ビエゴの言ってくれたよう湖の畔に到着すると、獣人たちは早速湖に飛び込む者、芝生に寝っ転がる者、と各々が気ままに休憩を取り出す。クラリスが馬車から降りるともうすでにリラックスモードだった。
走り続けだったから喉も渇いているだろう。クラリスは自分の鞄の奥から小さなポットを取り出すと湖に駆け寄り水をポットに入れた。
「〝浄め、沸きたて〟」
生活魔法の中でも一番単純な呪文を詠唱するとポコポコと音を立て始めた。
魔法道具でもあるこのポットは見た目以上に容量がある。
自分でブレンドした疲れを癒す効果のあるハーブティーの茶葉を入れると、ポットを持って休憩しているイグノーへと近づいた。
「イグノーさん、お茶はいかがですか? 皆さんの分もありますから、よろしければどうぞ」
「おう、ありがとう。しかし悪いな、嬢ちゃんにこんなことさせてよ」
カップの中のハーブティーを一気に飲みきると「こりゃ美味い。もう一杯いいか?」と、空になったコップを差し出した。
虎は猫舌ではないのかしらと思いつつ、おかわりを淹れる。
「いいえ。面倒をかけているのはこちらの方です。私にはこれくらいのことしかできませんから」
「面倒? ない、ない。むしろ第一功労者ってくらいだぞ。なんたって、危険薬草栽培者の一掃摘発はでかい!」
「まさか! 私、禁止魔法薬生成の容疑もかけられていますし」
「いやあ、そっちの調べはもうついてるって。嬢ちゃんの魔法薬は解熱剤や風邪薬みたいなよくあるもんしかなかったって騎士団の連中が言ってたし、薬草栽培の方はあの通りだからな」
「そう言ってもらえると安心です」
「おう。そこらへんもあって嬢ちゃんには王都まで付き合ってもらわなきゃならん。貴族のお嬢ちゃんがたった一人で寂しいかもしれんが、もう少し付き合ってくれや」
「……勿論。それは王国民の義務ですから」
クラリスはきゅっと唇の端を噛むと静かに頷いた。
冤罪をかけられ、婚約破棄され、犯罪者との大捕物。そして――。
このたった二日という短い間でクラリスの人生は大きく動きすぎた。そのせいで今はあまり深くものを考えることができない。
だからとにかく義務と責任を果たすことを優先することに決めた。そうしてから自分に非がないことを認めてもらう。
(とりあえずは無事に王都へ着くこと。それ以外のことは後で考えましょう)
「ま、なんだ。自分で言うのもなんだが護衛としちゃあ俺らは結構優秀な方だ。ちょっとした旅気分で楽しんでくれればいいぞ」
「はい。よろしくお願いします」
イグノーがクラリスの肩に手を置いた。
初めはいかにも虎といった厳つい体も奇妙なマスクにも驚いたものだが、こうして話をすると気さくないい獣人だと思う。そして思っていた以上にネコ科らしい肉球の感触にフフッと笑みがこぼれる。
さてと、と両手を挙げてイグノーがひと伸びすると、それが合図となり獣人たちが馬車の周りに集まり出す。
特に犬獣人のビエゴは待ってましたと言わんばかりのスピードでクラリスの目の前にやって来た。
「クラリス様、お片付け、お手伝いいたします!」
「いいえ。すぐに終わりますから……」
ビエゴは尻尾をぶるんぶるんと振り回し、クラリスの手からポットを奪い取るとあっという間に湖まで走り、水洗いをすませてきた。正に電光石火の動きに呆気に取られる。
「おいおい、いやに働くじゃねえか、さぼり自慢のビエゴがなあ」
イグノーのからかうような声に、ビエゴはけろっとした顔で答えた。
「キース様に頼まれましたからね! くれぐれもクラリス様のお世話を頼むって。この僕に、直々ですよお」
(キース様が……⁉)
キースの名前を聞くと、ドキンと胸が跳ね上がる。
トリブラ畑での甘噛み事件はクラリスにとって少々刺激が強かった。
しばらくは仕方がないけれど、事故みたいなものだから王都に着くまでには忘れなければと思いながらひと呼吸する。
「お前ら本当にキースの言うことなら聞くのな。俺の言うことなんざ聞きやしねえのに」
「それは仕方ないです。なんたって〝
ビエゴの言葉に集まった皆が頷く。
「あの、〝銀灰〟とはなんでしょうか?」
「ああ、〝銀灰〟ってのは、キース様の二つ名です。炎魔法の威力が凄すぎて、発動から一瞬で銀色の灰にしてしまうことから付いたんです」
長い耳をピコピコと動かしている兎の獣人らしい団員が目を輝かせながら口を挟んだ。
「そもそも本来獣人に魔法は使えねえんだよ。キースは
(ああ、だからキース様は獣人の皆さんの憧れなのね)
とはいえ普通の獣人たちとは違い、キースは獣特有の耳もなければ尻尾もない。見た目は全く人と変わらないのだ。
それどころかキリッとした眉に涼やかな瞳、絶妙な鼻から口元にかけてのラインといい、お世辞でなく誰が見ても美青年と呼ばれるほど整った顔立ちをしている。
クラリスはふと思いついた考えを口にした。
「獣人の皆さんから見ても、キース様はすぐに獣人だとわかるのでしょうか?」
ビエゴは一瞬、きょとんとした顔を見せたが、すぐに「わかりますよー」と当然のように答えた。
「匂いもそうですが、本能で。特にキース様は上位種ですしね!」
(上位種……とてもキース様らしいわ。でも、いったい何の獣人なのかしら?)
キースの銀髪を思い出しながら馬車に乗り込もうとすると、ビエゴが丁寧に手を貸してくれる。
「ビエゴさん、ありがとうございます」
「いえいえー。なんたってクラリス様はキース様の大事なお方ですから。きちんとお手伝いさせていただきます!」
(…………?)
何かとんでもない言葉を聞かされてしまった気がする。クラリスはおそるおそるビエゴへと問いかけた。
「あ、あの……キース様の大事なというのは……?」
「勿論、クラリス様のことですよ。だって、ほら、プロポーズされていたじゃないですか! 僕、あの時ふらふらしてましたがちゃんと見てました」
「え、えぇえっ⁉ 待ってください、そんな……え、ありえません!」
全く身に覚えのないことを言われて頭がパニックになる。
どう記憶を振り返ってもキースにプロポーズされた事実なんてあるはずがない。
そう思い出し、一度冷静になって周りを見回した。
すると、なぜか周りにいた獣人たちがなんとも温かい目をクラリスへと向けていた。
「え、あの? ……え?」
「あれです、首への甘噛み! あれ、獣人の求婚行動ですから。ねーっ!」
「……嘘っ⁉」
「嘘じゃないです。公開プロポーズでした!」
ビエゴの言葉を聞くやいなや、クラリスは一瞬で顔に血が上った。そのままふらつきながら馬車に飛び込む。
(嘘、嘘っ、うそでしょーーうっ⁉)
顔を真っ赤にしながら座席に埋めていると、外から「ビエゴ!」というイグノーの叱咤する声が聞こえたが、もうその後のことは覚えてない。
ただただ馬車の中で一人、真っ赤になりながら足をバタバタさせて悶えることしかできなかった。