て?」
「自分は家族と一緒に住んでいますが、彼らは忙しい人たちなので貴女をわずらわすことはないと思います。気のすむまで滞在してくださって結構ですので」
(そ、そんなこと、できるはずがありません!)
いくらクラリスに行く当てがないからといって、キースのように若い男性の元に転がり込むことなど貴族でなくても未婚の女性ならばありえない。しかも家族も一緒だなんて。
それはもう将来を誓い合うことを飛ばして夫婦のすることだ。
「いいえ! 大丈夫、です。あの、本当に」
「遠慮しないでください。それに自分にはクラリス嬢にはお詫びしてもしきれないほどのことをしでかしました。ぜひともその責任をとらせてもらえればと考えます」
「もう気にしないでください。私も、もう気にしていませんから……」
「いや、それでも……」
何度断ってもぐいぐいと押してくる。キースの顔が近くて息がかかる。
「ええと、だから……あ、やっぱり祖母のところにお世話になりますので。いろいろとありがとうございます!」
顔を避けつつそれだけ絞り出すと、クラリスはキースを突き飛ばす勢いで手を離し部屋から飛び出したが、部屋を出たところすぐ、いとも簡単にキースに捕まってしまった。
後ろは壁、前にはとびきり憂い顔のキース。
当然彼にはそんな気はないのだろうが、この顔を見て落ちない女性はいないのではと思えるほど悩ましげな表情。
廊下を歩いていたり、何が起こっているのか確認するため部屋から出てきたりした団員たちが集まってくる。
キースは彼らが見ている中ではっきりと宣言した。
「クラリス嬢、自分には貴女が受けた傷を癒す責任があるのです。どうか、この手を取っていただけないでしょうか」
真っ直ぐにクラリスを見つめ手を差し出すキース。
どう見てもプロポーズというシチュエーションに沸く騎士団員たち。
勘違いです。騒がないでください。絶対にそんな意味ではありません。
そう言いたくても声が出ない。あの時と違ってキースも完全に正気なのに話にならない。
噛まれてもいないのに首筋にキースの歯が当たったような気がしてじくりと感じた。
だからクラリスは叫ぶ。心の中で。
(私のことなんて、本当に、お願いですから――歯牙にもかけないでくださいーっ!)